タブーに挑戦?!
大分に親戚がいる。別府での娘の結婚式を丁寧に撮影していただき感謝している人だ。いつも素晴らしい写真を年賀状に使い、送ってくるセミプロ級のカメラマン。ことしも富士登山のご来光を送ってきた。私と同じ年齢ながら、59歳で奥さんをガンで亡くして一人暮らし。
奥さんのお兄さんが67歳で亡くなって、告別式の日、焼き場での出来事。熱い鉄板に乗せられた、骨になったお兄さんが運ばれてきた。突然、脚立を立ててその上に昇り、全身の撮影を始めたのである。自分の両親をはじめたくさんの告別式にこれまで筆者は出ているが、式に出ていた娘の言葉に唖然とした。そんな話、聞いたことがない。
写真家のアラーキが奥さんの美しい死に顔を写し取ったのは雑誌で見たことがある。しかし、妻の兄の焼かれた全身像をどういう気持ち、どういう料簡で撮影したのか皆目わからない。タブーに挑戦なのか、どこまでも記録として残すつもりなのか。世の中には、不思議な価値観を持つ人がいるとしか言いようがない。
そこに亡き夫の奥さんも横にいたわけであるが、別に注意をしたふうでもなかったと娘は言う。何でも撮影する癖があるのか。元製薬メーカーの営業マンであったから、そういう写真を見慣れていたのかもしれない。いやあ職業は関係ない。カメラ目線はときに残酷と言われる。そういうことなのかな?ガンジス河で遺体を焼いている写真や鳥葬の習慣は見たことがある。
しかし、脚立に昇ってお骨を真上から撮影する人の話ははじめてだ。愛情が深い人だから骨まで愛してるのかもしれない。これは普通、どこでもやられることなのか?ブログ読者の意見を仰ぎたいところだ。私にはタブーを犯しているようにしか見えないが。
骨の立場から意見を言わせてもらえば「いやっ、びっくりした。突然、私のバラバラな骨をあの人は撮影する。私の葬式のアルバムつくりのの最後に、この写真が使われるのは勘弁して欲しい。妻よ、なぜ注意をしなかったか?悲しみにくれてそれどころではなかったかも。ホラホラこれが僕の骨・・と歌った中原中也で、私はないのだよ。遺族の骨拾い風景もまさか写さないだろうね?日本中の写真集で骨の全身像を集めたのはまだないから、まさかその出版を狙ってるわけではないでしょうね」。カメラマンは大きな立派な家に住んでいて、近所に娘さんもおり、きっと大目玉を娘さんから食らうのではと筆者なら思うところだ。
別人28号。
レンズとファインダーを通して見ることはトリミングの世界だ。つまり、周囲のものは削除して被写体とそのわずかな背景しか見ていないことになる。肉眼は本来の自分の目、ファインダー画面はまた別の自分の目になる。カメラを始めると、それも熱中すると、出来上がり画像を頭に浮かべながら想像力が膨らんでくる。誰も撮らないもの、誰も撮れないもの、誰も発想しないことなどを求めるようになる。たとえ、それが常識外れの行為だとしても。まるで別の人格になるようだ。
双子の又従弟。
僕の父方の親戚にキャメラマンがいる。今では東京の写真専門学校の校長に収まっているが、とんでもない破天荒の双子の片割れだった。幼いころは僕もよくいじめられていたが、双子兄弟はなぜか仲が良かった。僕の6つ上の姉と同級生だったこともあって、男勝りの姉がいつも彼たちをやっつけてくれた。そんな双子の一人は装飾デザイナーになって大阪へ。もう一人は大学卒業後に東京本社の有名化粧品会社に入社したが、大学時代から写真に夢中で、サラリーマンをしながら創作活動をしていた。そんな或る時、浅草の仲見世の裏をノーファインダーのローアングルでモータードライブ撮影をして有名な雑誌に投稿。大賞を貰って会社を辞めてプロに転向。彼の作品はニューヨーク美術館にまで作品展示されているらしい。写真専門学校講師時代にも問題教師として世間を騒がせた。母親のヌード撮影を課題に出したり、走っている電車内で超広角レンズを付けたカメラで超接写で人物(見知らぬ他人)を撮ってこいとか、無理難題を生徒に押し付けていた。それも、どれも、彼はできる人間だったからだ。僕の父から聞いたが、田舎に彼女を連れて来て、真冬の雪原に真っ裸に蓑笠つけて走り回らせて撮影していたと。村人たちはあきれ返っていたらしい。伊勢神宮の前で記念撮影をしている写真館のカメラマンのカメラの前に出て撮影して作品として発表するくらいの図々しさは、カメラ好きの僕にも、とっても真似はできない。
無我夢中。
浜の祭りを民宿の二階から撮影していて地元の人たちに叱られた。「神様が通るのに上から見下ろすとは何事だ!」と言われた。祭りも漁師や農家にとっては神事で遊びで、はしゃいでいるわけではない。彼らにしてみれば、かつて棺の上に乗っかって踏み台にして撮影したキャメラ・マンもいたが、それと同様、50歩100歩だったのかも知れない。報道のキャメラ・マンはズカズカと踏み込めなければいい写真は撮れない。そこで度胸がいる。札幌冬季五輪の真駒内アイスアリーナでアイスホッケーを見に行った時、僕はプレス席に潜り込んでアリーナの目線で撮影していた。そこはプレス専用で、迫力画像も撮れるが、あの堅いパックも飛んでくる危険地帯だ。なぜ、そこまでして撮影したいのか?自分でも夢中になればわからなくなる。あの時凝りに凝って、プロ機材を持って居た僕は、すっかりプレス・キャメラマンに間違われたようだ。全日本ラリー選手権の開催された夕張の山中のステージでも300mmのレンズでコーナーを狙っていた。巻き上げられた石が飛んでくる。無我夢中で我を忘れる。ここまで来ると、これはもう、趣味ではなく職業だ。その写真は自分の制作物に採用した。
レンズの反対側。
ファインダーの景色はきれいだ。お気に入りの空間のみ切り取った小さなスペースは、凝縮された世界だ。カメラマンたちは周囲には目もくれず、自分が選んだ空間のみに酔いしれる。何時だったか?道東の西春別の広大な牧場へ自称?プロ・カメラマンを頼んで農業機械の撮影に行った。きれいな牧草地の中に稼働する機械をハッセルブラッドのファインダーを覗きながら盛んにシャッターを切る彼をしり目に、僕は正反対の方向の風景に目をやると、素晴らしい感動を覚えた。カメラマンに付添っては来たが、写真好きの僕はいつも超広角と中望遠レンズを付けたカメラを2台下げていて、さっそくその風景をカメラに収めた。札幌に戻り、カタログ制作に取り掛かった時に自分の写真の中にとんでもない素晴らしい写真があることに気付いた僕は、自称プロには済まないと思ったが、早速表紙に使用することにした。凝縮されたファインダーの中ばかり見ているとすべてが美しく見えるが、レンズを通さずに感動した風景は、写真にしても間違いなく本物だった。プロも職業とは言え、時にはファインダーから目を離して反対側を見るくらいの余裕を持って欲しい。