高齢者の楽器演奏(投稿)2800文字
還暦になった時に、バイオリンをはじめました。「バイオリンの弾けるじじいで死ぬかどうかは、自分にとって大きな違いだ」というのが理由です。もちろん人によって「バイオリン」の部分が、「ピラミッドをこの目で見る」でも、「源氏物語を読破する」でもいいでしょう。何歳まで生きられるかわかりませんが、小さなことであれ何かを成し遂げるには、逆算すればそろそろ手をつけていなければならないとも思いました。もちろん長生きするつもりですし、一方で才能の貧弱さは分かってるので、その分思い切り早めに手をつけたつもりです。また、いい年してあれこれ指図されるのがイヤだったので、独学です。
高齢者でも上手く弾けるようになるか。自分が上手くなったかどうかというなら全然ですが、楽しいかどうかと言うなら、そりゃあもうと言い切れます。やってよかったことは多いですが、まず、尊敬するミュージシャンと同じ地面に立ってるのを実感できます。もちろん向こうは巨人、こちらは小人ですが、ミュージシャンが何をしていたのか、どういう工夫をしていたのかが分かってきて、聞こえなかった音が聞こえてくるようになります。
また、幅広いジャンルの音楽が楽しめるようになります。それまで敬遠していたジャンルやアーチストも、初心者の自分に比べれば神のごとき表現者であり、世界には多くの優れた音楽があったのかと、目が見開かれます。非常にお得です。
ただしこれはクラシック以外をやるならの話。クラシックは天才が作曲して、天才が演奏して、それに近い人達が聞く音楽ですので、今からどころか、子供時代からやっても、多分ものになりません。周囲にも何人か子供時代から音楽を習っていた人がいますが、音楽家になるどころか、当時のイヤな記憶が蘇るとかで、楽器に触ろうともしません。
年をとってから始めるのは、子供時代から始めるより圧倒的に有利です。そもそも音楽は人生の機微を歌い上げるものですから、子供に何がわかるか、という世界です。音楽好きな人なら、生まれ変われることが出来たとしても、子供時代から音楽をやらず、歳をとってから始めたほうがいいでしょう。
高齢者には現実的なアドバンテージもあります。高齢者は特に音楽ファンでなかったとしても、ドラマやCM、喫茶店で会談の時のBGMなどで、これまでありとあらゆる音楽を聞いてきています。だから名前は知らなくても、タンゴとカリプソが違うジャンルの音楽なことはわかります。
また、理屈で理解できるというのも子供にはない強みです。コードの理論などは、ちょっとかじればその分だけ役に立ちます。もともと天才じゃない人が、なんとか音楽をやるために才能を理屈でカバーしようとしたものですから、我々の「味方」です。簡単に覚えられるとは言いませんが、これまでのお仕事の上で、面倒なマニュアル等を押し付けられて覚え込まされたことが何度もあると思いますが、それよりはずっと簡単です。ちょうどゲームの攻略本のようなもので、AとBのボタンを押しながら飛び移るのは多少難しくても、できれば楽しいし、一度できれば二度目以降はむずかしくありません。
そもそも我々高齢者は頭が固く保守的で、経験からは学ぶが、新しいことにチャレンジする意欲は強くありません。なのに楽器に興味を惹かれるとしたら、それは心の底で、やればできそうだと感じ取っているからだと言えます。
(続く)
ホランペッター。
楽器との最初の対面は小学校の鉄琴と横笛でした。比較的難しい物だったように記憶しています。その次に出会ったのがハーモニカでした。東京の姉が買ってくれました。中学では美術部だったので音楽からは離れていました。高校に入ると卓球部と柔道を少々やりましたが、何故か音楽に興味を持ち始めて音楽部に入部しました。主にコーラスでしたが部室のピアノや管楽器にも触れたので放課後は部室にこもったりして遊び半分で楽器に触って居ました。そのうち吹奏楽を始めました。コルネットやトランペットを吹きたかったからですが全くの初心者で苦労しました。そのうち隣の中学校と隣の高校の音楽部に声をかけて吹奏楽団を立ち上げました。私より数段上級者ばかりでしたから頼りっ放しでした。私のパートはセカンドTPでした。それから後はすっかり音楽と離れていたのですが、或る時ひょんなことから自称作曲家の先生のお宅に遊びに行ったのがきっかけでバンドの仲間に入りました。リードギターとボーカルでしたが恐ろしい事にクラブのステージにレギュラーで上がったのです。お酒のみばかりで、殆ど誰も聞いてはくれませんでしたが、それがかえって救いでした。その後は3人で始めようとした矢先にリーダーの失踪で頓挫してしまいましたが、今思えば、それがかえって良かったのかなと思います。いつかは分裂するのがグループやユニットの定めですから大した実力も無いのであれば早いうちの決断が正解ですからね。それっ切りギターもトランペットも捨てて音楽とは数十年離れていました。ところが、高齢になった今、また悪い虫が騒ぎ出したのかギターとトランペットを入手してしまいました。独学で練習場は、大型スーパーの広大な屋外駐車場の端っこのクルマの中です。楽曲は数曲を練習していますが、主にラテン系が多いです。ジャズなどカッコよく演奏したいものですが、なかなか難しいものです。自分に聞かせるだけですから、気長にやっていますが、たまに家でギターを触ると、カミさん曰く「あなたのギターはキシリトールだね」ですって。カミカミ(噛む)とか悪評です。いつかどこか郊外の公園の陽だまりのベンチで楽器を触っていると、いろんな楽器を持った似たような爺さんたちが集まって来てくれれば楽しいでしょうね。そんな妄想にふける今日この頃です。
seto
返信遅くなりました。さっきまでセカンドストリートで実は楽器を見ていました。何がいいかなあと思うとやはりピアノへ行きました。電子ピアノでしたが、待てよ、これって息子にクリスマスプレゼントで買って、使わず、すぐに捨てたんではと思い返しやめました。カシオのピアノは自動演奏で200曲入っていて、バックグラウンドでかかれば流行歌からクラシック・ジャズまでなり続けるので楽だなと思いましたが、これでは演奏するという初期の目的から外れる、そんなズルを考えるようなら小学生時代のたてぶえやハーモニカ、木琴、子供用のピアノで十分ではないかと反省しました。ホランペッターさんは音楽歴読むとセミプロですね。手や指や喉にエネルギーを満たして若さを保ってます。もちろん耳にもいい波を送っていて、あとは練習場と仲間ですね。マンドリンをしている人がいて、招待券をもらって音楽ホールへ行ったことがあります。途中、申し訳ないけれど寝てしまいました。ところが2回目に行ったときにクラシックギターが1本つかわれて、寝る時間が少なくなりました。複数の楽器が入るとこうも違うものかと感心した次第です。これはブログを書いていても、きっと誰かのコメントがなくては長続きしないことに似ています。音楽もコミュニケーション?それも言葉が使われる前からの対話です。誰と、神や宇宙ですかね。