何度も読んでいる『進化は万能である』(マット・リドレー)第12章「リーダーシップの進化』286p。全文は「マルティンルターは宗教改革を起こしたとされている。しかし、それは起こるべくして起きたのだ。たとえルターがいなくても、別な人物がそうしただろう」さらに「戦争の趨勢がたまたまどう転ぶかで、国の滅亡は早まりもすれば遅れもする。だがその国が滅ぶべき運命にあるならいずれ滅ぶのだ」私たちは長い間、社会科の教科書、特に歴史を学ぶときに必ず個人名が出てきて、ときに偉人として伝えられまたは悪人として伝えられ、それを暗記したり、いわゆる歴史家や評論家、テレビでの解説なので頻繁に物語を聞かされるが、果たして本当か、というのが著者の論点だ。

ここには個人といえども母親と父親からの遺伝子を受け継ぎ、その伝えられた情報(性格や能力)を引き継ぎ、環境(家庭や社会状況・教育・友人)の中で発現されていくという生物としての人間の視点がある。それが「進化」の意味だ。ルターの時代もカトリックの司教が金儲けに信者の悩みや罪の意識を利用して護符を作って売り儲ける商売に、たくさんの怒りを覚える信者がいたことを考えるとルターでなくてもいずれ起きた現象だ。

現代に当てはめてみるとこうなる。「トランプ大統領が4年前に当選しなくても、当時のアメリカ経済、特にモノづくり産業に従事していた労働者たちの失業や雇用不安は、誰かによって代弁されることになったであろう。アメリカの独立から始まったモンロー主義(孤立主義)が何度も顔を出すアメリカにしてみれば不思議でもない。たまたまそれをトランプが目立つようにしているだけだ。トランプでなくても同じような政策をしただろう。それは現実の社会状況と雇用状況との相関関係から生まれる」。

それを危険ながら日本国に当てはめれば「安倍晋三がいなくてもいずれ日本会議のメンバーの誰かが同じような政策をしただろう。背後にあるのは若者を中心に非正規雇用の人々の既存の既得権益者層への不満である。そこから既存メディアへの不信と文書の改竄も、電通との癒着とオリンピック招致運動も万博招致運動もしただろう。たくさんの政策立案の官僚たちが個人名を隠しながら、新しい法律を施行させていくだろう。政治家名は二の次三の次だ」。官僚たちは政治家を利用しているだけだ。そしてこういうすべてのトップダウン案はすべて失敗する。ボトムアップでしか社会はイノベーションされないからだ。政治家や官僚が気づくときすでに社会は変わっている。事後的に追随しているに過ぎない。大企業の解体も同じことがいえて気づいたときには、社会はその先に行っている。賞味期限の過ぎた経営者ばかりテレビ画面に出て苦渋の顔をさらしている。「歴史はリーダーに光を与えるあまり、出来事や状況を軽視しがちだ」(ディドロ)。

「進化は万能である」は、これまで知識を足し算(断片の知識の積み上げ)と考えてきた人々。しかし、これではどうもまとまらないと疑問を持った人の頭にショックを与える本。宇宙、道徳、生物、遺伝子、文化、経済、テクノロジー、心、人格、教育、人口、リーダーシップ、政府、宗教、通貨、インターネット、未来の17章にわたって、ボトムアップと進化について具体的な事例に即しながら「なるほど」と首を垂れて読める。

 

  1. 歴史のシナリオは後で作られている事が多いですね。それもヒーローがいて、しかも美談の裏には悪人まで仕立てて、当時の権力者に都合よくできていますね。自然現象さえも個人の力に仕立てたり、神の力だと信じさせたりと、科学の進化した現代には通用しません。時代は確かに先に進んでいますね。

    • 現実は先に行き、政治や政策はその後にようやくついていきます。言葉は現実の後、映像も事件後に撮影されますよ。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です