アメリカの飢餓について
アフリカの飢餓ではなくて、アメリカの飢餓についてである。『ナショナルジオグラフィック』の2014年8月号で発見した記事である。2年6ヶ月も前の記事で、アメリカの大統領選挙で、当時、泡沫候補と言われたドナルド・トランプの氏名が出てきていたくらいのとき。副題が~米国に広がる新たな飢餓~で、世界屈指の経済大国で、定職があっても、十分な食事をとれない人が増えている。
2012年の資料で古いが、全米で4800万人の人が食事に事欠いている。アメリカ人の6人に一人は食糧不足に陥っている。1960年代の約5倍、90年代末と比べて57%も増加している。ご存知のようにアメリカには3種類の食事を補助する制度が完備されている。生存の基本中の基本はもちろん食べれることだからだ。一つは低所得層向けの無料の食堂でスープキッチンと呼ばれて、1週間に1回または2回通う人も多い。二つ目は民間の組織でフードバンクと呼ばれている食品を無料で配布する仕組み。三つ目はSNAPといい『補助的栄養支援プログラム』といって、貧しい家庭に国から1ヶ月1万7000円の現金支給をしている。その額も年々減っている。
アメリカは車がないと買い物にも行けないから、車のローンを返したりすれば、働いて正社員であっても、さらに奥さんがパートで働いても子供たちはお腹を減らしている。働いても貧しい。ウォール街で1%の超富裕層にデモをかけた米国人が多数でたけれど、現実は州によってばらつきはあるけれど、『これがアメリカか!』と驚く実態である。日本のマスコミ各社の特派員はいい暮らしを保っているから、こういう情報はフリージャーナリスト(たとえば堤美加さん)が詳しく伝えている。
人によっては、『あんなに太っていて飢餓なの?』と思う人もいるかもしれないが、貧しい生活を送っていると体に余分な脂肪がつくのである。『健康的な食生活を維持するには時間と手間がかかるのである。バイトやパートでその時間がない』。私は、日本の絶対的な貧困女子やシングルマザーについて、フリーライターの鈴木大介さんの本について書いたが、犠牲者はいつも子供だ。日本では、篤志家やボランティアがNPO法人を作って子供たちに夕食を食べさせる場所も増えてる。
3月17日のブログで、大量の食材や食品が廃棄されてる現実も書いた。ただ、余った食品を安く売る(もちろん賞味期限内の)スーパーがアメリカに現れて少しずつ増えてきている。
胃袋は第一の脳であるという人も多い。なぜなら、大脳は発生学的に消化器官から分離していくから、消火器官の子供なのである。悩みがあると平気平気と言いながらも下痢がきたり、お腹が痛くなったり、すぐにトイレに駆け込むのも胃腸は嘘をつかない。大脳は言葉を操るから嘘を言う。お腹が減るということは、実は大脳面や情緒にも多大な影響を与えて、生きる力や知恵を生むポテンシャルを下げてしまうから、長い時間を考えると世界の損失になるのだ。オバマはじめ民主党政権・ホワイトハウスはきれいごとをたくさん言い続けたが、国民の胃袋には届かなかった。したがって、トランプの勝利は、空腹な人々の投票による勝利とも一面言える気がするのだ。
アメリカからの自立。
戦後,アメリカをお手本にして今日まで来た我が国は,まさに「スモール・アメリカ化」してきましたね。アメリカを見ていると近い将来の我が国を暗示させられます。かつては「アメリカ人はあんなに太っていて幸せだな」と思っていたものですが,肥満が悩みとなると「信じられない?」とも思ったものでした。それが,今では,我が国の問題でもありますね。また凶悪犯罪や麻薬の問題や犯罪の低年齢化も対岸の火事と思っていたら,いつしか我が国の問題にもなっていますね。数年の誤差はあれ,アメリカは良くも悪くも我が国にお手本を示してくれています。つまり,アメリカの今の諸問題は,近い将来の我が国の問題でもあると思いますね。そして,やがてはあらゆる諸問題をアメリカを追い越してしまわないかと心配にもなります。かつての中国のように,我が国から見て「20年は遅れている」と高を括っていましたが,経済も公害も既に我が国の比ではなくなってしまいましたが,我が国をお手本にした部分もあると思います。今後は,経済競争で犠牲にしてきた諸問題を解決しながら,他国に対しても良きお手本とならなければならないでしょうね。そしてもう,アメリカの真似ではなく。
苦労知らずの罰当たり。
朝起きると「お腹空いた~!お腹空いた~!」と床を転げまわった幼少期を思い出しました。田舎暮らしで食べ物には有りつけたのですが贅沢は出来ませんでした。サツマイモのサイコロが混ざったご飯に「またイモご飯か~?」とつぶやいて父から叱られたものです。今,思えば当時としては幸せな方でした。都会の子供たちの方が食糧難で不幸な状況だったに違いありません。我が家も元々東京で暮らしていたらしいですが,僕は田舎で育ったので,食生活も田舎が基準だったのでしょう。それも恵まれた隣近所と比べていたに違いありません。当時の僕は親の苦労も知らずに我儘放題でした。食が満たされないと人は不満になって何かのせいにしがちですが,太古の昔から,本来は自分たちの食料は自分たちで調達するのが当たり前のはずでしたね。狩りをしたり,魚を捕獲したり,農作物を作ったり,原点に帰って考えれば,いかに現代人は食のために働かなくなったかがわかります。「稼ぎが無いから食料が買えない」。のでしょうが,ダイレクトに食料を確保できる農業や漁業には従事したがらないのは不思議でもありますね。街中では就職難で人があふれホームレスまで生み出し,田舎では人手不足で,高齢者ばかり。国会ではつまらない口喧嘩の応酬が今日も続くのでしょう。国民の税金を一日一億円使って,口先だけで自分自身の保身のために議員になった人ばかり。国民のためには,何の問題解決にもなっていませんね。まるで幼少期の僕みたいで,苦労知らずの罰当たりばかりです。
急場しのぎ?。
「貧乏人は麦を食え!」と言った人がおりましたが,今や,麦飯は「麦とろ」などとして贅沢品ですね。今は亡きキューバの独裁者カストロは食料自給率の低かった当時のキューバで国民の個人宅の庭や玄関先に作物を植えさせました。こんな簡単な政策で,食料自給率を上げたのです。独裁者だから出来た事とは言え,単純明快な発想で国を救ったのです。まさに「キューバしのぎ」でした。
食の原点。
現代も都会っ子は食の原点である「農業」や「漁業」など教科書の上でしか知りませんね。はじめっからスーパーマーケットで作られていると思ってでもいるのでしょう。肉を見ても,生きた豚や牛を想像もしないでしょう市、魚の切り身を見ても,泳いでいる姿を想像できないでしょう。食はあらゆる生き物のの死そのものです。我々の犠牲になって身を投げ出してくれていますから感謝して頂かなければいけませんね。子供の頃から食の原点を体験させれば,好き嫌いとか食べ残しとか,廃棄も無くなるのではないでしょうか。そして少しでも多くの人々に食料が行き渡り,飢餓を救えるようになるのではないでしょうか。