支店長の上に住まないでくれ。
札幌にはたくさんの社宅があった。中でも金融機関の社宅が円山や真駒内に集まっていた。いわゆる静かで高級感のある、近隣の学校もそこそこお出来になるエリアだ。中学の同級生が、金融機関に就職して本店で働いた後、札幌に戻ってきた。社宅の4階に住んでしばらくたって、支店長が変わった。しかし空きは3階しかなかった。以前の支店長は社宅は利用しなかったが、新支店長がおれは社宅に入るということで、彼は銀行の総務から呼ばれて『悪いが4階から3階に移動してくれないか』と打診され、しぶしぶ荷物を移動したと居酒屋で話をしていた。最初から4階に支店長部屋を用意しておけば何の問題も生じないはずが、世の中である。現在は、金融機関の統廃合で銀行名も変わり、社宅は廃止されたと聞いているが、『上司の上に部下が住むことは、社宅では厳禁』という決まりって、わかりやすいといえばわかりやすいが、残酷と言えば残酷。支店長が一言『いいよ、どこに住んでも。4階から3階への引っ越しも大変だし、無理しないで』と言えば済む話が、総務部が先回りでご機嫌取り。犠牲は彼と奥さん。銀行内では名物の話になってしまった。もちろん同情は彼と彼の家族。国家公務員の社宅は依然としてたくさん札幌市内にはあるので、そちらはこういう話はないとは思うが調べてはいない。もしあっても官僚特有の都合の悪いことは隠す趣味があるのではっきりしない。私も小中のころは国鉄アパート4階建てに住んでいたが、階下は国鉄病院の医者であり、なんの矛盾もなく棲み分けていたので公務員の方がフラットだったかもしれない。それにしても簡単に済む話を、世の中は複雑にして手をかけてイライラをまき散らしてしまうのだろうか。この場合は単純に『空いたところに住む。嫌なら社宅に入らない』でチョンだ。気を使って不快をまき散らす。最近は社宅が流行らず、一時、先輩と後輩が一緒に住む『寮』的な住み方リバイバル記事が雑誌をにぎわしたことがあるが今がどうなっているのか。私の知っている話で、社員同士はできるだけ近くには住み合わないという若い人が多かった。結婚していれば、奥さんが嫌がるのだと言うがわかるような気もする。現役時代、北海道が気に入った(飲み仲間の部下がたくさんできて)社長が私に『君の住んでいる○○の団地が、犬の散歩もできて、妻も気にっている。中古住宅があれば教えてくれ』と言われたが、『待てよ、あの社長ならアゴで人を使う悪癖があるし車の運転もできないから、下手したらゴルフ場への運転を命じられる危険がある』と判断。一切、紹介に応じなかった。正解であった。野菜作りのために、ニセコに別荘を買ったものの、飲み仲間がつくれず、月に2回、札幌に来ては部下を招集、威張っていると風の便りに聞いている。看護師に聞いた嫌われる入院患者が元社長と大学教授であった。助平なおさわり屋さんはまだ許せると古い本には書いてあったが・・・。威張り癖が取れないと現役時代も定年後も入院生活でも苦しむことになる。
広告マン。
支店長と仲良しになるのも善し悪しですよね。彼らは面倒を見ているつもりでも、結構我儘ですから、何かにつけアッシーに使われる事も多いですね。冬はスキーだ、夏はゴルフだと。一緒に行っても道具自慢など聞かされても、顔で笑っても卑屈にしか成りません。仕事先の銀行では、部下はタバコも車も着る物も全て上司より銘柄を数段ランク落とすのが常識のようでした。そんな場に知らずに高級タバコを吸っていた常識?知らずの若い頃の自分が居ました。グリーンのセーターにスリムな紫色のジーンズをはいて堂々と業務部へ打ち合わせに行ったのですが、一斉に変な視線を浴びて、我が上司に苦情が来た時には、次の訪問時にドブネズミ色のスーツを着て行ったものです。着る物も場所によっては非常識になるんですね。
seto
着る者も、タバコの銘柄もですか、よくそんなところ見てますね。仕事に神経が集中していれば気にならないパーツですが。ということは仕事をしていない人々ですね。いまなら素敵でおしゃれ!で絶賛されますよ。安物でも若い人のおしゃれは見てて気持ちがいいです。ブランドを気にせず(気にできる給与ではないのも現実)伸び伸び着ている雰囲気を見るのは好きです。男なんてみないですから、私は。権力持つと、人間変わります。特にトップになるまでに苛められた男は最悪です。私は一度、酔ってトップに『死ね』と言ったことがあります。自分の良心の声でした。食べて出して寝るにおいて等しい人間ですから。
ナイス・チョット!
昔、妻と一緒にゴルフを始めた頃に、嫌な思いをした事がありました。自宅から20分余りで行ける、山の中の名門ゴルフ倶楽部へ妻と一緒に練習に行った時の事です。名門コースでプレイ代も高いし腕前もイマイチでしたからラウンドは出来ず、クラブハウス横の練習場で、フロントで購入したコインでボールを借りて打つのですが、本来そこはプレイ前の人達の練習場です。しかしゴルフは朝早くからスタートするので、スタート後ガラガラに空いた時に練習をしていました。ところが、午後スタートなのか?ラウンドを終えたのか?我が社の支店長がクラブを2~3本持って現れました。ニヤけた顔で、いきなり軍隊調に「お前!何してるのさ!」と。普段から「お前」呼ばわりされている自分は半ば慣れっこでしたが、妻は彼の言葉遣いに驚いていました。何をしているかは見ての通り「練習」に決まっていますが、彼は名門コースの会員と言う立場でしたから、会員でもない素人がと、見下していたのでしょうね。しかし、よりもよって、家族の前でのあの発言は実に屈辱的で、一生忘れませんね。
seto
わかります。むしろいつも仕事で頑張ってもらってありがたいと言うべきでしょうね。私も妻の前で、私の就職を断ったちとき当該社長とばったり会ったときに私をなぜ採用しなかったか、その理由をこんこんと解き始めたのです。年末のプラハ交響楽団の新世界を聞きにきたのに、妻は怒るやら、常識のない社長に呆れるやら。いつのまにか自分で気づかない社長病に感染しているのでしょう。死ななければ治りません。塚はkポップを追いかけていてクラシックには全然、興味なし。25日、26日芸術ホールである(カルメン)のチケッットあるが行かないかメールあるも断りました・
何も支店長
支店長に良いイメージはありません。本社からは見えないところで、我がまま放題ですからね。或る支店長は「ススキノの帝王」?なんてあだ名がありましたし、また或る支店長は会社に出勤よりもススキノとゴルフ場への出勤日数の方が遥かに多かったですし、また或る支店長は新聞社や放送局の社員と飲み食いと、ゴルフばかりでしたね。本来ならクライアントに向けなければならない気遣いを、全く違う方向(反対方向)を向いていましたね。もっとも、当時の大流通クライアントの方向に向いていた支店長の中にはとんでもない接待をしていた人もいましたね。女性に刺身を盛って舟盛よろしく裸体盛なんて?。今なら捕まりますね。バカな支店長連が余りにも多すぎた時代でした。そんな僕も最後には支店長にはなりましたが?。
seto
権力&謙虚は,両立が難しいでしょうが,孔子や老子の時代から同じ事を繰り返していて、時代が進んで,学びも深くなっても繰り返すという人間の業を感じます。中学同級生のお兄さんは飛行機会社の支店長をしていたとき、旅行代理店からの評判は最悪でした。ゴルフや接待の強要、金銭の要求もありました。美しい当時のスチュワーデスと結婚しましたが、離婚そして自身も病気で,その後のことはわかりませんんが、まさかあのお兄ちゃんがと絶句しました。