101年目の孤独(高橋源一郎)
3回目の掲載です。
子供のためのホスピスについて(4月21日掲載・再録)
読んでほしいブログを載せます。子どものためのホスピス紀行。「101年目の孤独」
高橋源一郎さんの本に、イングランド北部のリース市にあるこどものホスピスを訪ねたドキュメント本を見つけた。NHKのスタッフが同行しているので、ある時期にテレビ放映されたのであろうが、私は見ていない。「マーチン・ハウス」という子供ホスピスだ。それまで、ホスピスは末期がん患者が余生をどう生きるのか、そういう施設、考え方を具現化した施設と思っていた。実際、札幌で最先端のホスピスを持つ院長に昔、取材し執筆したことがあって、また、子供のための難病の病院があるから、そこで治療をしているのだろうぐらいにしか考えていなかったからショックであった。
子供を持てば、一度や二度、この子が死ぬのではないかと高熱や原因不明の夜泣きで、救急病院へ運んだ経験があるはず。子供にとって親は命綱だ。仕事は代替が100%きく。別にあなたが社長でなくても企業は回るのだ。しかし、この子を看るのは親しかいない。子育ては大事業だ。親も命がけなのだ。その子が、余命〇〇年・月と判断された子供たちと親たちが暮らす場所が「マーチン・ハウス」。
この本は4歳の可愛い女の子ベアトリスと高橋源一郎の交流、彼女の両親との会話から成り立っている。生後7か月で脊髄性筋委縮症という遺伝病が発症した。父親アンドリューはフルタイムのベアトリスのために介護生活を選んだ。「パパ、わたし、歩けるようになるの?」「パパ、わたし、死ぬの?」「パパ、死んだらどうなるの?」歩けるかどうかについては「わからない」。死ぬことについては「誰だって死ぬんだよ」死んだらどうなるのについては「どうなると思う?」と聞き返すと「みんな、お姫さまや王子さまになってお城がいっぱいある、きれいなところに住むの」「きみがそう思うなら、きっとそうだと思うよ」。
ホスピス滞在取材を終えて、帰国する直前、高橋源一郎・NHKスタッフはマーチンハウスから車で1時間のベアトリスの自宅に招待される。車いすで自由に動き回れるよう家具は撤去して広いリビングルームだ。ドレスを着てベアトリスがお客様を歓迎してくれた。「いらっしゃい」と。ベアトリスは父親アンドリューに一度だけ「私、死ぬの?」と訊ねた。でもそれは一度だけ。「子どもホスピス」の子どもたちは、よくそんな質問をする。たいていは一度だけ。ホスピスのスタッフは「知りたいことは一度でわかる。それ以上、訊ねることが親を苦しめることを、よく知っているからです」。
この施設はキリスト教会とは関係がない。仏教徒でもイスラム教徒でも対応している。マーチンハウスは、多くの死に臨もうとしている子どもたちとその家族がやってくる。時間と場所を与えるのだ。亡くなった後の対処も、スタッフはまず温かい紅茶をふるまい、親たちの「死」との付き合い方を告げる。亡くなった子供の指や足のプリントを親と一緒にとってあげる。亡くなったら、その子供の写真を壁に貼る。この本の表紙は、その小さな子供たちの顔が虹の中に貼られている。亡くなった子供は1600人を超えている。高橋源一郎さんが「世界中が、ここと同じような場所であったらいいのに」「101年目の孤独」(岩波書店)
突然の死。
コーラスの指揮をやっていた事があります。その時優しくておとなしい少女の団員がいました。いつも穏やかな笑顔が素敵な子でした。活動中は僕も真剣でしたし,みんな同じように接していましたので,特にその子に注目もしませんでした。ところが,ある日から彼女が来なくなったのです。風邪などの病気か?程度に考えていましたが,欠席が長引き,忘れかけていたところに突然の訃報でした。何と白血病だったのです。彼女自身はそのことを知っていたのでしょうか?そして,もしも知っていたなら,どんなにつらかったでしょうか。
障害のある子の将来。
義兄の長男は障害児です。児と言うより今や40過ぎのオッサンですね。おまけにカミさんは認知症にかかり二人の面倒を義兄一人で診ています。理屈も通用しない二人への介護生活が長く続いていますが,義兄は感心するほど優しく面倒を診ています。それどころか,僕たちにまで優しく接してくれるのです。昨日も孟宗竹のタケノコをたくさん送ってくれました。釣りの名人で鯛やブリやイカなどもたくさん送ってくれます。自分が大変なはずなのに他人にまで面倒見の良さは僕などに真似できません。障害を持つ子を育てている家庭はいくつか知っていますが親の愛情に勝るものはありませんね。でもその子の将来の事が一番心配なのでしょうね。
seto
障害を持つ親は誰に対しても確かに優しいかもしれません。スーパーで買い物をするお父さん
と障碍者の子供がいますが、静かにふたりの買い物風景を見させてもらってます。気になるの
はお母さんを一度も見たことがないことです。社会に対して、他人に対して優しいのも、周り
回って、自分の子供へたくさん優しさが来ますようにという義理のお兄さんの祈りかもしれませんね。
ホスピスと病院。
外国の方がこの分野では先行しているのでしょうか。日本では病院での対応だけなのでしょうか。無機質な病院なら死と向き合う時間を過ごすことになり,子供の心中は穏やかではないでしょうね。
seto
子供のホスピス専門は、この本を読む限り、ここだけでした。札幌にも子供の難病専門病院はありますが
ホスピス専門ではないと思いますよ。親より先に子供が逝くことは辛いですね。病気でも事故でも。ホス
ピスがある一方、子供の自殺も多くて、そういう子供たちへホスピス見学させると考え方が変わるかもし
れませんね。無機質ではない施設で死を迎えられる、とはいえ、子供の死を想像すると胸が詰まります。
イギリスが相当先をいってることだけは確かです。作者の高橋源一郎さんんも、生まれた子供が難病かも
知れないと医師から言われて絶望に突き落とされた体験を持ってました。結果はセーフでしたが、そのとき
の自分の気持ちから親の気持ちが痛いほどわかったので、この本を書けたのだと思いました。子供にはたっぷ
り愛情は注ぎたいものです。
バカと薬。
自分の子供が生まれる時,最初は「男か?女か?」などと贅沢なことを考えていますが,イザ!生まれる直前になれば,「そこそこ健康であれば,どちらでもいい」と思いますね。親たちは誰しも同じように考えると思いますが,もし障害児や不治の病を持った子が生まれたら?などと準備をする人はいないでしょうね。突然の出来事を生まれた瞬間から突き付けられた親の心中と成長に従って子供への接し方など当事者でなければ語れないでしょうね。我が家には男女の双子がいますが,生まれた時は未熟児で心配しました。今では人一倍元気だけが取り得のような二人ですが,悩みは勉強しないことくらいですから,まだ幸せなのかも知れませんね。「バカにつける薬は無い」などと言いますが,薬を必要としないと思えば出来ない子でも,その程度では悩みのうちに入りませんね。
林間学校。
病気と言えるかどうか?はわかりませんが,以前流行したテーマパークが廃れた時,或る市に提案しました。自閉症や登校拒否症の子供たちを全国から募集して山の中の全寮制の学校にしませんか?と。そこには,おとぎ話に出てくるような光景が広がり,遊具あり,教室あり,池があったり,小さな小屋のような家もたくさんありました。それもそのはず赤毛のアンをテーマに作られたテーマパークだったのです。一般社会の現実から離れた自然の中で,おなじ境遇の子供たちが集まれば,きっとお互い心を開いて融け合うのではないかと考えたのです。市議会で議論されたかどうかは知りませんが実現しませんでした。施設はそのまま放置されて,老朽化してしまったのでしょう。原因は難しい子供たちを受け入れることを拒否する人たちがいたのでしょうか?それとも施設を再生して二匹目のドジョウでもと考えていたのでしょうか?自閉症も登校拒否も治って元気な声がこだまする,こんな山の中の学校がどこかにあればいいと思いますね。森友学園の問題を見聞きするたびに思い出します。
ホスピス構想。
私財を投げ売って,ホスピス的な施設運営をする人がいてもいいですね。それとも市や施設に寄付する方々にお願いしてもいいのかも知れません。いずれも資金が無ければ運営はできませんからね。環境としては静かで自然にも恵まれた北海道などは最適ですね。ビジネス抜きでこんな施設が運営できればいいですね。職員には,まだまだ働きたい若年高齢者たちが引き受ければ成り立つようにも思いますが。全国の自治体に先駆けて実現できれば。
seto
これから老健施設や大学が倒産しますから、そこを利用して使えますよ。職員も再雇用できるかも
しれません。訓練させて。