捨てるもの、拾うもの、落とすもの。
捨てるもの、拾うもの、落とすもの
貧しい育ちなのか、札幌近郊の駅前に住んでいて、貨物列車がたくさん通過。その振動で山のような荷物(石炭や大豆)が線路上にポロポロ落ちて拾ったものである。大豆はフライパンで炒めて食べた。お店のオープンのチラシは空から降ってきて、カラフルな色合いの紙に魅せられて、だれがどのくらいの枚数を拾うか競ったものである。金紙や銀紙を拾うと羨ましがられた。中身は何月何日何時にスーパーがオープン、野菜屋が開店のニュースである。道路を走る車も少なく、道路も遊び場であった。鉄や空き瓶(ビール瓶が高い)も廃品回収に持っていくと5円10円の小遣いができる。そうした小学生低学年時代の癖が、この年齢になっても治らない。
落ちているもの、捨てているものが気になってしょうがない。先週は、北海道庁の南側の街路樹の下の雑草でキラリと光る金属を発見。手にとって見ると婦人用の時計であった。落としたというより捨てた感じがした。せいぜい1000円か2000円だろうと思い、近くの交番にも届けず、自宅に持ち帰り、ブランドで調べると2万9000円の品。ペアで昔売れたセイコーの商品であった。妻もびっくり。普段は『何でも拾ってくる癖、いい加減にしたら』と言われていた私も鼻高々。『きっと彼氏と別れて、思い出の品をエイっとばかり捨てたんだよ』という結論になった。捨てる人いれば拾う人ありである。この時計は、来週、大分在住の娘が『欲しい』ということで、妻が運ぶことになっている。これって泥棒になるのかな?
私も団地内の日本庭園で後ろポケットから1万円札を落としたことがあって、風の強い日であったから諦めた。帰宅電車の網棚で家族に買ったケーキ5個も忘れたこともあるが、家族にも言わず、駅にも電話せずじまい。落とすといえば会社支給のポケベルは3本紛失、雪の中に落としたらもうアウトである。始末書を何度も書いた。傘や手袋、マフラーはきりがないほど無くしている。仕事の書類(企画書類)もどこかに消えて、連絡がない。昔、電話BOXにはビジネス手帳が忘れていた。連絡先があれば電話したものである。ときどき自宅の電話番号を忘れるときがある。相当やばい大脳になってきている。私は2階で贅沢に3部屋を使っている。子供が巣立って彼らの部屋を占拠している。しかし、本やオーディオはほとんど捨てた。所蔵の9割の図書は市立図書館の不要本BOXに繰り返し運んだ。
物は買うより捨てるほうが難しい。家も車もきっとそうだし、広い空間を確保するために白い壁だけのシンプルライフもどうかと思うが、ミニマム暮らしが流行らしいが、そこまで極端でなくても通販のアマゾンで買えば、ダンボール箱をヤマト運輸が運んできて、捨てるダンボールが増える。中国での通販市場で使用するダンボール量が激増して、ダンボールの取り合いになっている。スーパーの横に『自由にお持ちください』と折りたたんだ使用済みダンボールがあるが、使えばまた捨てる。
しかし、私が死んだら、自然葬で山林に骨を捨てて欲しい願望を家族に出している。東本願寺管理の納骨堂には入りたくない。最近は地方自治体で集合葬の墓地もあり、7万円で入れるというから便利だ。先日、ガンから生還した人と話して、焼き場まで部屋から直送する話をしていた。『捨てるもの、拾うもの、落とすもの』というテーマのブログであったが、オチは結局、自分の死への準備の話に収まる。そんな年齢だ。
奇遇な忘れ物つながり。
捨ててあるものを拾うのは罪にはならないでしょうね。ただし,落としたものを拾って私物化してしまえば罪になるでしょう。でも,落とし主が届けでなければ,捨てたものか?,落としたものか?の区別はつきませんね。いずれにせよ,名乗り出ない限りは捨てたものも,落としたものも同じですね。僕も,昔々神宮へ初詣に行って吹雪の中で境内に入る前に1万円を見つけた事がありました。拾ったのではなく,見つけたのです。お正月からご利益があったと喜んだものです。ところで,電話BOXにシステム手帳を忘れたのは,実は僕ですよ。明るめの黄土色の皮の手帳です。北4条の西1丁目あたりの電話ボックスでした。会社に戻ったら連絡頂いて貰いに行きました。あの時は助かりました。客先から預かっていた写真原稿(4x5ポジ)も入っていましたから。今でも感謝して覚えています。ポケベルの時代で,一々車から降りて公衆電話で連絡していましたが,超多忙になるとつい先を急いで,電話機の上に忘れたんですね。改めてお礼申しあげます。
リサイクルな暮らし。
中学の通学用に,中古の自転車を手に入れて自分で緑色のペンキを縫って荷台を外して乗っていました。自転車やの叔父さんとは顔見知りでパンクもタダ同然に直してくれました。高校でも中古自転車を千円で買って来て新聞配達のアルバイトもしました。大阪では急な高台へ毎日自転車で通いましたが,帰りは良いのですが,往きはチェンがキレるほど過酷でした。札幌で所帯を持ってから間もなく,貧しい時代には扇風機を拾って来て,猛暑の夏を快適に過ごしました。昔はリサイクル生活がすっかり身についていましたね。あの頃から比べれば今は全体に贅沢すぎますね。
気持ち良く届けたのですが?
財布を拾ってテレビ塔前の大通り交番に届けましたが、手続きに非常に時間がかかって、仕事に支障をきたしました。あれ以来、交番に届けることはやめました。と、言っても、大金を拾ったり、貴金属などの貴重品を拾ったことは有りませんので誤解が有りませんように。
捨てる毎日。
子供の頃には、ガラクタ集めが大好きでした。木箱にビスやナットや針金やら変わった石ころまで、何でも集めて、親に叱られてばかりいましたね。今は捨てるばかりです。
ゴミステーション。
今朝は、ビニール類を捨てる日。ゴミステーションには山のようにビニールゴミが積まれていました。ゴミの量は、雑紙の日とビニールゴミの日が一番多いです。ペーパーレスとかダイオキシンが問題視されていながら、ムダな過剰包装などは健在?のようですね。このゴミだけは、収拾車以外、さすがに拾って行く人はいませんね。