「敬語が使われなくなったらこの国はおしまいだね」という「ノーカントリー」という映画。保安官のトミーリージョーンズの言葉を前のブログで紹介した。「内田樹の大市民講座」に、敬語に関する、いい文章があって、全文紹介する。内田さんは「コピーフリー」の立場。どうぞ自由に自分の本は承諾なく利用してOK。大学入試に引用される回数が多いのもうなづける。言葉は社会の財産で個人の私有ではないく、公共物だから誰が使用してもいいんだよという立場でわかりやすい。その結果、インパクトある文体でもあり名前も売れるから、結果的に本がよく売れる。「勝手な使用はまかりならない」と但し書きのつくハードルの高い本のほうが売れないかもしれない。


●(小・中・高の)教育現場で感じたのは、現場の先生たちの言葉づかいが思いのほかに「きつい」ということである。

●先生たちの中には、ふだん子どもを相手にしているせいか、たたみかけるようにテンポが速い話し方をする人がいる。ご本人は気づいていないだろうが、聴く方には「威圧的」と感じることがある。教師同士の「仲のよさ」をアピールしようとブラックな皮肉を言う人も多い。たぶんかなり非礼でも許し合える関係を親密さの表現だと解して欲しいのだろう。けれども、子どもたちが対話の作法を学ぶのはしばしば教師が子どもに向ける言葉からであり、教師同士の会話からであることは記憶しておいた方がいいと思う。

●「敬語の使えない子どもが多い」という嘆きをよく先生方から聴かされる。私も同感である。敬語は一種の「外国語」である。「浴びるように」聴くことでしか身につかない。敬語を習得させようと本当に望むなら、子どもたちが「浴びるように」敬語を聴く場を作り上げるしかないだろう。現代日本の家庭で夫婦親子が敬語で対話することはまずない。ホームドラマを徴する限りは(あまり見ないけど)そうらしい。だとしたら、学校以外のどこで子どもたちは「敬語を浴びる」経験を積めばよいのであろうか。(2010年4月5日)


敬語を外国語としてシャワーのように浴びる経験をした人としなかった人では、その後の人生に賢く対応できるか否かに差が生じる。これからの時代に長く生き延びるためには、大事なスキルが敬語だ。乱暴な言葉遣いには乱暴な友人しか出来ない。まずは家庭で夫婦間で敬語を使いあうことが、他人行儀かもしれないが必要なことかもしれないが、筆者は残念ながら失格である。親戚に教員が多いので内田さんが言う「威圧的」(教師本人は気づいていない)な感じは、正月三が日集まる妻の本家でよく感じていたことである。親戚の中で例外的な仕事(営業職)をしていた私は座持ちや話題提供者に終始して疲れた正月を思い出した。腕組みをして「早くこの場を離れたい」教員や説教に終始する教員。私を対等なひとりの大人として遇する敬語は使われなかった気がする。

  1. 敬語環境は一貫していなければ,身につかないでしょうね。日本古来の作法を大切にする茶道や華道,舞踊や古武道など稽古事を体験していれば,行儀作法とともに敬語も自然と身に付くでしょうが,敬う言語(敬語)とはお互いがリスペクトの関係に無ければ成り立たないでしょうね。親子の関係でも友人の関係でも同僚や同級生の場合でも敬語環境が整っていればいいのですが,親しくなればなるほど敬語は忘れられた存在になっています。核家族化で祖父母との接触も無く,親子はまるで兄弟姉妹か友達のような関係になりましたね。それが新しい家族の関係のような風潮が敬語環境とは程遠い現代社会に変わったのではないでしょうか?

    • 敬語環境は、できにくい社会になってます。スマホやメールは短いメッセージですぐに返す習慣の人がいて不愉快な
      日本語の洗礼を浴びました。とくに『あざす!』にはまいりました。何かをおごると言うのです。白い恋人を『しろこい』と
      略してみたり、『こうしなければいけないの?』を『それ、マスト?』と聞いて来たり、丁寧さがどこかへ飛んでいきました。
      それはすべて第三者がいない、おれとお前の関係だけに特化した日本語でヤクザとそれに類した新興宗教に現在も生きています。
      相手に不快を及ぼさない日本語教育を小学校1年生からしてほしいものです。そうするとイジメも減ります。

  2. トカゲのしっぽ切り。

    昨日も女性国会議員が「暴言」と「暴力」で辞任させられました。まるでヤクザの「恐喝」と同じですね。相手が秘書とは言え,年上の男性に運転させていながら恐喝言語で後部座席から暴行を加えるなど,東大やハーバードで学んだエリートとは驚きですね。これも,弱者を踏みつけてもトップを目指す詰め込み教育の弊害でしょうか?安倍首相が選挙カーから連呼して初当選させて二期目の議員だけに,安倍氏も,女性を見る目が無かったと言うことでしょうか?。学業優秀ばかりが人格ではありませんね。「口は災いの元」と言われる通り,言葉の礼儀をわきまえなければ,最後は自分に返って来ると言うお手本のような話ですね。それにしても自民党も「トカゲのしっぽ切り」で,さっさと逃がしましたね。

  3. 廻り諄くご丁寧な敬語でなくて,最低限の敬語でいいですから,お互いが気持ちの良い距離に居たいですね。或る職場で軍隊調の「おい!お前!」と言われた経験から,自分は絶対に使いたくないと思いましたね。「おい!お前!」が口癖になるとどんな場所でもわきまえずに出るものです。或る時,夫婦で外出時に,そんな上司に出くわしました。私たちを見つけるなり,いきなり「おい!お前!何してるんだ?」と。妻や子供の前で言われれば,家族も傷つきましたね。「何?あの人?」と憤慨していました。私も家族の前で恥をかいたものです。言われた方も傷つきますが,言った本人も人格の無さを露呈している訳ですね。「やぁ!今日は!お買い物かい?」と言われていれば,こちらも笑顔で返せたのですが。

  4. 浅草の老舗の女将さんは、電話口に出ると、「これはこれは、いつも手前どもをお心にお止めいただき、誠にありがとうございます」というようなセリフが、スラスラと出てきます。こういうマネができません。言葉だと卑屈にも見えますが、実際に聞くとごく自然でいやらしさがなく、老舗の風格と相手の善意もストレートに伝わってきます。日頃からしゃべり慣れてないと、敬語は難しいですね。

    • 電話では気持ちよく喋る人はいますが、「いつも手まえども云々・・」と喋る人には会いません。商人の言葉では
      あるのでしょうが、ショックですね。そういう文化が今も息づいているとは。落語では亡くなった古今亭志ん朝の
      話法が大好きですが、乱暴でいながら愛情・相手を敬う心遣いがあって、落語家の家庭で話されていた家風が垣間
      見えて、談志などは「彼にはかなわない!」と。品・育ち・家庭環境。これは努力ではなんともっしがたいものか
      もしれません。

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