21世紀最大の武器「情報」について。
2000年「ミセス」という雑誌の3月号に寄稿したロシア語通訳の米原万理さんが、表題のテーマでエセイを書いている。「人類にとって、これから最大の脅威になっていくのは、核兵器でも、細菌兵器でも、化学兵器でも、次々に開発されるであろう新型の最新兵器でもない。21世紀、もっとも恐ろしい武器となるのは、情報のような気がする」(真夜中の太陽・中央公論・32P)。
イラク憎しを映像で見せるために、CNNを通じて、石油タンク爆破で原油が流れて死んだ水鳥の映像が実は「やらせ」であった。ペルシャ湾とは全く関係のない所で撮影されたものであった。
メディアに乗せられた情報が、あたかも真実であるかのような話で、世論が沸いて、それを利用して党利党略を図ったりする。政治に限らず、ひとりの人間の人権に関わることも嘘や偽情報で松本サリン事件もそうだけど、その後の人生が180度変わってしまう。
テレビの街頭インタビューを聞いて、あたかも自分が考えて、自分の意見があるかのような発言も実は、テレビの解説や新聞の記事、支持する人(政党)にコントロールされている場合が圧倒的に多い。大量に叩き込まれ繰り返し情報だ。司会者や原稿書を書いている記者自身も同じだ。
「メディアが誰の手に握られているかということは、国民の運命を左右するような民主主義の根幹に関わる問題である」(同34p)。しかし「民法のテレビ局が、ただの一度も車の害悪や保険の偽善性を追求する番組を流していない」のは、自由な報道のふりをし続けている局の置かれた経済的な基盤のせいだ。その嘘くささに若者は気づきテレビ離れを起こしているかも。
「メディアのスポンサーとなるのは、広告をしなくてはならない企業である。本当に必要不可欠なモノは、広告などなくても人々は購入するものだ。試みに、丸一日割いて、テレビのコマーシャルをチェックしてみるといい。広告される商品は、実はあってもなくても大して困らないものばかりであることに愕然とするはずだ。農産物のような、我々の生命や健康に直結するモノの生産者は、メディアに対して力を持たない一方で、さほど必要ではないモノの生産者が力を持つという歪んだ構造を世論形成機関が秘めているということになる」。
ストレートな日本語でいつ読んでも米原万理さんの日本語には凄味がある。
今の政権がNHKへの会長人事への露骨な干渉・テレビ局への報道内容チェック、新聞社へは新聞購読料を自由化するという脅しをかけながら、現在の政党に有利になるよう記事を書きなさいだ。都道府県の教育委員会(この組織も幾つかの市の委員会を筆者は訊ねたが校長や教頭の天下り先だ)。教員の人事権持って文科省の意思伝達機関だ。
どこへ行っても、見ても、権力の網の目が張られている。
しかし、時代は「デジタル空間へ覇権をめぐる戦いにその場を移している」とも言われる。ウォ-ル街の金融危機で失業した金融エンジニアたちが、新天地を広告業界に求めて大移動して、RTB(リアルタイム入札 Real Time Bidding)という株取引のような売買システムが根付き始めてる。(週刊ダイヤモンド7月11日 広告戦争)この続きは明日にしよう。少し難しい世界でなかなかついていくのがしんどい。
昔の少年
メディアを駆使してのイメージ戦略などは広告と同じで良くも悪くも洗脳するための道具そのものには違いない。しかし僕達がかかわる広告と国や組織が操る広告の違いは目的が別のところにある。産業ビジネスは利益を生むために新しい工夫を繰り返し、製品を世に出して販売促進のために広告を利用する。世界中の人間が一次産業の農業に従事したり漁業に従事したり同じ立場であれば広告と無縁でも問題ないのかも知れないし、物書きにしてもネームバリューとペンさえあれば暮らして行けると思うかも知れないが、それも売れなければ食べてさえ行けないだろう。良くも悪くも、知らない内に僕達はどこかで広告の影響を受けて生きている。国営は別にして民間メディアも報道と広告と販売部門の差こそあれトータルで見ればビジネスそのものだから最後は当然自社利益に走るだろう。公平であるべき真実の報道をしたがために新聞社をやめる羽目になった潔癖男も居た。誰かが言っていた。『国が言う反対の事をやっていれば間違いない』と。メディアのニュースや広告を信じるか信じないかは個人に委ねられているのだろう。丸呑みで信じてしまう場合の危険性も心配ではある。