貧しさ・助け合い・偏差値
私の生まれた1951年は社会全体が貧しかったから、ことさら貧乏感はないが、しかし隣近所助け合って生きてきた。米や調味料はもちろん、少ない額ながらお金の貸し借りもしていたらしい。私の生まれた札幌駅の北口の賃貸長屋でも母は大家さんから縫い物の仕事をもらい家賃の足しにしていた。当時として多少のお金持ちの大家さんも借家人へ生活の手助けをしてしていたのである。市場(いちば)では古新聞で作った紙袋(糊は残ったご飯をぐつぐつ煮る)を店に持っていくと1枚1円で買ってくれた。専業主婦の母とはいえ、自宅で内職する仕事はたくさんあった。市場で店舗を構える人たちもお金持ちは少ない。支払いは月末でいいよという店もあって、他人を信用して生きる世間であった。小売店主もお客も貧乏ながら助け合って生きてきたのである。対面販売では客の家族のことについてずいぶん詳しい。それがまた別なお客へ話が流れるので、プライバシーは無きに等しい。しかし、この世間に入ると居心地が良くて、安心して生きられた。小学校5年からは札幌東区の工場街に転居しても、住む場所は違ってもプライバシーなき世間は中学3年くらいまで続いた。中学1年から偏差値(SS)という成績評価が導入され、これまでの絶対評価から相対評価へ変わってきた。現代もその続きで、子供たちの競争を煽る結果になっている。SS導入の始まりは私の中学1年からだから1963年か64年ころから。ここを境に成績上の差別が教師間の手柄(どこの高校に何人入れたなど)取り競争も始まり、生徒を煽っていった。45人の中学時代のクラスメートで卒業と同時に働き出したのが6人、大学進学は9人、高校を出て就職したのが30人という内訳だ。高校を出ても銀行や通信・デパートなど正社員での求人もたくさんあった。両親がおらず祖母に育てられた女子があるとき『このクラスメートに出会わないときっと私はグレていた。クラスメートの優しさに感謝する』と言っていた。そういう恵まれない人をも包み込む世間があちこちにあって、地域は成り立っていた。地域がダメでも企業が家族的な役割を果たして、福利厚生面を担っていた。現代はこのどちらも崩れて『隣は何をする人ぞ』。
坊主の孫。
アメリカの犯罪を見聞きして、次第に低年齢化して行く姿や、欧米の人たちの食生活を見て、余りの肥満に驚いたりしていた事も、また中国の街中に自転車のラッシュを見て日本より20年ほど遅れていると感じた事などは、最早や過去の事ばかりですね。今や我が国は、かつてのアメリカ並みの犯罪が横行し、流通の変化?(進化?)で食生活は欧米並みになり、ダイエットなどと言う無駄な流行のCMが溢れ、経済援助さえしていた中国にさえも大差をつけられてしまいました。10年二昔ですね。近代化の陰で昔の古き良き時代の日本は「古いもの」と片づけられてしまったのでしょうね。わずかに残された昔の社寺仏閣などが辛うじて日本の観光資源とされていますが、外国との往来が頻繁な今日だからこそ「日本人の人情」を世界にPRすべき時でしょうね。
seto
アメリカ中流階級も健康志向は尋常ではなく、さらに上流層はメンタルの専門医を持っています。ここは外の集団に向かって『私たち家族は健康志向だよ、見てください!』というアナウンスをする癖があって、たえず自分たちの価値観を表現する・し続けないと生きていけない風土なんでしょうか?それによって集団化する。パーティーはそれを確認し合う場所なんでしょうね。夫婦を紹介し合ったりして、そして政治的な意見を主張する。アメリカの新興宗教の特異性もアナウンスですね。だからテレビやラジオをたくさん使います。国土が広いですから。そういう点から見ると日本の寺や神社は可愛いもので、たくさんの人は助けられないが、隣の人にはせめて優しく接する文化があるわけですが、それが崩れ始めている、企業の中でもオフィースにパソコンとスマホが入ってきて、人間関係が冷たくなったのはたしかですね。しかし、隣は気になるので、キョロキョロが跋扈している時代です。
昔の少年。
それでも、日本人は一般的には親切だと外国人は言いますが、果たして?。大阪のおばちゃんでは無いですが、お節介なくらいに親切な人たちは、若い人たちには確かに少なくなっていますね。そこで、我々高齢者くらいは、昔の様に振る舞いたいものです。「小さな親切大きなお世話」運動ですね。
seto
実際、余計なお世話を私は意図的にしていますよ。そうでもしないと文化は伝わらないからです。継続性がないと文化にはなりません。ウィーンに留学した人の文章を読んだことがありますが、市民といってもお節介が多くて、交差点で『ほら、危ない、出るな』とか、干渉してくる市民の多いことと書いてました。ヘェーと読みました。観光客の観光文と違うのでためになった本でした。ガイド本の限界ですね。小津安二郎の映画は、全編、これ『結婚お節介』映画みたいですよ。中産階級ですがね。会話も肯定・肯定が続いて、現代用語なら『相手の言い分を否定しない、認めることから始めよう。ポジティブシンキングを地でいってる』見本映画です。うなづく、うなづく連続です。いまは『相手より自分が持っている、知っている、行っている』の連続シーンで心身疲れすぎているように見えます、実際そうです。SNSは自慢とヘイトの貝塚(縄文時代)です。
時代屋
我が家には、ちゃんとした風呂はありませんでした。両隣のお風呂に呼んで貰って交互に入りました。左隣の酒屋さんは立派なお風呂でした。右隣のタバコ屋さんのお風呂は五右衛門風呂でした。子供の軽い体重で浮き蓋をバランスをとって沈めるのに苦労しました。どちらも家族揃ってお風呂を貰って、入浴後に母は風呂掃除を、僕たちは居間でお隣の家族とおやつ付きでカラーTVを観ました。我が家にラジオは有りましたが、TVは無かったので楽しいひと時でした。お風呂に呼んでくれる時には、お隣の窓が開いて、大きな声で「お風呂においで!」と、おばちゃんが叫ぶのです。のどかな時代でした。
seto
いい風景です。絵葉書になりそうな人情です。私もテレビのないときは床屋さんへ行きましたが、意地悪な床屋はカーテンをして見たいなら散髪に来い・・と居丈高。風呂屋は国鉄の無料浴場で、職員以外に町内の人が全員来てました。男風呂と女風呂はドア一つで行ったり来たり、のどかな犯罪と遠い景色です。