雲

4月8日の再録です。未読の方のために

肉をくわえたイヌのお話です。

肉をくわえたイヌが川をわたっていきました。水にうつるじぶんのかげを見て、もっとべつの大きな肉を持ったイヌがいるとおもって、そのイヌの肉をとろうとすると、じぶんの肉が口からおちてしまいました。イヌはふたきれともなくしたのです。ひときれは、もともとなかったのですし、もうひときれは、川にもっていかれてしまったのです。この話は、よくばりの人にしてやるといいのです。(岩波少年文庫・河野与一訳16p)

 

イソップという人が実在したのかどうか、紀元前6世紀サモスの奴隷階級出で、デルフォイで不慮の死を遂げているとヘロドトスは「歴史」に書いているが・・。日本には桃山時代、豊臣秀吉の時代に熊本の天草にあったキリシタン学校の宣教師が日本人に意訳させた「天草本」が有名らしい。350年前からイソップはこの国の読書階層に読まれていたのだ。私塾も九州にたくさんあったので、読まれていた可能性は高い。

イソップ話は最後は必ず教訓で終わるという形式をとっている。なぜだろうか?いまも全国の図書館活動で読み聞かせ運動をしているが、結局、語る・声に出して話す、それもまだ文字が読めない人たちへ身近な動物や鳥たち植物・人間をたとえに出して(幸福と不幸という抽象的なテーマもある)語り終えたときに「教える・教訓をひとつ」という私塾みたいな集いがあったのかもしれない。もしイソップが奴隷階級出であるなら、読み書きのできない人たちが周りにたくさんいたことが予想される。生きていくために必要な知恵をこうして、口から口へ伝達していった。

2500年間、世界中で読まれている「寓話」なんてそうそうあるものではない。アラビアンナイトがあるからイスラム圏にはあるかもしれない。中国には「老子」「荘子」があるから、読んでみたら、規模壮大ながら、教訓めいた話はたくさんありそうだ。この紀元前6世紀は、人類史で基軸時代(K・ヤスパース)と呼ばれ、ターレスやヘラクレイトスなどギリシャ哲学、仏陀、孔子を初め諸子百家が続々出てきた不思議な世紀だ。この中にイソップもいるわけで、インテリ階層(能弁階層)の中で異彩を放っている。どこかで、筆者も教訓を刷り込まれてしまったと思う。幼稚園から説教が大嫌いな筆者なので(ルーテル教会に入るが祈りと説教・ドイツ人怖くて退園)読み直して、その説教跡を消さないといけない。イソップの話、最後はアリのお話です。

 

いま、アリといわれている虫は、むかし人間でした。畑仕事をしていましたが、じぶんが働いてとったものだけではまんぞくできず、いつもほかの人のとったものまでうらやましがって、近所の人の穀物をそっとぬすんでいました。ゼウスは、そのよくばりなのをおこって、この人をいまアリといってる虫にかえてしまったのです。いくらすがたをかえても、(くせ)まではなおりません。そこでいまでは、畑をあるきまわってほかの人がほねをおって作ったものをあつめて、じぶんのうちにためています。生まれつきよくない人は、ひどい罰をうけても、わるい(くせ)はなかなかなおらないものです。(同書97p)。

 

  1. 今の子供たちは昔話を知りません。すでに家庭や学校で読み聞かせる事が無くなってしまったからでしょう。現実は、良い悪いは別にして、大人たちより子供たちの方が情報を先取りしているケースもあります。僕の中学校の地理の若くてショートカットが可愛いかった田辺先生は授業時間の後半30分に読み聞かせてくれる時間としていました。書を持つ右手の肘を左手で支え、コツコツとゆったりしたリズムで教室を前から後ろに、後ろから前に読み歩く姿がかっこよくて腕白たちも静かに聞き入っていました。あの姿は今も僕の脳のハードディスクに残されています。「キッチョムさん」?とか言う本のタイトル?内容は面白かったような?気がしますが残念ながら憶えているのは田辺先生の事だけでした。幸いにも僕が所属していた美術部の先生でもあり絵も上手で部活でも一緒に楽しい指導をしてくれました。素敵な先生でした。

    <わんぱく小学2年生男児の感想文>2014年12月15日 のブログより

    ある小学校2年生の教室で、読書の時間が終わって先生がこう言ったそうな。

    先生「君たちが今読んだ本の感想文を書いてください。」

    児童たち「はい!」、「はい!」、{はい!」・・・・・

    その中の一人、ワンパクな男児は「いなばの白兎」を読んだんだそうな。彼の感想文はいたって簡潔明瞭、こう書かれていたそうな。

    ワンパク男児「ウサギがワニに毛をむしられて、グロかったです。」

    先生の赤ペン添削「もう少し違う言葉で書きましょうか。」

    ※グロい(グロテスクの短縮語)
    実話

  2. Once upon a time, at some places.むかし、むかし、あるところに・・・から始まる昔話は、大人にとって、子供に読み聞かせるには大変都合のよい教科書だった。今では子供のほうが情報過多で全く信じないし「アリエナイ?」となる。PCや3DSやスマホの通信機器からは大人が作ったであろう教育とは程遠い?いや残虐なシナリオの話ばかりだ。いじめなど昔もあったが自殺まで追い込む例はなかった。子供たちの心もアニメの中の創られた人格に似ている。戦隊ものにしても数人で少ない悪?を退治するが果たしてどちらが悪なのか?勘違いさせてしまうから怖い。美しく派手なものが善で醜いものが悪の表現もどこか気になる。「キモい!」と言うやつだ。「死ね!」と日常会話でも使われる。夏休みに水あめを貰って見た自転車のオジサンの紙芝居は楽しかったが、今では通用しない。水あめも不衛生だし変なオジサンの話?になってしまう。男の子も女の子も、子供の「おっさん化」はどんどん進んでいる。道徳が授業に取り入れられているが、さっぱり効き目が現れて来ない。嘆いてばかりも居られない。「芥川賞」や「直木賞」などより「現代版イソップ童話賞」の誕生が必要だ。決まりは、巻頭、Once upon a time, at some places.から必ず始まるシナリオで。子供たちの間でベストセラー?視聴率50%以上?の・・・。

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