中学のクラス会開催そして名前。
9月3日、1965年卒業の同級生が集合した。48名のクラスで7組まであったから1学年350人、全校生徒で1000人規模の札幌市内の中学校だ。参加者17名に渡す当時のクラス名簿を作っていて発見したのだが、女子が23名いて18名が「子」の字で終わる。「子」の占有率は78%。
1950年~1951年3月までの生誕。読んでいて、書いていて落ち着く名前だ。無用な緊張がない。いまなら、名前を聞くと次は漢字(その逆もある)「なんて読むのですか?」「〇〇と読みます。子供が〇〇になるように」「読めない人もいて、説明が大変」と言いながら、私の子供は他人の子供と違うのよ、違うことに鼻をヒクヒクさせたりする。親の思いは子どもが元気で生きてくれるのが一番で、自分の氏名が10人中10人に間違いなく読まれるって大事なことではないだろうか?
いつのころからか、持ち物や所有物に他人と違うことを強調する生き方が、個性・個性の連呼とともにCMコピーで流されて洗脳された。そのくせ、「子」を使わないと言うことでは画一的だ。先生泣かせの名前と言うが、その先生の名前もキラキラネームになる世代だから、学校全体がアニメ学園に近づいているのだと思えば間違いない。
友人に孫ができて名前を聞くと「〇〇の漢字を〇〇と読ませるんだ」とそのときは聞いても、すぐに忘れてしまう。名前の付けるまでを何組かの若い親に聞くと、まず「使いたい漢字」から入って行くようだ。意外に画数に拘る古い一面もある。親の漢字を一字借りるのは昔からの定番で、最近、少ないのが「爺さんに付けてもらう頻度だ」。親に付けさせると遺産が多く入るかもしれないよ。
前にも書いたが、知り合いに神主がいて63歳まで働いた職場で若い人たちが結婚して子供ができると、昔ながらの手引書で「ほぼ全員の名前を付けていた」。変な職場だなあと思いつつ「それで、皆さん幸せになりました?」という筆者の質問に「それはどうかな?追跡していない。途中、退社した男もいるしね」。追跡して幸福度を測ると信用度が増す神主になるのにと思ったが、幸福度のバロメーターはないし、あっても棺桶のフタが閉じるまで人生不明なので意味がないかもしれない。
名字から、誰も読めない人もいて、ある人は「学校の教師で私の苗字を正しく読めた先生が一人だけいた」と読めた先生の学識の高さを褒めていた。「その名前の旅館が京都にあって、由緒正しい出なんだ」と自慢が始まる。そういえば金沢の前田家の子孫がいたけど、やさぐれていた。開口一番「金沢前田利家の〇〇〇」で、「だからどうしたの?」でチョンである。莫大な金銀財宝を受け継いだというなら「えっ!」と感嘆もするが。名前の話から、また脇道へ入っていってしまった。平凡な名前でいいからわかりやすさが前面に出る名前が多くなりますように。漢字で変な訓読みさせるなら、全部ひら仮名を使って欲しい。
名は体を表さず。
昭和天皇の名前の一字「寛」を盗ったのは僕だ。もちろん父親の仕業だが、後でその真実を聞かされたが、あの時代に大丈夫?と当の本人が驚く。父は戦争に反対して兵役を逃れた、当時の世相なら国賊とか言われそうだが、さらに天皇の名前まで盗むとは打ち首獄門者だ。が、その父は他界した。父の名は「龍之介」寅年で名は体を表すと、屈強そうだが、絵画、俳句、短歌、釣り、遊び、人様の半分しか働かない華奢な柳に風のような、風流人だった。僕も決して寛大でもなく、くつろぐどころか「せかせか働く」性分で、せっかくの名前も効力が無い。時代は既に平成に変わっているからなのか。
背比べ。
家に孫が4人同居しているが、変な名前ばかりで、漢字が書けない。同級生の名簿など見れば、さらにヘンテコリンな名前ばかり。特に女の子に変な名前が多い。絶対そんな風に読めないものを無理舎利読ませようとしている。歴史も小説も漫画本で読む時代、みんなが、良いとこ取りの主人公に成りすましているようだ。主人公ばかりでは意地の張り合いで、集団生活はうまく行かない。昨夜も2年生の女の子が「学校嫌い!」と言い出した。「勉強が嫌なの?」の問いに、「勉強は好き!友達が嫌い!いじめられたり、自慢話ばかりするから」と。先日も学童机を持って居ないと言ったらいじめられたらしい。仕方が無いので小2と小4の双子の3人分の学童机を注文してきた。ミカン箱で勉強したのは昭和の僕たちくらいか。つい先日、第二期の道市民税をい大枚7万円強納めたと思ったら、今度は孫から道市民税の倍の税金が来た。それにしても孫が多いと家計は苦しい。学童机も控除対象にしてほしい。
かつての紅顔の美少年?。
今更、中学校の同級生たちに会っても、誰が誰だかわからないだろう。なぜなら、これまで一度もクラス会などに参加したことが無いからだ。以前には田舎に両親がいた頃に帰省すると駅前の友人のお店に立ち寄ったりはしたが、北海道に長く住んでいると本州まで同窓会のためだけに行くわけにもいかない。かと言ってタイミングよく同じ方向に仕事や用事があればいいのだが、これまでにそんな都合のよいことも無かった。同窓会も年々派手になって、最近では高額な会費で有名な高級温泉ホテルなどを会場にしている場合が多く、悠々自適な彼ら彼女らと違って現役でシガナイ働き蜂の僕にはとてもご一緒できる身分でもなさそうだ。だから余計肩身も狭く、例え、会って話をしても、「自慢話」などこれっぽっちも無い。お酒も余り飲めない僕の一番つらいのは、酔っぱらいの「くどい自慢話」だ。相槌を打つだけで疲れてしまう。だから同窓会はこれまで一度も参加していない。皺くちゃのマドンナも、禿げ頭の腕白坊主も見ればガッカリするだろうし、相手だって皺だらけシミだらけの、かつての紅顔の美少年?は見たくないだろう。
気になる同級生。
自分では気づかなかったが、卒業式の日に学校を離れる玄関先で同級生の小柄な女の子が走り寄って来て「誰々さんが好きだったんだよ」?と。えっ?同級生の素敵な女性の事だ。そんな素振りも感じなかったが、偶然にも盲腸の手術で医院に入院した時も一緒に入院していた子だった。しかし、自分は明日はもう、この町に居ないわけで、話だけは聞いて、本人には会わずにその場を離れた。プラトニック・ラブと言うやつか。昔の女性は奥ゆかしいと言うか、自分からプロポーズなどできなかったようだ。その後、なぜか気になって、送られてくる同窓会名簿に目を通すと、なんと未だ独身なのか?姓が変わっていないことが分かった。婿養子の場合もあるかも知れず、理由は不明だが、そんな淡い思い出は、そっとそのままにしておく方がいいと思い、追及もしていない。それっきりで、同窓会にも僕は一度も行っていない。しかし世間は狭く、偶然にも僕の妻とその子は同じ寄宿生活をしていたようだと後で知った。