昨年12月29日ブログ(シニア世代が若年労働を支える)
ブログ内容に少しでも普遍性があれば、いつでも読まれると思う、ところで昨年はこうだ。『シニア世代が若年労働者を支える』。1950年に世界で65歳以上の人口が1億3000万人だったのが2015年には6億人。あと35年経過すると18億人になる見通しだ。日本では2050年には1.3人の働き手で1人の高齢者を支えることになる。『ニューズ・ウィーク』11月7日号は『一生働く時代』特集だ。引退しない生き方の具体例を取材している。
長寿と少子化は世界の傾向で、何も日本の専売特許ではない。それどころか、世界のモデルケースとして注視されている。そこでニューズ・ウィークは先進各国が年金支給開始年齢を引き上げて、社会負担増を減らそうとしている。近所のスーパーにもカートを押したり、駅の清掃業務にもJRの清掃派遣会社に登録された老人が働いている。モスバーガーで先日、アルバイトの子と談笑しながら働いている60代を見てびっくりした。アメリカでは100歳になってもヘアカットしている理容師が紹介されていたが、カミソリを持つのだから客から見て怖い。
朝から晩まで働く現役世代の旗振り役にはならなくても、1週間で20時間程度(私の労働は1週間3日で大体18時間くらいだが)働き、健康の許す限り働き続ける場所があって、若者たちに感謝されれば、理想的な仕事といえる。EU加盟国で破綻寸前財政のギリシャは女性で50歳、男は55歳で退職できて満額年金支給される。私みたいな怠け者ならギリシャが羨ましい気もする。夢のような国である。さらに国民の25%が公務員でできている。それが現在、退職年齢が67歳に引き上げている。大脳の健康を考えると『仕事は多くの人と関わり、様々な場所を訪れたり、会話できる』メリットがある。
それがなくなると、終日の暇ははじめのうちはいいが必ず飽きてくる。本当に飽きてくる。筆者は何人もそういう人を見てきている。野菜作りやガーデニングは誰かに上げたり、誰かから見られたり、評価されたりされないと長続きしない。特に男は死ぬまでの終身刑にあったようで、、監獄からの雄たけびがクレームに転化することも多い。
その解決になるとは思うが、シニア世代で暮らしに困らない(贅沢しなければ年金で生きられる)層は、若者を支える意識を持って、社会の中で働けば、いろいろな知恵の伝授、人間関係の作り方、相手を不愉快にしない会話の話題、無駄話の効用、アナログ世代の楽しさなどがストレートに伝わると思う。彼ら若者の親世代が遠慮して伝えていないことが山のようにあると思うのだ。結果的に、若者への負担を軽くしてあげることが、世代間の信頼関係を築くことになると思うがどうだろうか。できるだけ行かなくてもいい病院には行かない。75歳になると1割負担医療に甘えない。それだけでも膨大な節約になる。しかし、一方、軍事費の大幅超過や、安倍夫妻の異常なまでの政府専用機使用、国家公務員への手厚い給与や福利厚生など相変わらず官に甘く民に厳しい時代が明治時代から続いているから、軍事と警察、裁判以外は民間に委譲してもいいかもしれない。市役所も臨時雇用の数が多くて、彼らが市民との最前線にいるケースが多く本末転倒。
昔の少年。
まだ若い頃、営業で訪問先の会社に、高齢の営業マンとたびたび顔を合わせました。その方は私の前職の元上司でもありお互いに良く知った関係でした。彼の営業方法はさすがベテランで、真っすぐに部長クラスの席に向かいました。世間話をあたりに聞こえるように大きな声でした。若いライバル社の私にも訪問先の社員たちにも存在感を自己PRしていたのでしょうか。私とは二回りも違う彼の営業方法とは異なりましたが、彼のバイタリティに感服したものです。しかし、今になって、自分もそんな年齢になっている事に気づきました。今、考えるに、この年になっても働き続けられたのは、きっと勤勉な彼が良きお手本になっていたのではないかと感謝しています。
seto
長続きしている人には必ず、お手本がいます。私の場合もいます。遊びに仕事に全力で生きていた人。学者でもカント学者がいます。それ以外にも反面教師もたくさんいますよ。