ホワイトイルミネーション(斎藤諭撮影)

1)12月に入り、北国の大人は『ひょっとしてことしは雪のない正月になるかも』という淡い期待を持っている。事実、過去に雪のない正月を札幌で経験したことがある。嬉しかった。しかし、反動は来るもので1月末日や2月に入ってドカ雪。『ああ、やっぱりか』と嘆息。私の妹は結婚して埼玉、兄も大阪から川崎、名古屋と雪のない正月を過ごして『もう雪は勘弁、除雪はしたくない。行くなら5月から北海道だね』といつのまにか観光客の発言に変わってしまっている。『雪のない正月はいいいぞ』と彼ら。10月に入ると道産子にとって曇天嫌いな季節が始まる。スキーもスケートもしない私は(転倒するほうだ)、雪だるまを庭でつくり、登校する小学生たちを和ませる以外は雪を楽しめない。九州から孫が来る3月の春休み。まだ雪が残っていればソリすべりをしているから、雪を楽しむようにはなったが・・。雪や氷は子供が似合う季節。道路の薄氷を剥がして、汚いが舐めながら行く小学生の男の子がいる。自分の子ども時代を見るような気になる。

2)12月20日で私が通っていた病院が閉院する。約30年、糖尿病や風邪で通院していたので何ともさびしい。院長が80歳を超えて耳が聞こえなくなっての閉院だ。娘さんが跡継ぎすると思って楽観していた矢先でショック。シカゴやヒューストンまで糖尿病学会へ飛行機のチケットを取ってアメリカまで行っていた医師だ。待合室には『ニューズウイーク』が置かれていて、読み終わったら私はもらい、ブログネタにできたのもこの病院のお蔭である。この年齢の医師には教養への強い憧れがあるし、哲学の話もできるので楽しい病院通いであったが、血糖値はなかなか下がらない。アステラス製薬の『スーグラ』でずいぶん痩せた。この薬の発売から私は使っているので『スーグラの実際の効果効能について私のケースで論文に書いてください』とお願いしていた。看護師のキャップも英語が堪能で北大の留学生が健康診断にやってきていた。次の病院を探さないと。

こだわりやま  シマホッケ 斎藤諭撮影

3)来年1月に私の通っていた居酒屋『こだわりやま』も閉店する。奥様は京都人。京都から富良野にスキーに来て、スキーインストラクターのご主人と結婚。大阪の居酒屋で修業を積み札幌で店を始めた。ことし8月に奥さんと別れてから、経営も苦しくなり(奥さんがたくさんファンを作っていたのだ)『固定費が多くて』とご主人。15年たって店を閉める決断。中学のクラス会はほとんどこの店で開催していた。ランチタイムを止めて夜の宴会に特化したが、周りの居酒屋が790円で90分飲み放題が始まり、客足が減ったのも痛い。『今後は小さなお店を始めたい』と言っていた。寂しい。

2019年は身近な店の閉店や友人や知人の死去で寂しい別れが続いた一年であった。おまけにアフガニスタンで中村哲さんが銃撃されて言葉を失う。緒方貞子さんもそうだが尊敬する人を失うのも元気な素を失くす。

しかし、個人的な私の別れではなくて生きるために命がけで家族が海を渡ったり、難民キャンプ暮らしをしたり、栄養が足らず黙々と歩き続ける何億人という人々がいる。ニュースは終わっても辛い現実は続く。

  1. 私は年賀状を出さなくなって、訃報での賀状お断りの葉書は来ませんが、この時期、年賀状を大量に書く知人には毎日のように届くと言います。同窓会やOB会、忘年会でも、参加者が減っているそうです。病気やら亡くなられたりと悲しい思いをする季節ですね。さ

    • ある日突然の死もありますし、人生わかりません。私の中学の同級生も危ない人、姉の看病、母の看病、子供のことで定年後楽々な人生を送ってる人は超少ないですね。12月はどうも1年を決算する気分になる嫌な季節です。若いときは映画やビリヤード、徹夜でマージャン、トランプ、風俗へ集団で行ったり、書物談義、パチンコ、アルバイトで猛烈に動いていた季節でもありましたが、エネルギー低下でしょぼしょぼ人生です。

  2. 名医のお世話になりましたが、高齢で廃業のクリニックが多いですね。歯医者さんも何十年も通ったところが無くなり探しました。やっと見つけましたが、頚椎の名医は見つからず、自分でリハビリすることを編み出しました。変頭痛も脳神経外科の先生に自分で治す方法を教わりました。自然治癒や、自己治療が理想ですね。

    • 自然治癒が理想ですね。せいぜい野草を乾燥させて塗ったり張ったりでね。私は血をさらさらにする薬と糖尿の薬と毎日8種類を飲まされてますが、ときどきもう飲まなくても天寿を全うできるのではないかと考えてもいます。あとは自然に任せるですね。

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