14歳向けの本がいろいろなテーマで出版されている。なかでもすばらしかったのは、「ミライの授業」(瀧本哲史 2016年6月刊 講談社)(瀧本哲氏2019年8月10日死去 47歳)。副題は14歳のきみたちへ。この年齢は全員が平成生まれ。書き手は昭和生まれだ。瀧本さんの本は、学生が教科書に色ペンを使用するように大事なところに黄色の蛍光色を使っている。難しい概念を使わず、内容は高度だ。これなら「なぜ毎日つまらない勉強をするのか」その意味がわかろうというもの。


しかも、この本は実際に全国の中学5校で「授業として教えた」内容を1冊にまとめてある。法則の1番目は「1時間目の授業」という具合に5時間授業になっている。生徒の検証を終えて書かれた珍しい本である。ここにも自ら本を書くに当たって、瀧本さん自身の冒険が読み取れる。


基本は、「課題の解決」ではなくて「課題を発見する」チカラを養うことにある。「課題の解決」ならば、それは受験勉強で、与えられた問題を解くだけの世界である。「どうも変だな?みんなはそう言うけれど、違う気がする。」など、イギリスの17世紀の哲学者フランシスベイコンの「知は力なり」をキーワードに実践していく薦めの本である。実際のデータを積み上げて「論より証拠」を提示する。取り上げられてる人物はニュートン、フランシスベイコン、ナイチンゲール、コペルニクス、ヘンリー・フォード、海軍軍医高木兼寛(脚気の原因を栄養不足に求めて森鴎外と対立)、大村智(ノーベル化学賞受賞)、ビルゲイツ、エジソン、加納治五郎、ベアテ・シロタ・ゴードン(日本国憲法に男女平等の概念を明記させたGHQと日本側との通訳に入った女性)、ココシャネル、伊能忠敬、サッチャー、コペルニクス、J・Kローリング、緒方貞子さんなど。彼らの生い立ちを含めて伝記的な記事も多くて読みやすい。


共通は全員実践家であるということ。生きた時代が違っても、前例がなくても(前例がないから、その空白地帯に旗を立てた人たちである)。14歳と言う年齢は、大脳も柔らかくて、脱脂綿に水がどんどん吸収されるように思う。made in japanではなくてmade in worldを目指して生きて欲しいという著者の願いが篭った本であった。そして著者は「みなさんが世界を変えようとするとき、自分の夢をかなえようとするとき、周囲の大人たちが応援してくれると思ったら大間違いです。大人たちが応援するのは、自分の地位を脅かさない若者だけ。つまり、世界を変えない若者だけです。」と付け加える。公務員の世界や大きな民間企業や学校の世界も政治の世界についても言える。「世代交代だけが、世の中を変える」(科学史家 トマス・クーン)そういう意味で年齢の問題を等閑視した日本とアメリカのトップ交代は哀れである。

  1. 我が家にも14歳の双子の孫がいますが、勉強嫌いで困ったものです。とは言っても、私も決して勉強好きでは無かったので「血は争えないな」とも思います。しかし、夕べは二人とも珍しく机に向かって深夜まで何やらやっていました。どうも試験の一夜漬けのようでした。お蔭で今朝は寝坊して出かけました。学校で何か興味を持てる授業が有れば良いのですが。私など不純な動機ですが、美術部の顧問で地理の担当の大学出たての素敵な女性教師の授業は楽しかったですね。肝心の教科書を勉強する前の15分程でしたか、「コペル君」とか言う題名の書物を読み聞かせてくれました。席の間を縫うように歩きながら美しい声で読み聞かせてくれましたから毎回の授業が楽しかったです。おまけに部活の美術部でも会えたので中学校生活は楽しかったですね。孫たちも学校が楽しくなれば良いのですが。

    • コベル君は{君たちがどう生きるか?}を書いた吉野源三郎の名著ですね。ここずっと売れ続けています。私も音楽の女性教師が妊娠していて大きなおなかを眺めていたことを思い出します。放送室でビートルズの音楽や今の時期ならフランクシナトラのホワイトクリスマスを聞いて楽しい時間をすごしました。

  2. ホランペッター。

    私も放送部でしたから、朝礼や昼は放送室にこもっていましたね。あまりポピュラーな曲のレコードは有りませんでしたので主にクラシックでしたね。ベートーベンとかバッハだとかマーチとかアメリカ民謡はありました。当時は自分でレコードなど買えませんでしたからね。せいぜいラジオで聞く情報程度でしたね。音楽部へは高校時代に入りましたが、その頃からいろいろな音楽を聴くようになりました。現代っ子に比べてオクテですね。夏休みに数週間、東京の姉の家に泊まって、しょっちゅう新宿で生のステージを観てから人生が変わったような気になりましたね。新しい体験は成長期に必要ですね。また電気店の息子だった後輩の家には様々なジャンルのLPとオーディオ・コンポがあって仲間同士で入りびたりでした。彼らとはバンド仲間でもあったのです。同じ趣向の仲間も大切ですね。今では皆んなバラバラになってしまいましたが、14歳頃から18歳位までの間の自分に影響を与えてくれた人たちですね。

    • レコードは高価で自宅にステレオがないと聞けませんでした。洋楽のポピュラーは学校内では流すのは禁止で、放送室の中だけで皆で聞いてました。最初に流してもいいよと言われたのがビートルズのミッシエルでしたが、流されると全教室から拍手と歓声が上がりました。パットブーンや映画音楽も次々Ok出ましたが、事前に放送部の顧問と相談しながらやってました。不自由な時代でしたが、ひとつづつ流す自由や聞く自由を獲得していきました。中から改革でしたね。

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