一昨日(8月2日)は、黒澤映画の「見えないところ、実際のカメラには映らない細部も本物で作る」ものづくりを少し書いたけど、考えてみると私を含めて市井の人々の日常は、そういう仕事の集積で実は流れていることに気付く。

名前も知らない人たちがいい仕事をしてくれている。家から出るゴミを集めてくれる人たち(ある人は、こういう仕事をしている人たちは市長より給与を上げるべきとさえ言う人もいる)や年金を決められた金融機関に振り込むよう間違いなく入力をしてくれる人、電車に乗れば安全に目的地まで運んでくれる人、いつもきれいにトイレを掃除してくれる人、雪が降れば駅までに誰かが踏み固めた道ができていて、別に誰がしたということもなくて、住む人に利便性や快適な環境をを与えている。自分もどこかでそういう働きをしているのかもしれない。

一次産業の農業でも、この国の農家の作る作物の美味しさや種類や丁寧さにおいて、また安全な食品への意識も高い。数少ない知り合いの農家の人と語ると必ず除草剤をどうするかの話になる。この豆には使ってはいけないから、手で草取りをすると決めて、近所の主婦を雇って草取りをしてもらう。そういう努力から消費者へ届く。

自分の住む国で作られるものに信頼と信用を失うと、中国人中流階層の買い物ツアーになってしまう。これは、中国にとって将来を考えれば、いいことではない。せめて日常で食べる・使うものに関しては自国できちんと作るようにしないと、お互いの国にとって禍根を残すと思う。自国民が作るものを信用しないとい国になってしまったら、それは他人を信用しない、お金以外信用できない、親族以外信用できないという非常に危うい社会になるのではないか。

それを繰り返すと、いつのまにか作る側もいい加減なモノづくりになってしまう。それは、ある意味、見えないところで仕事をしている、物づくりをしている人を信用していないという生き方でもある。生き延びるための丁寧や親切という地味な価値観に覆われた社会の安心・安全が、そういう世界では失われる。お金を積んで安心や安全を買う「ビバリーヒルズ」現象(マンションにまで高い塀を設けてセキュリティを図るのも多くなった)には、限界があるし、他者を寄せ付けない(同じような価値観を共有しない人間の排除)ものがある。

不安や不信な感情を基礎に繁茂する業界もあって、1しかない不安を10まで拡大して、商売にしようとする。信用や信頼があれば社会の維持費がとんでもなく安くつく。もう一度考えてみる必要がありそうな世の中だ。そして世界だ。1950年から始まった朝鮮戦争による特需、ベトナム戦争特需、不動産価値を限界まで評価して金融機関が融資をしたバブルから見ると、現代は不安バブルといっていいかもしれない。サイバー空間では情報の泥棒合戦、インフラのシステム破壊行為までしている。しかし、このバ不安バブルの悪い所は、終着駅が見えないところだ。

  1. 善人だけの楽園「パラダイス」、悪人ばかりの地域「ブラックゾーン」にハッキリ分かれていれば暮らしやすいかも知れない。自分をどちらに置くか迷う人には中間「グレイゾーン」がある。つまり、現代はこの「グレーゾーン」だ。ここでは善人も沢山居るが、諍いも起きるし、泥棒も沢山居る。人々は思い思いに自衛手段を考え、いろんな人が混在している中からビジネスや社会秩序は生み出されていく。「パラダイス」とは宗教用語で例えれば「天国」なのかも知れないし、また「ブラックゾーン」は「地獄」なのかも知れない。優柔不断な僕たちの「グレイゾーン」は拡大されるばかりだ。

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