ぶらぶら発見物語。
ぶらぶら発見物語。
集団(個人世界)の雰囲気づくりとしてのブラブラする人。意図せぬ暇が生じて困ったなと思い町をぶらぶらする人って大事だなあと思うこのごろ。なんでも効率と省力化が第一と洗脳されているサラリーマンや経済人や人々の言葉遣いや人事と儲け話が横行する中で,あえてぶらぶらすることの大切さを少し語ろうと思う。
ぶらぶらって何?と聞かれれば「いまいるところから、少し離れて、外から自分を他人のように見つめたり、全然、会社や今の仕事と関係ない話題に好奇心を発動させて、結果的に既成観念に覆われた五感を磨くとか、いい女やお洒落な流行に流されない男はいないかと探してみたり、どういうファッションや色彩を若い人は選んでいるのか。口紅に赤が多いのも妻が教えてくれた。なるほど多い。新しいお店が開いたり、閉じたり。新しいお店があればメニューや料金を眺めたり、映画や演劇・コンサートで面白いものはないか情報コーナーを回ったりする。
しかし、なんといっても一番多いのは、40年間、町ブラで営業をしていたから、知り合いから声をかけられたり、かけたりして立ち話をする時間の多さだ。綺麗なトイレの場所にも詳しくなった。
ある目的のためだけに移動する出張の人たちも町ブラをお勧めだ。時間の経過とともに、仕事以外で出会った出来事が後々、楽しい思い出やアイディアの種になるだろうし、その職を離れてもいつまでも生きる。学生時代は古本屋をのぞいて時間つぶし、希少本を発見したこともある。ヴィリエ・ド・リラダン作「トリビュラ・ボノメ」(渡辺一夫訳)白水社(昭和22年版)。書棚から久々に取ると奥付に値段が8500円。「未来のイブ」を知っていたのでリラダンに飛びついた。しかし、当時、この8500円という大金を筆者はどうして工面したのか思い出せない。油紙で装丁をし直している。アルバイトの大金が入ったか、特別奨学金も自宅からだと月に6000円支給の時代。それにしても丁寧に糊付けをしていて手にすると、学者になったような気分になるから不思議だ。
金沢をぶらぶらしていると犀川の美しい川べりを発見、向こうに忍者屋敷が見えて、札幌の豊平川の向こうに武家屋敷を置いた景色を妄想したものである。歩いてみると何に出くわすかわからない。北大構内を歩いていると「ポプラ並木はどこですか」と聞かれて「暇ですから案内しますよ」と観光案内を買って出た。次に大通り公園を案内して「お礼に何かしたいのですが」「雪印パーラーでアイスクリームでも」と言い、パーラーで食べて、「じゃこの辺で」と別れた。「名前とご住所でも教えていただけませんか」「いや、名乗るほどもものではありません」。福岡から来た小柄な可愛い短大生の一人旅に関わりを持った。いま考えるとかっこ良すぎた、臆病過ぎた。
暇な人は全方位外交ができるから便利だ。五感が天地・地下・四方八方・時空を超えて過去・現在・未来へ飛べるのだ。こういう人が、職場にたくさんいると喧々諤々、楽しい職場になり、活性化すると思わないだろうか。遊ぶ人は仕事を何倍も良くする。そういう信念が40年の営業で培った。ただしゴルフや飲み会はいけません。仕事の延長にしか過ぎませんから。いい思い出は、歳を取っても生きる糧になる。亡き母は、神戸港で「貴方に上げると言われて、通帳と印鑑を渡され、海軍兵で戦死した。」父のお通夜の晩に私にされたときはショックであった。通夜の晩に、連れ添った父ではなくて初恋の彼のことを思っていたのだ。大阪ブラブラ暮らしのときに出会った人である。父も辛かっただろう。
昔、昔の少年。
知らない処をぶらぶらするのは楽しいですね。知らない人と知り合いになるのも楽しいですね。同じ趣味仲間もいいですが、自分が知らない全く違うジャンルの人の方が興味は湧きますね。若い時には冒険もしましたが、歳とともに臆病になって何事も慎重になって、チャンスを失くしてしまったような気がしますね。
seto
まだまだ頑張って好奇心旺盛にお互い死ぬまで生きたいものです。同業者より、全然違う仕事の人たちが面白いです。同感です。
昔の少年。
昔、若い頃には高価な洋書や高級カメラなどを買いましたが、考えてみれば、あの当時は余裕があったんだなと思いますね。景気も今程落ち込んでいなかったように思いますね。給与もそれほどではなかったように思いますが、何故でしょうね。
seto
夢が買い物行動に無理をさせたとも言えますね。未来は青空でしたから。安い給与もだんだん上がっていきましたし。