クリスマスが近くなると町中で流れる山下達郎のクリスマスソングと奥さんのケンタッキーソングですが、興行会社の話です。昨年7月14日掲載。

身を削った仕事師たち

山下・竹内ポス

筆者の寝室。

デビュー40周年になる「山下達郎コンサートツアー」の日程が7月12日に発表された。全国35都市64回のコンサートだ。昔、彼のコンサートを興行していた札幌のS・K社の社長と社会人サッカー仲間で、達郎のコンサートが近づくと「ことしは何枚確保したらいい?」と電話が入った。


事前に私も社内の達郎ファンに枚数を聞いていて「4枚」「6枚」と注文した。もちろん正価で。場所はいつも特等席。会場センターのミキサーの真後ろで音も最高の場所だ。FM局やテレビ局へは数枚のチケットが渡されていたかどうかは定かではない。その彼が52歳でガンで死んだ。山下達郎クラスの歌手がが10人もいて、毎回、チケットが完売されるタレントばかりではない、赤字のコンサートも多かった。それを全体で帳尻を合わせるので経営は楽ではない。お客は金を払って券を買い、見に行くだけでおしまい。そこに至るまでの仕事が大変なのはどの世界も同じであるが・・・・。


元々、お父さんの代から演歌に強い興行会社でもあり、息子の代でも演歌歌手を多数引き継いだ。契約通りのタレントギャラを払い、演奏者へもギャラ、会場費(舞台制作費)、宣伝費、印刷物代金、打ち上げの飲み食い代、ゴルフの付き合い、警備員のバイト代、社員の給与そして自分の給与。全部払ったら、サラリーマンの方がいい暮らしができるよ言われたこともある。見た目の派手な仕事の裏に悲哀も多い。


彼が亡くなるずっと前だが、S・K社員でニューヨークでヒットしたミュージカル「コーラスライン」に魅せられて、東京で上演するなら、何としても札幌でも上演させたいと、N・Yを何回も往復して、交渉に交渉を重ねてついに公演に漕ぎ着けた強者社員がいた。彼の情熱に相手が根負けしたいう噂だ。公演が終わって数か月後、彼は死去した。全精力を「コーラスライン」を呼ぶためにのみ命をかけた人生みたいだ。それを諦めさせず、ゴーサインを出し続けた社長も偉いと思う。


高い入場料を払い見に来る人はその辺の苦労はわからないが、わからなくていいことかもしれない。ただ、目に見えるものの背後にとんでもなくたくさんの人たち、顔を知らない人たちが支えているのだということ。これは何度も反芻しておきたいことではある。もうこの世にはいない人でも、私たちを支えているのだ。


山下達郎コンサートが来ると、柔和なS・K社の社長の顔が浮かぶ。S・K社は今は廃業している。達郎のコンサート前日、舞台つくりのトラックが2台、会場の後ろに止まっている。舞台を作る人たちが働いている。現役サラリーマンのときは、公演前日に必ず会場の後ろを見に行くのが習わしになっていた。小さなイベントを数多くやってきた私の癖かもしれないが、いよいよ明日だというときめきもある。チケットが取れるかどうかわからないが、札幌公演が12月2日と3日。「クリスマス・イヴ」を聞くには最高の季節だ。いまは亡きS・K社の社長に聞かせたい。


今では考えられないチケットの取り方ですが、それとは別に命がけの仕事ができた『コーラスライン』を札幌まで呼んだ営業マンがいたことは記憶したい。興行の世界に限らず、熱意・迫力は国境を越えて通用するんだと思う。自分はとうていそのレベルの仕事をせず、定年を迎えたが、ライフは一つなので、どこかで何かをしたいものである。セカンドライフはない。

40周年ツアーポスター(ニトリ文化)札幌

  1. 裏を観たがる癖。

    僕もコンサートにはいくものの、あまり入り込んで楽しむ方ではなく、舞台裏を観察するのが大好きだ。ジャンルは問わずいろんなステージを見ることにしている。兄が友人(デパートの若社長)と設立した「自由舞台」と言う劇団の公演を子供の頃から最前列で見せられていたが、舞台そのものよりも、興味は準備前の楽屋で遊ぶことだった。大阪時代はちゃんと真正面から、モダンジャズやゴスペルソングやPOPS系やシャンソンやカンツォーネやタンゴやマリアッチやGSもフォークも一通り観たり、マイク真紀あたりの舞台に上げてもらったりして歌ったり、音楽に熱狂もしたこともあったが、ある時期、バンド活動で繁華街のクラブのステージに立った時から、音楽など聞きに来ていない酔客の余興に嫌気がさしてしまった。それ以来演奏側ではなく、観客側に居る事にした。ボンジョビのドーム公演でも仕掛けや照明や音響や録画のやり方だったり、X-JAPANの真駒内では、親戚のスタッフの楽屋での仕事だったり、B’zのステージ組みを観たり、KAT-TUNのムービングステージを支えるスタッフの動きだったり、埼玉アリーナではK-POPのコンサートのやり方だったり、高橋真梨子のステージの演出だったり、演歌歌手たちのステージのバンドの腕前を観察したりトークの面白さを聞きに行ったり、興行師でもないのに裏ばかり見る癖が身についてしまった。素直な持ちで純粋に音楽を聞く気持ちも取り戻したいものだ。でも行けば裏を観たがる癖が、また出そうだ。

  2. 僕は映画を見るときに必ず製作側の目で見たがる。巨額な製作費をかけて苦労して長期ロケをしたに違いないが、例えば広大な西部劇なら電線が無いか?空撮のセスナやヘリの影は無いか?轍はクルマではないか?などと画面の隅々を隈なく探す。またそれを見つけた時の喜びはひとしおで鬼の首を取ったかのように喜ぶ。全く悪趣味だと自分でも思う。そんな曲がった観方は今でも治らないが、最近ではCGが使われすぎて、楽しみも減少している。ガッカリだ。

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