(日本会議の研究)をペラペラ読んで。
菅野完「日本会議の研究」を読んで。
現安倍政権の閣僚や議員や閣僚に「日本会議のメンバーが多い」とは週刊誌や新聞に書かれているが、いったい「日本会議って何?」を菅野さんが、源流を1960年後半の大学紛争(学生運動)のアンチとして活動していた長崎大学の活動家に至るまでを書いた本。そういえば、あのころ活動していた(圧倒的多数はノンポリであったが)運動家たちは、就職時期になると長髪を切って背広を着て、会社訪問へ向かった。
当時、卒業予定者へは分厚い「リクルートブック」が自宅に送られてきて、同級生は何社も内定をもらい、悩みは「どこの会社にするか」だけであった。しかし、考えてみると私の世代は中学50人クラスで大学へ行ったのは8人、中学で就職5人。残りが高校進学で就職という内訳だから、大学紛争といってもその時代の雰囲気を体験している人は少数派である。
そういう前提で「日本会議の研究」を読んでみると、当時、長崎大学で全学連が掌握していた自治会を民族派が短期間ではあったが、勝利した事件に関わった学生たちが、以降、生長の家の青年部に所属して、政治活動を積み上げてきたことがベースにあった。当時の学生運動経験者は、企業や役所からリタイアし、年金生活をエンジョイしているなか、『日本会議』のメンバーは細く長い活動期間を経て、現在に至る。理念については本書をお読みください。
生長の家は、谷口雅春氏の提唱する新興宗教で『病を癒す、治す』宗教として知られ、主著『生命の実相』や婦人部の『白鳩』青年部の『理想世界』などがあってカリスマ的な人らしい。脳腫瘍を患い、回復した親戚が、そういえば『白鳩』を自宅に置いていったことを思い出した。どの文章も読んだことはないが(超苦手な世界だ)きっと平明な文章で体験談が書かれているはずだ。『信じてよかった』と。生長の家はある時期に、政治的な活動は止めたのであるが、なお政治活動を続ける一派を菅野さんは生長の家の原理主義者として描いていている本である。最初は神社本庁などが深く関わっているような記事も多かったが、深さから言うと50年前の学生運動にアンチを唱えた同じ大学生が源流であるという話であった。反左翼、反インテリ、靖国参拝ゴー、戦後憲法の改正。この本の別な読み方があるかもしれないが、とりあえずきょうはここまで。