国民の3つの義務について
いまさらなんだよと言う人がいるかもしれないが、日本国民の三大義務というものがある。私が生まれたときにすでにあった法律なので仕方ないが(1)教育の義務(2)勤労の義務(3)納税の義務だ。義務教育を受けて、働いて、税金を納めなさいという流れである。学校へ行きたくない、勉強嫌い、働きたくない、税金なんて払いたくない。国民の本音はひょっとしたら反三大義務かもしれないと思えるときがある。教育を受けて成績が多少良くても、大学へ行くとなると親の金負担を強いるし、自分は奨学金を借りて、働いた時から借金返済で社会人スタートだ。加えて住民税や健康保険も払わないといけない。理科系であればほぼ6年間で文化系より借金増大する。教育の義務を果たしても、勤労は借金を返すため、さらに納税が追い打ちをかけるから相当に高い給与の企業で勤めないと豊かな楽しい暮らしはできない。子供でもわかる理屈だ。筆者が以前、勤務した会社は高卒が大卒より給与が高い会社であった。年功序列だけで給与があるとこうなるが別に人間関係に支障はなかった。親の仕送り額がどんどん減って、筆者の住む団地にある専門学校は「もう授業料を払えないから退学したい」旨の学生が出ると「学校で授業料は肩代わりするから、働いてから返済して構わない」と諭すそうだ。学校が金融会社の手先になっている。私が国立大学生のころ授業料は1か月1000円で幼稚園より安かった。1年で12000円。現在は年額57万円で約50倍になっている。親の役割は子供に教育費をかけること食べさせること住宅ローンを払えば、もう共稼ぎをしないと生きれないところに追い込んでいる。共稼ぎをしても税金を取られるわけで、大学生も返済、お父さんも住宅ローン返済。人生っていったいローンを返すために生きて、追われば屍か?要は大学での学費を限りなく下げていく方向を取らないと、学生は勉強よりバイト(雇用の確保?)になり、勉強ができない。大学の職員の給与を調べた(聞いた)ことがあるが、私大であるが潤沢で夏休み冬休みがあって多忙は試験期間と学生集めのための高校への営業くらい。文科省の補助金と学生の親たちの労働の糧(かて)をもらっているとしか見えないときがある。私立も国立もとりあえず授業料半額を提案したい。
匿名
昔は、大学へ行ける人は金持ちの子だけでしたが、今では猫も杓子も親の負担は当たり前。借金してまで、まるで大学が義務教育のような考えですよね。ところで、大学入試もこれだけ不正があると、まじめな人間が馬鹿を見る社会になってしまいましたね。裏口入学は大昔からの慣例とは言え、親のツテで政治力でも無ければやってられませんね。一部のスポーツ判定でも試験でも、今の時代に、だいたい人間が採点するシステムそのものが古いですよね。細かなニュアンスの文章の解釈や理解度に難しい部分もあるのでしょうが、A.I.の時代などと言いつつも都合良く活用していないところに問題が生じるのでしょうね。採点も機械化すれば余計な感情やサジ加減も無く公平な結果になり、発表も人の手を介さずにクリアできますね。なぜ?システム化しないのかは?大学側に好都合だからなのでしょうか。それにしても、そんな大学生活を終えて社会に出て役に立つのでしょうか?。就活も親や知人、大学の先輩のコネクションなのでしょうね。自分の人生ですから、他人が口出す事でも有りませんがね。
seto
おはようございます。4時くらいから頭が冴えてきて考え事をしていたら2時間たってました。自分のライフワークについて考えてました。1月2日ですし。全道各地の自治体や観光関係の担当者の話を聞く機会があって、はっきり言って座して死を待つ感じですね。自分から全然、打って出ず、ただ道や国から補助金目当てに当座をしのぎ、一番肝心の店の経営や客への接触に第三者機関を作って丸投げをしているところが多すぎて、これじゃダメ。根本的に考え方を変えないと。で、どうしたらいいのか朝から考えて眠れませんでした。ブログ内容の件に全然、関わらないのですが、大学生活についてはもう親は国庫か奨学金頼み、また祖父の資産頼みですね。大学もテレビ局に似ていて、権利あれど中身(ソフト)少ない世界で、職員だけが高給をもらっているみたいなところです。メヂァ採用も体育会系重視で、縦関係に敏感な諸君、歓迎です。人間の能力の5%くらいが入試や偏差値で、残りはブラックBOXで、礼儀であったり、独創的な発想や、読書量や、友人関係は全然,測れません。採用する大学側の職員も一度、こういう内容について再試験をして、合否を決めたほうが面白いかもしれません。ここは安定終身雇用が通例になってます。
昔の少年。
元旦の朝、我が家の4人の孫たちに、雑煮を食べる前に家長として挨拶をしました。今年の大きなテーマは「自己管理」です。
具体的には①一日の時間を自己管理 ②身辺の自己管理 ③経済観念を持つ でした。お年玉を期待して「ハイ!ハイ!」と聞いていましたが、右から左へ受け流しそうなので紙に書いてボードに貼付けました。果たしてその結果はと最早心配です。現代社会では子供が自由すぎる傾向があります。自由奔放などと野放しにすれば、親や家族にしわ寄せが来ます。子供の頃から贅沢すぎる暮らしが身に付いてしまえば、社会に出て自活さえ出来なくなるのでは?と思うからです。勉強しない、自分の事は全て家族任せ、電気や水や暖房など光熱費の使い放題、電話掛け放題、TVゲームやPCで遊び放題。などなど、確かに昔とは時代が違うとは言え、高校、大学に行くまでに既に親が共働きでも借金を背負うような事になりかねませんからね。
坊主の孫。
一旦、社会に出てから、実際に学びたい事を選択して大学入試を受けるのはどうでしょうか?。もちろん、社会経験で必要な目的を探す事と、大学入学後の学費を稼ぐためですが。ストレートに学生生活のレールに乗って卒業が常識のようになっていますが、社会で必要な人材育成には遠回りになるのでは無いでしょうか。卒業して就職はしたが、自分に合わないから転職、転職となりますね。転職を人一倍やった自分が言える立場でも有りませんが、出来れば初めから天職に巡り会えれば最高でしょうね。そして親への負担も、自分への負担も少なくなると思いますね。
ゼロ戦パイロットの弟。
極論ですが、大学の職員も官公庁の職員も1年契約雇用にすれば、もっと真剣になるのかも知れませんよ。1年経過時に再契約更新ですから、明日は我が身がどうなるか?分からないわけです。これは自分の経験からですが、1年雇用契約で7年間を某社に在籍しました。6年目には、こちらから半年契約を申し出たところ簡単に受理されました。売り上げなどが下がった場合など会社に取って都合悪ければ半年で首にできると踏んだのでしょう。ところが、自分としては既にやる事は全てやったので辞めるつもりでいつでも辞めれるように半年に切り替えていたのでした。もちろん、次の身の振り方は決めていました。通常の雇用契約は生活も安定して家族も安心でしょうが、ともすれば安心に甘んじて怠慢になる事もありますね。
seto
はじめ10年間は全員、1年契約がいいですね。そして10年働いて使えると判断したら正職員にするのが現代にあった公務員の雇用形態になりますね。真剣にキビキビ働く人になるし、臨時雇用でも正職員への道を開く。そうすることでその人の持つ、様々な可能性が開花するかもしれません。結婚すると暮らしは不安定ですが、結婚したらその時点で正社員になるとしたら、独身が減ると思いませんか?もう学生のうちから結婚も多くなり、少子化に歯止めをかけるかも。こんな意見、誰もなし。
昔の少年。
同じですね。4時から男です。暖かい超薄コーヒーを呑んでPCの前にずっといます。調べものをしたり、遅れた年賀状を作ったりと結構多忙な正月です。いつもの生活サイクルが少し変わると、どうも調子が悪いです。大学生活も借金ですか?卒業後も借金ですか?それだけでなく住宅ローン、子供の教育費、普段の生活費、それに追い打ちの税金の数々ですね。我々は子育ても終わって、住宅ローンも終わったのですが、孫の面倒見やら住宅の補修費やら、30年も経つ価値のない住宅に固定資産税など不要だと思いますが容赦ないですね。そうそう今月は、住民税の4期目の期限でした。4人の子供たちにお年玉の税金を払ったばっかりなのに、また5〜6万円の出費です。宝くじでも当たらない限りこの魔のスパイラルからは中々抜け出せませんね。
seto
恥ずかしいので先ほどの教育費用の話は削除しました。生まれてきたことがもうすでに何かを背負ってきているのではと最近考えます。それは生まれた時代の価値観や流行であったり、生まれた国であったり、両親の貧富や仲の良さや悪さであったり、地域であったりね。それに個人的な事件が加わるし、偶然の事故、災害もあります。生きることはそれだけでもう大きな事業をしていると思うと納得できるかもしれません。欲しいものがすべて手に入る不幸もあるのですよ。