2月4日開幕 さっぽろ雪まつり

会社の先輩でB型肝炎で、生命保険に入れない人がいた。毎夜の焼酎二階堂(どういうわけかこの銘柄)を水(お湯)割り飲んで快眠。60歳で定年後は、毎日4時過ぎにウォーキング。歩きながら毎回、私に電話をかけてくる。生命保険がないので現金への執着心が凄い。男の子どもが二人いるので教育費も必要だし。節約して節約して貯めるので『そっちの携帯は会社支給だから、電話代タダだろうから、こちらにかけ直してくれ』と言われる。休みの日に温泉へ行っても黒のジャージ姿で現れる。『おしゃれしてきてくださいよ』と私が言っても、次の温泉地も黒のジャージ。着るものに金なんかかけられないという主義。徹底している。苫小牧に住んでいても札幌に戸建を持ち、賃貸収入、故郷の実家の土地もスーパーに賃貸して毎月振り込まれる。金の管理は奥さんに任せず、毎月定額を渡して『これ、今月の生活費!』。男尊女卑的振る舞い。残りはほぼ預貯金へ。これを20年~30年繰り返してきた。競馬・パチンコ・女遊びせず、趣味は500円以下の温泉。テレビ朝日『アタックチャンス』に北海道代表に選ばれた読書家(松本清張)・勉強家でもあって物知り博士。人一倍の健康おたくでもあって、黒酢を飲んでいた。そして歩く、温泉、歩く、温泉。水も京極の名水を普通車がもう重くて傾くところまで水を積み込む。『美味しいのもそうだが、水道水より体にいいいんだ』。焼酎の水割りは京極の名水だったんだ。そんな彼が故郷の帰り、異常な疲労感に襲われ脂汗が出てきた(と後で聞いた)。自宅の10段以下の階段も登れない。これは変だと思って近所の内科医へ。『風邪ですね』と診断されてその日は帰る。次の日、別な病院へ。血液検査をされて『白血病』と診断されて総合病院に緊急入院。この間、骨髄適合者を探し当てて光明を見出した。1ミリでも希望は、生きる勇気を与える。息子ふたり適合せず、実姉とは実家の土地所有をめぐり対立もあり、いまさら骨髄の型を調べることもできずであった。こういうとき、普段どおりの付き合いができているか不和なのか、大きな影響を及ぼす。結局、希望を与えてくれた骨髄提供者の親が子供の危険を考えて中止を決断。彼が猛烈に落ち込んだのは言うまでもない。白血病の場合、命の存続に関わる。近所や兄弟、赤の他人へも親切にして生きること大事だと思うが、こう書く私も二、三の書きたくないトラブルも抱えているから、明日は我が身だ。病魔は背中から切りつけてくると言った人がいるが本当だ。前からは来ない、いつも背中だ。前からなら防御できる。最後に叫んでいた『この檻から出してくれ、家に帰りたい!』と大声で叫んでいて、私は病室へ入れなかった。享年64歳。

すみっこ暮らし

  1. しっかりした方でも、病魔には勝てなかったわけですね。人間、生まれて来る時と最後は皆、普通の人に戻るようですね。田舎の隣家の酒蔵の旦那も、ケチでみんなから嫌われていましたが、体調を壊してからは急に優しくなって、手土産持参で亡き父母がお世話になりましたと挨拶に行くと、私を応接に通して、長い間話をしてくれました。気難しかった人もすっかり丸くなっていました。やがて一通のハガキが来て「あなたは徳の有る人です」と。その後まもなく亡くなったと聞きました。

    • 丸くなってる人はいいですね。加齢とともに頑固になる人も多いのですから。それは体力があるからでしょうね。

  2. 実家の土地争いも、財産分与も、何もありませんから争う事は有りませんが、姉たちとは、お互い離れ離れで暮らしていますから近況すら判りません。近くに住んでいれば会う機会もあるのでしょうが、他人様より縁遠くなっていますね。

    • 他人のほうがサバサバしていいです。私は3人兄弟ですが関東にふたりですが、母の葬儀以来会ってないし、争う財産もなくて良かったです。争うならゼロのほうがさっぱりしていいです。

  3. ランニングやウオーキングやヨガやジムに通うお年寄りも多いですね。人が集まる事で元気になるのかも知れませんが、私は続きません。主治医には運動不足と言われていますが、若い頃にはマラソンもスキーも得意でしたが、すっかり縁遠くなりました。せいぜい運動と言えば、階段を昇るのもやっとです。エレベータ点検で8階まで昇るのに3階で一休み、6階で二休み、8階に着いた時にはすっかり息切れしています。運動も楽しければ続くのでしょうが、苦しみながらはムリですね。機械だって耐用年数が有るのですから、人間だって過剰な運動はきっとダメージを受けるでしょうね。

    • 私は多いときで1万8000歩歩きですね。運動は無理しないでのんびりですが、プレッシャーだけはみずからかけないよう注意しています。それにしても40代50代のサラリーマンの死が周りで多かった。ほぼガンですね。善人は若死にですかね。

  4. 入退院を繰り返している義母が病院から電話で「隣の〇〇の嫁が肝臓がんで手術らしい」とか、「〇〇さんも亡くなった。いい人は早死するね」と。当の本人は94歳。心の中で「お母さんは、余程の悪人なんですね」と、ブラックジョークをつぶやいてみました。

    • どうしていい人は早死にという俚言ができたのかなと考えると,戦争で若い人が亡くなったことが遠因でしょうか?どんな人も自分よりずっと若い人で亡くなった人の思い出をもっていますね。

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