破砕帯で出水止まらず超難関工事に。

山崎豊子の「白い巨塔」の5巻目を読み終えた。全部で2244ページであった。「サンデー毎日」での掲載なので章立てが短いので、 読みやすかったのだろう。

金沢での学会の帰りに主人公・財前五郎が黒部第四ダムを見学するシーンがある。関西電力のダムであるがゆえに浪速大学は大阪の財界人との交流もあって、現場の責任者が財前教授を案内する。「7年の年月と延べ1000万人の人力を費やし、その上171人の犠牲者が出た」(5巻 140p)ダムであることを聞いて、トンネルの中を歩くと「靴音がトンネルに高く響き、薄暗い灯りの中で、財前たちの姿が、黒い影になって動き、財前はふと、ダム建設の犠牲になった労務者の姿が地底から起き上がり、歩いてくるような不気味さを覚えた。・・・・・今、自分自身が破砕帯に立っているような思いになり、万一、今度の裁判が、自分の人生に挫折をもたらすようなことがあればという不安が胸を掠めた。一体、この不安はどこから来るものだろうか—–、自分自身が予知しえ得ぬところで、何か不測の事態が起こりつつあるのか、それとも裁判と学術会議選が重なって疲れ過ぎているためだろうか、自分としたことが、急にどうしたことなんだーーーー。」(143p)。

 

ストーリーはその不安が的中して、一審で勝訴したものの、自分にとって不利になる証言者が登場したり、二審での財前寄りの証言を180度変える医師が出てきたり、急転して敗訴になり、さらに自ら胃癌になり肝臓にまで転移をしていて、開腹して手術をしようとするが、すぐに閉じられる。胃癌の権威が自ら胃癌で死す。この黒部第四ダムの描写は、静かに財前教授の心象を描いた筆者感動の1ページであった。

 

「白い巨塔」は本来、第1巻から第3巻で一度終わったのであるが(ストーリーとしては第一審で原告敗訴で、誤診で医師を訴える裁判は、プロの医師相手に弁護士が頑張っても勝訴に持っていくのは容易ではなかった)が社会的な反響もあって、「続白い巨塔」を書いたわけで、それが4巻と5巻になる。もちろん地裁と高裁での弁護士同士の弁論も圧巻で、よく山崎豊子さん、医学の専門書と法律の勉強を勉強したものである。そして、どうして彼女が男の心理をこんなに深く掘り下げて書けるのか?男の読者は登場人物の、だれかに自分が似ていると気づく仕掛けになっている。

 

「あの人は気強そうな性格に見えますが、内心は淋しがり屋で、脆いところのある人なんです。それだけに今度の病気に対して独り、いろいろ思いあぐねているのかと思うと、放っておけなくてーー」(ケイ子が財前を診断した里見教授を訪ねて、瀕死の財前を見舞いに行きたいと懇願して吐くセリフ 377p)。里見は「財前を思うケイ子の気持ちが、里見にも伝わった。おそらく財前は、この女性の前では、あらゆる欠点も、弱点もさらけ出していたのだろう。」(同p)一方財前の心の中を山崎豊子は、財前が本当に信頼できた人が二人いて、ひとりは宿敵里見助教授、もうひとりは医専中退インテリのバーのホステス・ケイ子と描いている。救いである

 

「国立大学の現役教授が在官中に死亡した場合は、解剖に付されることが不文律になっているのだった」(398p)。いまもそうなのだろうか?自分の死を悟った財前は、解剖をしてくれる教授へ手紙を書く。大河内教授殿 私屍(しし)病理解剖についての愚見 としたためられた封書。解剖室の壁面に刻まれた「屍は生ける師なり」にのっとって旅立っていった。

 

誤診はいまも続いているはず。群馬大学医学部では、連続の手術失敗でたくさんの死者が出ている。実は筆者も49歳のときに、心臓で倒れて同じフロアの内科へ行き、診察を受けた。心臓の痛みが走ったのである。産業医でもあるから、さらに循環器の医師であるから。するとどうしたわけか、痛んだ心臓の部分を体重をかけて押すのである。見ていた婦長は目をそらした。次の日、近所の循環クリニックへ行くと、即、救急車で手術。一命を取り留めたが、30%の心筋が壊死をした。産業医は赴任したばかりで臨床経験のない医師であったと後で総務から知らされた。国立大学医学部を出で頭でっかちの医師であった。

 

「白い巨塔」を読みながら、裁判すれば勝てた案件ではなかったかと16年前の自身の経験を思い出した次第である。いまもその医師は市内でクリニック経営をしているが産業医は外された。彼に医師としての良心はないのだろうか?一度も私に謝ってこない。

白い巨塔については、5月29日、6月4日、6月5日にもブログを書きました。

全5巻は私にとって鬼門であった。完読できてよかった。

  1. 突然!姿を消せれば幸せでしょうね。

    自ら死を直前にして,自分の死体を解剖の教材にしてくれとは?なかなか言えないですね。できれば動物のように,どこかに消えて誰にも知られず,見つけられずに死んでいきたいと思いますね。我が家で飼った野良猫のトラはそうしましたね。ある日,玄関ドアを開けた僕の足元から外に飛び出して,それっきり帰って来なかったのです。家に帰らないなんてことは初めてでした。どこを探しても居ませんでした。それこそ「天に召された」とでも言うのでしょうか。さすがにトラの残した子供たちのうちで,我が家で飼った二匹の猫たちは家の中で家族に看取られて亡くなりましたが。トラには死ぬまで野生本能があったのです。僕は葬儀で最後に御棺を覗いてお別れするのが大嫌いです。自分もそうして欲しくないからです。第一,葬儀そのものも自分には要らないと思っていますから。完全に燃やして骨など残さないで欲しいと思っています。お墓も要りませんね。田舎の両親のお墓にもなかなかお参りに行けません。お墓に御骨を残すより,子供たちの心の中に思いを少し残してくれればそれでいいですね。

    • しかし、どうにも人間の死は誰かのお世話になりますから、なかなか理想の去り方、閉じ方はできないのが悔しい
      ところです。写真と思い出が残されればそれでいい。自分の両親も妻の親も写真を4枚飾ってるだけでこれでいい。
      写真を見るだけで様々な思い出が出てくるから不思議です。10年ぶりかそれ以上だと思いますが、いまススキノ
      のスナックから帰宅。そこでもどういう葬式がいいのかという話題に終始しました。そのまんま焼き場へというのが
      50代以上の共通認識でした。10年ぶりのススキノでした、社長に誘われました。役員会の帰りでした。

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