ご朱印ブームについて。(ブログ1500回)
久しぶりに知人の神主のところへ行くと、平成が終わるころから令和になって、土曜・日曜は普段の2倍以上の人がご朱印求めてやってくる。2年前に書いた神社女子のブログであるが、筆者が観察するところ夫婦やカップルなど神社男も多いことに気づく。知人は筆で1枚300円で書いて神社印を押していた。
神社女子・・?「聖地が実家」?。
ご朱印を神社で押してもらい、全国を旅する女子が増えていると知人の神主が言っていた。昨年から急に増えてきたのだと。小さな安心をこつこつ積み上げて、大きな安心を求める、そんな気分でしょうか?
道の駅のスタンプラリーに似ているが、ご朱印は300円~500円を払って押してもらう。7割が女性で、20代から60代まで。こんな制度や習慣があることすら筆者は知らなかった。蛇腹折のご朱印ノートもあって持ち歩く。雑誌も売れていて地方別に押してくれる神社紹介をしている。パワースポットめぐりにも似ていて、元々弱い人間の神頼み依頼の半分遊び半分真剣の現象かもしれない。
「成功する人はなぜ神社へ行くのか」(サンマーク出版)も紹介してくれたが、神社へ行って祈っても会社を倒産させている人を数多く知ってるので、それは関係ないとは思う。
太古の昔から「聖地めぐり」が宗教の種類には関係なく流行している。お伊勢参りもそうだったし、キリスト教の聖地スペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼やチベット仏教の聖地やイスラム教徒のメッカやメジナ巡礼、ヒンズー教徒のインダス川での沐浴巡礼、ユダヤ教徒のエルサレム巡礼。縁結びの出雲大社、受験の大宰府、「生きている間に一度は訪ねたいところ」が、自分の信仰する宗教の聖地訪問だ。必ずそこに聖者といわれる人がいたのが共通点だ。呑み助の通うススキノにも聖女ママがいるのかもしれない。
しかし、神社めぐりは、なんとなく世界宗教のような規模壮大な世界ではなくて、ひっそり行われている。膨大な数の人間が移動する聖地参りは、日本では正月とお盆の実家帰りだ。地方から都会へ出稼ぎに来て(そこでマンション購入や戸建てを作っても)、長期の休みに実家参り。聖地は実家?親や先祖たち(お墓)を詣でる。日本における神は「親や先祖たち」だと知れる。
しかし、いずれ来る、老いた親の死去。帰る家もなくなる。将来、正月やお盆の帰省ラッシュはなくなる可能性があるということだ。
坊主の孫。
知人に神道の人が居ます。初詣や墓参りや神棚には流ちょうな祝詞をあげます。3種類ほどあって何度聞いてもなかなか覚えられません。御朱印帖は今のようなブーム以前から全国を旅したのか各地の神社のものを見せてくれました。僕は祖父が僧侶だったのですが父は継がず、ほぼ無信仰の環境で育ちましたから僕もお経すら読めませんが、でも田舎暮らしでは仏壇や神棚はどこの家にもあって神主の居ない鎮守の森の神社は子供たちの遊び場でもあり、祭りごとは子供たちだけで準備する決まりでした。ですから、寺よりも、遊び場として神社のお世話に成った事もあってか、未だにどこの神社でも通りかかれば柏手を打つ習慣が身についています。先日も北陸は敦賀の駅で時間があったので久しぶりに気比神社に行ってきました。おみくじを引いたら「大吉」と出ました。大吉だけは境内で結ばず持ち帰ります。御朱印は貰った事はありませんが、おみくじの大吉今回のお土産でした。前日には静かな田舎の山にある父母の墓の周りの草を刈ったり枯葉を取り除いて掃除をして花を飾ってきました。10年ぶりでしょうか。今では親戚は又従弟くらいしかいないので今回はそのまま帰ってきました。今度いつ行けるのかも判りません。
seto
鎮守の森は全国にあって、自然の森を保つのに歴史的な貢献をしてますね。夏は日陰になりますし、虫取りにも絶好の場所です。ご朱印の習慣は相当昔からあったのでしょうか?寺や神社詳しくないので勉強しないといけません。たくさん集めるのは「道の駅」スタンプラリーみたいなものですかね。ご朱印集める人は事前にこのエリアには4箇所あるから、こういう順番で回るというふうにやってきます。その本も出版されています。外に出歩くのはカラダにはいいので異空間で遊んでいると解釈したい。
ホランペッター。
先日スマホの新料金の説明を聞きにショップに行きました。そこで浅黒い肌で、彫りの深い好男子スタッフの方が相談に乗ってくれました。彼の名刺を貰うとイラン人でした。日本語は読み書きはもちろん言葉もきれいな日本語です。年齢は23歳で独身。日本で彼女はなかなかできないと嘆いていました。よく聞くとシーア派でした。スンニ派と言えば荒々しく戒律が厳しいイメージですが、シーア派の彼の話では一日5回のお祈りもしないそうです。それほどシーア派の人たちは戒律も服装や身なりも自由なんだそうです。彼は18歳から日本に住んでいるのでこれまでに日本語の勉強や日本の慣習を学び日本で働く事になったようです。少なくてもイラン人と言うだけで偏った味方をしていた自分でしたが、本人たちの話を聞いて少しは理解できました。帰りに彼のお国の文字で僕の名前を書いてもらい、文字の組み方も少し習いました。御朱印では無いですが、右から左へ書いてくれました。
seto
文字が右から左ですか、私も書いて欲しいですね。イランは西欧に近いです。科学技術もほかのイスラム圏から見ると全然違います。科学者や技術者多いです。ホメイニが突然現れて、パーレビ国王が追放されたのを覚えてますか?王政でもある時期あって日本の皇室とも仲が良かったです。イランVSイラク戦争がありました。イラクに武器を供与したのがアメリカで、この武器が後にタリバンやISに渡り、アメリカ自身に歯を向ける武器になりました。イラン原油が輸入されれば、ガソリンはどんどん下がっていきますよ。