若者の居場所について
総理府調査「若者の居場所」について
Posted by seto
ネットラボの記事から。*新型コロナの蔓延で2016年より自分の部屋に滞在する時間は増えていると思うが。。。、
この特集は、2016年12月に全国の15歳から29歳までの男女6000人を対象に実施したインターネット調査の結果をまとめたもの。若者のつながりに関する現状と、そこから見える課題を考察しています。 そのなかで、若者の“居場所”についても調査を実施。自分の部屋、家庭、学校、職場、地域、インターネット空間の6つの場所で、それぞれ“自分の居場所だと感じている”かどうかを調べています。その結果、自分の部屋(89.0%)家庭(79.9%)に次いで、インターネット空間(62.1%)を“自分の居場所”と感じている若者が多いことが分かりました。
その下には地域(58.5%)学校(49.2%)と続き、最下位は職場(39.3%)となっています。職場の居場所感の薄さたるや……。
最下位が職場ですか・・・・・・。そういえば、残業を止めて帰る若者たちが本当に多くなりました。仕事を終えて、職員同士で飲みに行く人が少ないなとは気になっているところでした。プライベートな会話もずいぶん減ってるような気もします。しかし、若者や少年を対象にした総理府の白書ですが、それは彼らに限らず、主婦やサラリーマン、動ける老人も調査をすれば似たりよったりの結論が出そうです。
年齢が高くなるにしたがって「職場」が多少、上位にくるとは思います。「学校」というカテゴリーもなくなりますが、ネット空間は「虚」で肉体や具体から遠いですから、そこが自分の居場所としてリラックスできるとすると場所と思う老人も多いと思います。「ひとりになりたい」というブログ(5月30日)を以前書きましたが、そこも参考にお読みください。お昼ごはんの風景も同僚と久々のおしゃべり時間で私的なあれこれを相談する絶好の機会だと筆者なら思うのですが、スマホでネット空間のだれそれと会話するほうがリラックスできるのでしょう。
坊主の孫。
老若男女を問わず、昔に比べれば、人間関係は希薄になって来たとは感じますね。学生生徒たちも、友人関係も、仕事関係も、隣近所も、親戚関係も、家族関係さえも、ソーシャル・ディスタンスよろしく、距離をとるようになりました。精神面で良い場合も悪い場合もあって、最悪の場合には事件性にも繋がったりもしますね。急速なPCやスマホやネットやWebのコンテンツ普及も手伝ってそのスピードはどんどん加速していますね。井戸端会議的なおしゃべりの場もすっかり姿を変えてリモート化していますね。さらに此のところのコロナ禍がリモート化に一層拍車をかけています。このまま終息まで長引けば、長引く程、今の姿が常態化して、当たり前のようになるのかも知れませんね。
seto
いまメールより電話をする人が増えてきて、肉声の大事さを感じる若者も増えてきてます。しかし、大学でも新しい友人作りができず、クラブ活動もままならない世界なら本来、だれに会うかわからない、生涯の友人が探せるというチャンスを逃すわけですから、人的な損失も多大です。あとは精神的に金銭的に自分を保てるかどうかですね。人間関係苦手な人には待ってましたの社会ですから彼らが活躍するかもしれません。
昔の少年A。
昨日は久しぶりに、午前中から午後にかけて数人の人に会いました。ところがコロナ禍真っ最中ですから、お互いにマスク姿で、しかもアクリル板越しの会話は、お互い高齢化も手伝って多少耳も遠くなっていて聞こえづらく大変でした。聞こえないからと、アクリル板に耳を近づけたところで尚更聴きづらく、会話さえも疲れてしまいます。自分の声は自分自身には聞こえても、お互い他人には聞こえない状態はストレスにもなりますね。それならいっその事リモートでスカイプなどでお喋りした方が、マスクも不要で判りやすいかも知れません。しかしPCカメラで自分を写せば、余りにもみっともない表情にガッカリしますね。それで、ついつい表情無しの文字通信や電話での声だけになりがちです。歳は取りたくないですね。いやぁ既に取ってしまいましたが。いつまでも若いつもりで居ないで(あまり好きではありませんが)補聴器などがあれば小さな声でも聴きとれてストレスも無くなるのかも知れませんね。
seto
アクリル板や厚いビニール越しの会話ばかりです。図書館もスーパーもコンビニも。ホテルの大浴場はまさかアクリル板でなないでしょう!4月1日に行って確かめてきます。私も低い声なので、歯の調子も悪いのでくぐもった発音で、相手は聞きづらいと思いますね。電話だけは元気なので誤解されますが。補聴器のいいやつ売れているみたいです。メガネ屋さんが言ってました。老いは目や耳、尿あたりから始まり、まず良くなることはないのが悲しい現実。おっしゃるとおり、歳は取りたくありません。仕事を辞めて15日、本はどんどん消化してブログに吐き出す作業をしています。しかし、目が長続きしません。少し目をつぶってまた読書再開です。受け身の娯楽ではボケが進行するだけです。自発的な作業がチャンナエル変えるだけなら寂しい老後です。
昔の少年B。
居場所はありません。あえて言うならば、辛うじて車の中ですかね。それも「高齢ドライバー免許狩り」となれば全く居場所がなくなりそうです。年寄りがゴロゴロしていれば嫌われるのは歴然。どこかに誰の邪魔にもならない居場所を探さなければと考える今日この頃です。働かなくてもよくなれば山の中の小屋にでもこもりたいですね。
seto
近所の農家の人がプレハブの8畳の小屋を作りました。昨年、見に行きました。大きなテーブルと農作業のスケジユール表と暖房と流し台がありました。彼の夢の書斎、だれにもじゃまされず、休める場所です。夢の書斎の実現でニコニコしてました。i-pad airを買ってました。ときどきメールでアスパラの育成状況を知り、4月に買いに行きます。1キロ1600円。まったくコロナは関係ありませんと胸を張って仕事をしてました。
昔の少年C。
若者の居場所もそうですが、社会から年寄りの居場所も無くなりつつありますね。介護施設などに入れる場合は恵まれている方で、先行き不安な高齢者たちも多いのではないでしょうか?。
seto
年寄りの居場所は地下歩行空間、デパートの椅子、図書館、ベッドの中、そして最後は棺桶ですか。介護施設に入れない人の方が多いと思いますよ。そのために精神病院の入院病棟が使われています。私の近所に2回所あります。入れてるヒットに聞くと認知という名目で入院なので1割医療負担で安いのだと。いままで月に18万から20万円かかえっていたが半分で済んでいると言ってました。野垂れ死にか精神病院が待ってる運命かもしれません。居場所って大事で、そこにいるだけで安心して生きられるところです。サラリーマンなら会社(それもあやふやになってます)、仲のいい老人夫婦なら自宅。趣味も無理して集まってる気もします。そうですね、今度、老人の居場所について考えてみます。いいヒントありがとうございました。