この知人はことしの1月8日に多臓器不全で亡くなっていた、68歳。

先ほど知人を訪ねたら、玄関に木札を垂らしていて、外から来る営業マンに向かって『ただいま我が家は金欠病』。はっきりしていて素敵なコピーだ。私は笑ってしまった。木札の裏側を見ると『現在、我が家は居留守を使っております』。嘘がなく正直で、セールスマンは笑いながら退散すること請け合い。知人に『この木札をブログに使わせていただきます』と断ってきたが、30年前に家を購入すると同時に買った札らしいが、ご主人は学校周りの熱血セールスマン。20代は道営住宅でお隣同士、子供を預かったり、預けたりののどかな暮らしをしてきた間柄。30年以上、4つの職場で営業職をしてきた筆者としてはズバリ『営業、一切お断り』『チラシの投函おやめください』は直截でユーモアもなくそこに住む人間のキツサを感じるだけ。『犬のオシッコお断り』の立札と変わらず、なんら知性を感じない。外に向かう言葉には、そこに住む人の品を出してほしいものである。ジョークを含めて、中学校の授業でユーモア講座をカリキュラムにして、これには生徒だけでなく、近隣の大人も聞きに行ける授業として楽しむと大人と子供たちの楽しい授業、社会に出て生徒たちにとって一番役立つ授業に大化けするかもしれないと妄想する。しかし、問題はその講師を誰にするか。全国に故井上ひさしさんがいればいいが・・・。どうやって彼らを育てるかである。そうなると、教師を育成する機関(大学)で、ユーモア・教養講座が必要かもしれないが、読者それぞれ胸に手を当てて考えてほしいのは、ユーモアのある人は根っから面白いし、頭がいい。それは実は学ぶ場所は家庭の中が多いし、読書の中から、もともと身近にユーモリストの知人がいることで学んでいる。聞くほうにも余裕や教養がないといけないし、『バカ言ってないで、勉強しなさい、稼ぎなさい』では、生真面目な頭だけがいい、偏差値人間だけを輩出させるだけ。身内の中だけでのジョーク(ときに他人には毒気になる)になってしまう。一番、知性を使うユーモアに若いころから接していると、スマホのメール返信も微笑み返信となるはず。どこの国へ行っても、そういうユーモアを言える人は大事にされるような気もする。私は他国に住んだことはないが。しかし、落語を聞かせるだけでも結構な授業になるかもしれない。山下達郎は子供のころからおじいさんに連れられて寄席へ行った。どうりで、反骨でよくしゃべる。そして涙もろい。三つ子の魂百まで。
  1. ユーモアとかジョークとかは、通じる人と、通じない人が居ます。ですから、人によってはジョークでさえも怒りだすなんて事もある訳です。人を見て使い分けなければいけないでしょうね。皆んなが同じように笑ってくれればいいのですが・・・。

  2. 家庭内ではジョークは禁物ですね。「何言ってんの?バカじゃあないの?」なんて言われたりして通じませんね。大人たちより、むしろ子供や孫たちとなら未だ通じ合えるかも知れませんね。

  3. セールスマンと言えば、昔、若い時に朝日新聞の勧誘と集金をしたことがありました。定期購読への勧誘は訪問したお宅でハンを貰ってくるのですが、大抵は断られますから、先ず玄関に入ったら、目についた絵画などを褒めたりして会話のきっかけにしていました。そのうちお茶を出してくれるお宅などもあって、そんなお宅は決まってハンをくれました。そんな経験をしていたにも関わらず、その後は新聞の勧誘が自宅に来ると、断る事を研究しました。読売新聞が来れば「ご苦労様、ウチは朝日新聞の関係なのでね」と。朝日新聞が来れば「ごめんね、道新の関係なので・・・」と勧誘員を傷つけないように断るのです。宗教の勧誘には「ウチは浄土真宗なんです」と。嘘も方便?

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