キレない人間になるための3つのこと。
キレない人間になるための3つのこと。
3月31日と4月1日に「キレる老人」のことを書いたが、キレないためにはどうしたらいいかという話だ。イエスは高利貸しの営みを見て、キレて(私にはそう見える)テーブルをひっくり返した。おシャカさんも何度もキレたことがあったろうと思う。筆者が床屋から帰ったら、キレないための古来からの処方箋について、知人からメールが入っていたので掲載します。クレーマー増加の記事も多いけど、キレる老人の本や特集、最近では中高年の男女まで書かれている。しかし、こうすればキレないよという日常の訓練もあるので、紹介する次第だ。食べる食品でも、青野菜を増やし、ジャンクフード減らしなさいとかアドバイス記事もあるだろう。今日は月曜日。キレることのない1週間をお過ごしください。
カッとなるというのは脊髄反射なので、誰も止めようがありません。
お釈迦様だってイエスだって、しょっちゅうムッときてたと思います。
問題はその次の発言や行動が、制御されているかどうか。
武道を経験すると、脊髄反射が怖いということを教えられます。
人は恐怖すると、身を縮めて腹や胸を守る防御姿勢をとってしまいます。
これは自動的な動きなので、直すことはできません。
攻撃者は相手を驚かし、一瞬ですが硬直した相手に技を仕掛けます。
驚いた相手がどういう姿勢をとるかわかってるので、技は簡単にかかります。
真正面から大声を出して襲いかかる技は、隙だらけのようですが
実は理にかなっています。武道の技は、基本的にふいうちです。
そこで、もし自分が突然の攻撃に驚いてパニックになっても、
無我夢中で動いても自然にダメージがすくなるような
動きの型を繰り返し練習して体に染み込ませるわけです。
周囲の人が見れば、敵の動きを予測したか、
落ち着いて反応したように見えても、当人の頭の中は大混乱。
でも、対処できたなら、自分が驚かなかったかのように振る舞います。
そうすれば、新たな襲撃者が諦めるかもしれないから。
昔の人は武士に限らず、脊髄反射で売り言葉に買い言葉をやってしまうのが
どれほど危険かわかっていたので、いろいろな修養の道を探りました。
商人や僧侶になると、一日中床に手をついてなんどもお辞儀させられるのは
体に染み込ませるためです。茶道などもそうでしょうね。
精神は体についていきますから、内心は煮えくり返っていても、
そのまま反応してことをこじらせないようにする訓練ですね。
これは知能指数が高かろうが知識があろうが、関係なく
訓練したかどうかで、キレるかどうかが決まります。
現代人は、一度も床に手をついてお辞儀したことのないような人がいます。
まして、優秀だ、リーダーだと持ち上げられて生きてきたなら
ちょっとでも職場を離れたり、立場が変わって押さえつけるものが
なくなったら、簡単に爆発してしまうでしょうね。
そういわれると、生き延びる知恵について書いていた人がいて、1番目は「丁寧に生きること」を挙げていた。自ら生きる上で、むざむざと敵を増やさない知恵とでもいおうか。それは、買い物をするときも、地域で生きるときも、仕事場でも家庭生活を営もうと、教師が生徒に対峙したり、教え教えられたりするときにも、共通の知恵かもしれません。その丁寧さが、昔も今もお辞儀に出てるのかもしれない。2番目は簡単そうで一番難しい「お先にどうぞ」という生き方をする。出世も電車・地下鉄乗車もエレベーターも。とても楽な生き方になりますよ。キレることがなくなります。誰からも喜ばれること請け合いです。その代り、給与が少し少ないかな。筆者はこの選択を50歳(心筋梗塞発症後)から実践してきた。3番目は「何事も絶対●●だと思い込まない」。科学の世界でも新発見で法則・考え方が変わる時代だ。それでも同じ歳の妻の口撃に我慢の限度でキレることが1年に2回ほどある。修行不足だ。情けない。自分ができないことを人に説くとは100年早いか?
遠回りだけど試してみる価値はあると思う。
災いは口から。
或る「一言」を吐いただけでキレた。なんて経験はありませんか?。人は皆,感情の生き物ですから,その時の環境や状態で言動も変わったりしますね。昔々の青年の僕の経験ですが,或る工場でアルバイト中に巨大なスチームローラーの間隔を調整するための道具であった相当重い鉄棒を調整ハンドルに差し込んで,思い切り力を入れて回した途端,鉄棒が外れて自分の足の甲に落下。息が止まるほどの痛みにうずくまっていると,隣の同僚が「それをやる奴は皆んなアホや!」と吐いた。僕はとっさに反応して足の痛さも忘れ,そいつの顔面に一発くらわしてしまいました。生意気なそいつは不意打ちを食らって「覚えていろ!」と捨て台詞を吐いたが,反撃はして来ませんでした。その後は気まずくなって,その仕事は,僕の方から辞める事になりました。「吐く」と言う文字には「口」と「プラス」と「マイナス」があって,言葉遣いも「マイナス」を無くせば「叶」と変化しますから,日常の会話にも,マイナス要素を失くして,キレて相手を傷つけないように心がけたいものです。血気盛んな昔々のお話でした。
赤胴鈴之介。
剣道をやっていましたが,面を打つと見せかけて,小手を打ったり,突きをしたり,捨て胴を打って逃げるなど不意を打つ技ばかりでした。技の前には奇声を上げていましたが,有段者の指導者の中には,とんでもない素っ頓狂な声を上げる方もいらっしゃいました。あの声だけでも驚いてしまいます。強いと見せかけて相手を威圧する人。弱いと見せかけて実は強い人など様々でした。短い竹刀と長い竹刀を操る二刀流の巨体の有段者も居ました。剣道は一般的なスポーツや格闘技の中でも礼儀作法だけは他と違っていました。離れてから分かったのですが,攻める場合は不意を狙いますが,受け身の場合はあらゆる場面を想定して相手の攻撃をかわして隙あらば一瞬の技を出すと言うことです。引くときは引いて我慢するなど,人との対話にも通じるものがありますね。がむしゃらに対抗意識だけでは単なる喧嘩で,お互いのためにはならないと言うことですね。
小言コウベイ。
血圧が高めで,降圧剤を服用していますが,イライラすると周りから「クスリ呑んだ?」と言われます。そんな時には「僕は今,イライラしていたんだ」と反省しながら忘れていたクスリを呑みます。イライラばかりしていれば体に悪い事は分かっていても,つい「売り言葉」を「買ってしまう」事もしばしば。反省しきりです。年を取るとキレやすいと言いますが,キレると言うほどまでは行きませんが,何かにつけ気になって「小言コウベイ」になりがちですね。他人の悪い所ばかり気にしないで,長所を見つけるようにしようと改めて反省しています。しかし(?)世の中にはとんでもない人が多いですね。(反省の色なし?)
隣の芝。
柔道部のいかつい主将にトランペットを教えて欲しいと頼まれました。彼もステージに立ちたいと言うのです。交換条件を呑んでもらって毎日,少しずつ教えました。僕の交換条件は主将直々に柔道を教えてもらう事でした。いずれも「隣の芝は青い」ですね。お互いカッコよく見えたのでしょう。最初は音階の指使いを教えて,その代わりに投げ飛ばされた時の受け身を習いました。しばらくして主将の彼を1~2回ステージに立たせました。もちろんセカンド・パートです。僕は柔道の試合には役不足で選手としては出れませんでした。彼のトランペットは肺活量のせいか?やたら大音響で演奏の輪を乱しました。裏方のセカンドが前に出過ぎたのです。言葉と同じで,聞く耳を持たないで一方的にまくし立てても聞く側としては不快ですね。聞き手をキレさせない会話は正に音楽と同じですね。