どのようにしてお金持ちになったか?
結果としてのお金持ではなくて、どうしてそうなったか?あるホテル経営者は「1億や2億持ってる人はお金持とは言わない。ごろごろいるよ、小金持ちに過ぎない」と言う。お金持ちが住む住宅街ならそう思うが、そうしたエリアに住んだことがない筆者の暮らしレベルから言うと1億円あるなら十分なお金持でもある。住んでいる街区で価値観がこうも違うから恐ろしい。私の偏見で書く周りのお金持ちは・・・・・。
・子供のいない官僚出身者で天下りを繰り返してきた人はお金持。・親の金銭と親の残したアパート賃貸料に加えて高い企業年金をもらい、高いクラスのベンツに乗り、毎月のようにハワイへ行っている。友達は少なくなったらしい。私も付き合うのを止めた・団地の中の田んぼを不動産デベロッパーに売却し億マン長者になった人。・大金持ちの娘と再婚した男。会えばお金の話だけ豊富で三越の外商から高級時計を2個1千万使った話をする・中学を出て父親の建築会社を継ぎ、土木で稼ぎ、淡路や東北震災特需で儲けに儲けている男。「震災がなければ会社は倒産していた」と正直だ。クラス会の帰りは白のレクサスハイブリッドで奥様が迎えに来る。私みたいなサラリーマンの世界は意外やお金持は少ない。自宅を定年までに取得するのが最終的な夢であった世代だから退職金もそれに消える。あってもリフォームと子供の教育費が行き先だ。
しかし、私の周りはその人本人と釣り合わない金持ちが多い。自助努力ではなく舞い込んできたお金による富裕らしい人々だ。私の知人には実業家は少ないし、株や競馬をする人もいないから(こっそりしているかもしれない)、大きく儲けたという話は全然入ってこない。
西洋骨董のアルバイトをしていたときに、病院院長の自宅に骨董を納品して、4台のクラシックカーを置いたガレージを見せてもらった。子供のいない夫婦であった。院長は美人の奥さんをもらい、彼女は骨董を買い放題であった。新しいイギリス製テーブルを置くために部屋を模様替えしていた。清潔感溢れる超上品な邸宅であったが、冷たいひんやりする家庭、雑然とした家庭に育った私にはなじまない。金持ちの話を書いてきて、自分には無理があるテーマだとわかってきた。
貧乏暇ありお金無し。
金持ちは無駄をしません。中途半端な金持ちはお金を使いたがって自ら動き回ります。ショッピングや旅行や高級レストランやブティックやらに出かけます。本当の金持ちは基本的にドケチです。自らする事は何でも電話一本だけです。デパートの外商に電話で「あれとこれとそれを見せてくれ!」と。外商の営業マンはクルマに満載してモミ手で訪問します。しかし全部どころか?何も飼わない事も有ります。ただ自分が見たいだけの時です。ガソリン代も公共交通機関もタクシーも使いません。使うのは電話だけですが、それも相手にかけなおさせます。そして長々と話をします。動き回ってお金をばら撒くのは小金持ちですね。私などは、どれにも当てはまらない貧乏暇あり年中救急ですがね。
seto
三越の外傷を呼び出して時計を買ったり、オーダーカーテンやベッドを購入した人は知ってます。ご主人の死亡保険金で大金持ちになった人と2番目の奥さんが大地主を父親に持ち財産が転がり込んできた人でした。そういう人生もありかと思いましたが、友人はおらず(いつも金自慢話ばかりする)、人望がここまでない人も珍しいくらいです。細々、夫婦生きるための最低な暮らしを続けています。生きるだけならそんなにお金はかかりません。持てば持つほどたぶん心配事を増やすだけだろうと推測します。