東京で12月24日に落下した流星(人口衛星)で起きた大停電。下町のどんずまりでジャズ喫茶を経営する豊川悦司。隣のローソク屋の娘から、彼の素性や失恋体験を聞き出すが「年とるとすんなり説明できないこともあるのよ」と答える。聞くほうは「どうして?」と聞くが、こと男と女に関しては単純ではない。説明できないほど複雑に絡まっていたりする。大停電という非常事態に様々な人間関係の本当が炙り出されてしまう。私は子供のころ停電が好きであった。昭和20年代30年代はしょうちゅう札幌市内は停電が起きていた。家には必ずラジオと懐中電灯があったが、電池は貴重品なので明かりはロウソクであった。ちゃぶ台の真ん中に皿を置きロウソクを立てて兄妹私3人で火事を出さないよう見守っていた。ときどき息を吹きかけて炎を揺らして遊んでいたが。停電になっても「また停電か、仕方ないね」と母は言って誰もクレームは言わず、電話機もなければ、テレビもない暮らし、とにかく早く寝るに限る。それに不満もなかった不思議な時代であった。朝になれば太陽が出てくる。それまで待とう。父は夜勤でいない、母を真ん中に7歳の兄、6歳の私、4歳の妹が6畳の部屋に煎餅布団を敷いて寝ていた60年以上前の光景が浮かぶ。北14条西2丁目の私の生まれたぼろ屋敷がとうとう壊されたと聞いた。「大停電の夜に」を見ながらつい私の幼少期を思い出した。水道もなく井戸水を使用していた。馬橇が走って、北大前を札幌市電が通る。私は行方不明になることが多かった。エルムという映画館の真鍮の手すりを握ってスティール写真を見ていたらしい。電気が消えれば夢の時間が始まり始まり。大人の世界も素顔が出てくる。この映画の素晴らしいシナリオにため息が出る。大停電だから話せる話、新しい人間関係が作られ、隠れた善良さがたくさん出てくる。未見ならごらんあれ。

  1. 今の時代の停電は大変ですね。バッテリーで動くもの以外使えない訳ですから、大容量バッテリーか発電機でもない限り困る事ばかりですね。それに電気に頼り過ぎているため他の方法の予備知識も持っていないのが現状ですね。電気は安全と言われていますが、外国で子供が風呂に入ってスマホを充電状態のまま浴槽に落下させてしまった結果、感電死などのニュースもありました。今後はクルマも電気駆動が主力に成って来ますから、電気慣れでの事故なども起き得るのではないかと思いますね。火を使っていた頃の方が取り扱いに慎重だったかも知れませんね。孫が自室ベッドで電気毛布を使用していますが、学校に行った後にチェックに行くと電源が入ったままだとか、スマホやゲームPCの電源を切って居なかったり、照明を消さなかったり、充電アダプターのコンセントをいい加減に差し込んで居たりと、現代っ子たちの電気に対する感覚の甘さに不安になりますね。

    • 電気のない時代のほうが長かったので、以前、デフォーのペストを書いてましたが、あのころロンドンの灯は魚の油かロウソクですかね。フランス革命も電気なく、レオナルドダヴィンチの工房も電気なく、考えてみると電気のない社会の中で事件が起きていて、そのあたりで物語作れませんかね?「薔薇の名前」というションコネリー主演の映画があります。12世紀北イタリアの修道院ですが、ロウソクだらけですが、あの原料はなんでしょうか?ロウソクを頼りに写経(聖書を写す)のですが、犯罪頻出物語。最後は大図書館火事で焼け落ちとなりますが、闇とロウソクと火事、殺人。電気があると歴史変わってしまいます。

  2. 暗くなると何故か?しんみりしてしまいますね。高校生の頃、学生寮で同室の皆が寝静まった深夜にラブレターを書いて、イザ!朝投函しようかと読み直して辞めた経緯は多々ありましたね。昼の自分と夜の自分は別人格のようなものですね。停電などブラックアウト状態では、やる事も限られてしまいますから、会話なども顔が見えない状態では普段話さなかった事なども言いやすく成ったりするのかも知れませんね。

    • 大バブル期に東京へ3泊4日の営業へ行きました。薬メーカー本社営業でした、相棒は夜のジュリアナ東京へ。私は疲れてお休みタイム。夜に発散する若い人の欲の嵐を見る思いがしました。バタフライを見れたかもしれません。暗くなると人間変わるのを何度も見ています。万札入れて陽気になる人が多かったです。酒の飲まない私はどうでもよかったですが。昼と夜の顔、どちらも自分の顔なので愛しみましょう。夜の会話も気をつけないと言いやすいからついつい要らないことまで言って失敗もあります。

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