何かやり残している感。
最近、就寝前やパソコンを打ちながら『どうも自分の人生って、たくさんやり残していること、誰に対してなのかわからないがお礼を忘れているのでは?』という思いが強く出てきた。きっかけは、前職で私の採用に深く関わってくれた総務課長だ。定年後、胃がんで全摘手術が成功したと思ったら、2年前に脳梗塞を発症し、言葉も不自由になり、『誰とも会いたくない』と奥様から聞いた。新刊書を持ち歩き、映画にも造詣が深くクラシックもセミプロ級の感性を持っていて、いろいろ教えられた。2年前、会って話したら『いま無名の作曲家にいい音楽があるんだよ』と言っていた。バロック音楽が出る前の楽曲らしい。音楽界も傾向として無名な人々へ向かっている潮流を確認した。在職中、私が山下達郎と竹内まりやしか聞かない音楽フェチで、クラシックは全然聞かないと思っていたらしい。
彼に限らず、思い出すだけでもあの人この人と際限なく世話になった人がいるが、すでに故人になっていたりする。一番は自分の親や兄弟、親戚、隣近所だ。ある人曰く、私は自然児みたいだと。全然、躾らしいことが親から施されず、たくさん恥ずかしい振る舞いがあったかもしれず周りに迷惑をかけてきた。。とはいえ『後でお礼するから』と言ったり、気持ちの中にあって果たせてないことが山のようにある気がしてしょうがないのだ。一つずつ思い出したら果たしていこうとするが、忘れっぽくなり後手後手だ。渡世の義理を果たしていないというわけだ。
考えてみると、それぞれの個人は自分で生まれる時代や国や両親を選べないから、最初から何事かの負債を負って生まれてくるともいえる。金持ちすぎる家に生まれて、結果として不幸な結末も多いし、貧乏で生まれたがゆえに貧乏な人へ優しい人も多い。負債という言葉が適切かどうかわからないが、生まれる前から背負う荷物はある程度決まっているともいえる。日本で生まれたなら、当然、第二次世界大戦でアジアの国々迷惑をかけてきたことは事実で、自虐史観ではなくて、現実のこととして認めないと外交は始まらない。生まれる前の歴史を学ぶ意義は、たとえば文字を持たない部族やアイヌの古老が焚火を囲んで昔むかしの話をして、若者や子供に伝えた文化に似ている。そういう昔話の延長で自分がここにいると思えば、果てしない負債が自分にのしかかる気もする。個人という概念がエゴという個人ではなくて、たくさんの人間の中に溶けていくような気がする。身近なたとえで言えば大手の企業に勤めていようが、彼が資本を出したわけではなくて、たくさんの見えない先輩や創業者たちがつくったブランドを言葉は悪いが横領で生きてきたともいえる。身近に若手のサラリーマンの貧富の格差を見ていてつとに考えるおじさんである。
ゼロ戦パイロットの弟。
私より20年も先輩の兄の青春時代は太平洋戦争でした。戦争には行かなくても両親や姉たちは戦火の東京にいたのです。時代は変わったと簡単に言いますが、ちょっと前の話ですね。そんな時代を経て現在があるのですから、戦争そのものを知らない我々は、簡単に戦争を批判したり拒否したりはしていますが、当時に生きていれば、自ずと考え方も変えざるを得なかったのではないでしょうか。戦争に限らず、多くの命の上に現在がある事への感謝は忘れてはいけませんね。
seto
まったくそのとおりで、自分たちの人生がたくさんの贈与の上に成立している。居間に4人と1匹の写真が置いてあります。満州から無事に帰国できた父がいて、私がいる。父も帰国するときにたくさんの死者を見たと言ってます。運よく帰国。母も大阪空襲で北海道に帰る。友人が死んだ話をするときに泣きます。父母の世代は戦争に翻弄された苦役と喜びの青春を送っていましたから、学ばないといけないのに、全然、話を詳しく聞いていない自分を残念に思います。
坊主の孫。
大事業を興している訳でもなく、生きるためにだけ働き、気づけば家族が居たり、周囲のお付き合いが有ったり、ここまでの道のりを歩んで来れたのは、自分一人の力だけでは無い事に気づきますね。たとえ自分が偉人では無く、ごく普通の人間でも、後世に伝えたり残したり出来る事はあるでしょうね。例えば、自分史でもいいですね。でもある事ない事を盛りだくさんに飾り立てる必要はないでしょうね。この手の文章は、ともすれば、全て美談で終始しがちでしょうが、これまで生き様を、ありのままを伝える事の方が大切でしょうね。善い事も、悪い事も。むしろ悪い事や恥ずかしい事が多い方が人間本来の姿なのかも知れませんね。
seto
悪いことと恥ずかしいことを残すほうが意義ありそうです。自分が年齢を加えると、父親が何を息子に感じていたかわかる気がします。ある年齢にならないとこういう感慨は無理ですね。いまは小さな子供を見ているだけで幸福感を持てます。どの子供もね。彼らを生きやすくする社会に1センチでも貢献できればそれでいい心境です。
昔の少年。
古臭い人間と思われるかも知れませんが、毎朝、仏壇にお参りしています。別に仏教に熱心なわけでもなくお経の一つもあげられない私ですが、兄も他界して、姉たちは嫁ぎ、我が家の姓を継ぐ者が私だけになったので田舎の大袈裟な仏壇から小さな仏壇に変えて我が家に置いています。扉を開けて、心の中で、これまでお世話に成った全ての人の名前と顔を思い起こしてから仕事に出かけます。その数は年々増え、今では家族同様だった数匹の猫たちや、友人も加わりました。元気な時には嫌っていた隣近所の人たちにも、実はお世話に成っていたのだと反省するこの頃です。
seto
小さなファッション仏壇は川崎の兄のマンションに置いてます。自宅は夫婦のそれぞれの親と愛犬コロの写真です。水を替えて、ときどきお菓子を置いて供養してます。いまの社会を彼らが見たらどんな感情を持つのか。最近、コロナ感染で、ふたりでコロナ電話会議をしています。川崎の状況、札幌の現状を報告しあいます。ぶっきらぼうな兄でしたが、図書館も休館して退屈しているのでかっこうな話し相手になってます。昔はライバルではあったのに不思議な感じがします。この年齢になるまで少年時代から会話らしい会話をしてこなかった残念感がどちらにもあるのかもいれません。
匿名
やり残しているか?どうか?さえ良く分かりません。それだけ無計画に生きて来たと言う証拠かも知れません。計画を立てて、その通りに生きる事が出来る人なんて?果たしているのでしょうか。むしろ、良い人生だったと言い切る人たちも、良い結果だけを残し、余計な部分を忘れているに過ぎないのではないかと。また、それが正解なのかも知れませんね。悪い結果ばかりを貯め込んでも精神的に良くないですからね。
seto
まだまだこれから何が起きるかわかったものでもないし。未来が良き日であるように祈るばかりです。やり残しは、まだまだ勉強が足りませんね。正直そう思います。どこまでいけるか疑問ですが・・・。