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勝ったほうが生き残るとは限らない(養老猛司)
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運動会の徒競走は一等賞を取った人とビリの人が出るけれど、もし後ろからトラがエサを求めて来たなら、ビリの人が食われる。しかし、前にトラがいた場合は一等の人が食われるから「勝ったほうが生き残るとは限らない」という話を養老さんが書いていた。(養老猛司 旅する脳 100p)直線の徒競走ではなくて、円周を何回も回るなら、だれが先頭でだれがビリかわからなくなる、そういう考え方もあるなと思う。大きな企業では、同期の人間の出世競争は必至の世界で、私はずっと小企業で勤めてきて、横で彼らと付き合ってきて、いつまでたっても最初の一撃である肩書きに定年まで付きまとわれる。どこかで捨てられないものか、距離を取って生きられないのかと思うがダメである。トップに立つのは一人なんだから諦めればと私なんか思うのだが、医師の世界の教授選挙や近所の病院の院長選挙を見ていると負けたほうは外に病院を作ったり、市内の病院の院長になっていく。待遇だって悪くはないし、いい暮らしが待っている。新しい病院へ先生を慕って患者もついていくではないか。国立大学医学部で教授選挙があって、2名の助教授が立候補。二人は市内で同じ高校の先輩と後輩だ、だれもが先輩のほうが教授になると思っていたし、本人もそうだった。ところが蓋を開けると後輩が教授に。後で知ると後輩は裏工作をいろいろしてきたみたいで(集票作戦)負けたほうは病院の院長へ行くが、もぬけの殻のようになった。しかし、医療機器メーカーからの賄賂だとかパワハラ疑惑とか教授にも何が待っているかわかったものではない。先頭で権力を持つとリスクを同時に背負う。生き方の芯を相当に強く持ち続けないとやられてしまう。「先生とか教授とか社長とか会長とか」肩書で呼ばれ続ける毒もあるので、一番後ろで趣味をシコシコしているほうが幸せに近いかもしれない。私も講演会の人集めに失敗して(定員200名が20人しか集まらず、ホテルの従業員に制服を脱いでもらい座ってもらい、会場を半分の席数でごまかし逃げた。冷や汗)やれやれ手配を終えたと思ったら逆転劇が待っていた。人生、そんなもんだとも言いたい。

  1. 何がどう転ぶかは判りませんね。私の幼少期から中学性時代まで竹馬の友だった腕白坊主で親分肌の公務員サラリーマンの息子Mは高校入試で比較的近場でJRで通学できる隣市の県立高を受験。私は3~4時間もJRや電車乗り継ぎでしか行けない他市の全寮制の県立高を受験。発表の日、学校の廊下に張り出された結果の前で、はしゃぐクラスメートの傍でMは泣きべそをかいて居て慰めようも有りませんでした。私の場合はさほど競争率も高く無かった為か何とかクリアーしてホッとしたものです。その後はMと私は離れ離れで疎遠となり竹馬の友の関係も無くなりました。ところが、成人して私が田舎に帰って、近所で聴くと、Mは地元の放送局に入社したとの事。強力なコネでもない限り相当難しい就職先のはずでしたが、見事な起死回生で羨んだものです。噂では電気の専門高に受かってその道の勉強をして電機メーカーに就職後に途中入社試験で放送局に入社したようです。そう言えば少年の頃から科学雑誌を定期購読していて、田舎の子供にしては高度な電気関係の実験ばかりしていました。私はその実験台に使われた事もありました。Mにとって第一志望の県立高受験に失敗し遠回りした事が、後に好結果に至ったのでした。

    • いい話ですね。何がどう転ぶかわかりませんんが、初めから好きな電気関係が少年時代からあったのがミソですね。好きこそものの上手なれを地でいってます。もちろん人のつながりや運も味方したでしょうが、地元に帰った時、起死回生を果たしたM君の話、うれしかったでしょうね。私は3人兄弟で兄も妹も本州へ。私は京都の大学へ当時としては一番安い私立大学へ行くつもりでした。下宿も探して(錦市場内)札幌の帰ると地元の大学に入って、俺は京都へ行く、ダメダ仕送りできないと親父。唯一北海道に残った私がいたから父親と母親を無事に見送ることができました。そのときは両親の死まで考えてはいませんでしたが、本州へ行けなかった敗北感は正直ありましたが、これで良かったんだといまでは思います.ブログテーマとは関係ない話になりました。

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