幸せで豊かに生きている人の共通点は・・・(沢木文)
『貧困女子のリアル』(沢木文著 小学館新書90p)『仕事の有無にかかわらず、幸せで豊かに生きている人の共通点を挙げるとすれば、苦にならないことを仕事に選び、サボり上手で朝令暮改な人だ。それは、人間というのが揺れ動く生き物だからだ。一部の天才を除き、力を入れて”これだ”と踏ん張っていると必ず折れる。破綻する。貧困だという女性の共通点は高い理想があり、それに向かって無理をしてしまう傾向があると感じた』この本で取り上げているのは30代で短大や大卒の女子11人である。
これまでこのブログでも鈴木大介さんのシングルマザーを中心に風俗に入る人たちを取材した『絶対貧困女子』を取り上げたことがあるが、この本は1万人程度の様々な職種の男女をインタビューした経験から割り出した彼女なりの人間観だ。年収が高いのに貧困に陥っている人もいる一方、雇用形態が不安でその解消として過度な消費に走ったりする。インタビューアーが沢木さんだから本音を吐くアラサーの置かれる経済的・心理的現実が生々しく切り取られている。貧困女子を救うキーワードとして『実家力』という単語も出てきた。セイフテイーネットとして『実家の力』(精神的な支えや金銭面の補助)が出てきた。もともと短大や4年生大学に行かせる経済力がある実家なのだから、この際、利用しよう・自分で自分を追い詰めないというのは私もそう思う。しかし,取材された中にすでに親が相当借金を彼女のために返済している事例もあるので、余裕のある実家しかそれはできないとも思う。
アラサーは団塊の世代の子どもたちで人数も多く、リーマンショックによる大就職氷河期で、運よく正社員で雇用されても、様々な事情で一度辞めると、条件の悪い勤め先しか残っていない。とにかく『結婚して楽になりたい願望が、相手に嫌われたくない一心で借金をしてまで男に貢ぎ、裏切られる』悲しいケースもある。しかし、貧困に陥る最大はカードによる支払いの癖、借りる癖の繰り返しである。さらに首都圏でのひとり暮らしは家賃が高い。見栄の張り合いも無理な消費に拍車をかける。実家力が救いとも書いたが、実は母親から金銭をたかられるケースもある、マイナスな実家である。日本中のアラサー女子が様々な場面で貧困と戦っている現実が見える本であった。自分の健康だけを考えて病院に押し寄せる60代70代80代の皆さま、手を差し伸べてくだされ!
昭和の尋ね人
女子に限らず現代では貧困男子も多いですね。就職しても待遇の悪さで暮らすだけの余裕すらなく借金をせざるを得ない状況ですね。離婚も増えて子供を抱える一人親男子も女子に負けないくらいに増え続けています。原因は共働きが当たり前の時代に有りがちな女性の社会参加までは良いのですが、出会いも多い環境の中で恋愛に発展し、挙句の果てに別れるケースですね。当然ながら、それに比例して不幸な子供たちも増え続けていますよ。
seto
貧困男子についてもですね。実家に依存する男も多いですね。派遣法が成立してから幾何級数的に貧困が増えてます。富裕階級には貧困の人たちは見えない、見たくない、セレブを謳歌する生き方があってブラインド人間(目隠し)になってるきらいがあります。水と油ですね。子供についても子供の貧困多くて、家族での会話の貧困が拍車をかけてます。共稼ぎですから、両親疲れているのでゲームに走ればゲーム脳(きれやすくなる)に走りますから。
貧乏暇なし年中無休
このご時世に昨日TVで官房長官が全国50カ所に超高級ホテルを建設すると発表しました。何で?と思うのは私だけでしょうか。海外からの富裕層を取り込む旅行業界とホテル業と、そして土地探しの不動産会社と大手前ゼネコンは大喜びなんでしょうね。完全に貧困無視の政策ですね。裕福な外国人の為にと考える前に、貧困の国民の為に格安家賃の集合住宅でも建ててあげた方が国民が豊になるのではないでしょうか。空き家になっている古い都営や市営や道営住宅の再整備やリニュアルでも考えられなかったのか?と思います。貧乏暮らしとは無縁の人たちが考える事ですから、発想が違いますね。
seto
富裕層をターゲットにする発想が貧困です、現代、イマジネーションの貧困が問題だと思います。自国民をないがしろにする生き方はいずれツケがきます。短絡的な政策で喜ぶのはゼネコンだけ。IR(賭博)と同じです。
影法師
幸せを考えた時、何も難しい事を考え悩む仕事よりも、トラックの運転手になりたいと考えました。毎日鼻歌を歌ってハンドルを握って転がしてと、そこまでは良かったのですが、何と積み荷の積み下ろしの力仕事もセットとなると身体が持たない事に気づきました。どんな仕事も苦労は同じですね。精神力か?体力か?どちらも無ければ仕事にも就けないでわけすね。
ゼロ戦パイロットの弟。
新令和天皇、新令和皇后が誕生して、国内は祝福の番組や記事で沸いていますね。「国民の平和を願います」と述べておられますが、政府の連中は聞いているのでしょうか?。平和とは何もしない事ではない筈ですよね。天皇陛下のお考え通りに正しく動けば平和で幸せな国になるのでしょうが、儀式として聞き流してはいないでしょうか。昔は戦争責任を問われましたが、今は平和への責任を問われるわけです。戦後も70数年経ってやっと落ち着きかけた我が国ですが平和に逆行する政策も気になるこの頃です。
seto
平成天皇に続き現天皇も好感が持てますね。昭和天皇の戦争における曖昧な立場の反省の上に立って平和発言を繰り返しているからでしょうね。