現役を引いて、自宅にいる私でさえイライラする社会。エンゼルスの大谷翔平君の活躍以外はテレビのニュースさえうっとうしくなる。現役世代で仕事を抱えて毎日を送る人たちは、これに加えて、仕事仕事。1か月ぶりにJRで札幌に出るとエアポートに乗る出張者も少ないような気がした。札幌駅構内も午前10時、活気がない。駅構内のスターバックに入って12時からの歯医者まで時間をつぶした。「お久しぶり」と知り合いのスタバ嬢。「なかなか売り上げが上がらなくて。下がった割合は言えませんが」「国道36号線、恵庭の道の駅にスタバがオープンるみたいだよ」と言うと「確かめてみます」。駅構内のスタバは、旅行客やベビーカーを押したお母さん、カップルやゆるりと歩くおばあちゃんもガラス越しに見えて好きな空間だ。以前、勤めた会社も駅前にあって、早めに出てスタバでのんびり時間を過ごした。天気のいい日は、店の外でも飲めるから嬉しい。私の世代は「喫茶店」という単語が生きている。それがある日、30歳の女性が「えっ、喫茶店って何?」と聞いてきた。「コーヒーを飲むところさ」「それってカフェじゃないの?」喫茶店がいつのまにか死語になっている。喫茶店のマッチ箱を集めていた時代。携帯電話がなくて、デートの待ち合わせ場所に遅れるようなら、喫茶店に電話すると取り次いでくれた。店内放送で「〇〇様、お電話です」と呼び出してくれた。マッチ箱はタバコを吸うのと電話番号確認でデート必須のアイテムだった。なんとものんびりした1970年代であった。深呼吸できる空間と時間があった。うつ病なんてなかった。せいぜいノイローゼというドイツ語が社会の片隅でひそひそ言われただけだった。スタバも実は私にとっては喫茶店なんだけど。

  1. ある時期から、外でお茶を飲む行為は無くなりました。きっかけの第一にあげられるのは長年勤務した会社の倒産でしたね。当時は支店の責任者でしたので、幾ら本社の倒産とは言え、いきなり支払い口座も銀行に凍結されてしまいどうにもならず、数百万円の債権者の印刷ブローカーの彼に謝りたくて地下街のカフェで昼食しました。昼食と言っても、申し訳なくて一口も食べられませんでした。ヘビースモーキングの私は胸のポケットから数本吸った隙間にライターを詰め込んだタバコの箱をそっくり彼に渡しました。その日からタバコもコーヒーも止めました。それでも今も彼には申し訳ない事をしたと悔やんでいます。

    • 倒産の経験はありませんが、知り合いに代理店が倒産して、そのとき専務をしていました。債権者会議で、某新聞社かテレビ局から怒涛の怒りの侮蔑的な発言をされて、いまでも覚えていて、許せないと憤ってました。広告マンさんはきちんとお昼ご飯を食べての辛い会話でしたが、しただけ偉いと思いますよ。そこまで丁寧に遇することは少ないです。

  2. 以前は営業業務で朝の会議終了と同時に飛び出してクルマで数軒訪問しました。行く先々で歓待され、コーヒーを出してくれましたので喜んでいただいていたのです。午前中でコーヒーを4~5杯いただいて帰社の途に就きましたが、暑い夏でしたから冷房の効いた会社の近くの行きつけの喫茶店に入って一息つくことにしました。コーヒーは沢山いただいたので紅茶にしました。注文から暫くして出て来たのはポッドに入った紅茶でした。自分でレモンを入れてカップに注いで飲みました。一杯目は美味しかったのですが、3杯、4杯と飲んで暫くすると具合が悪くなり、急いて店を出て会社の有るビルの内科に駆け込みました。フラついて意識もぼんやりしていました。どうやら疲れているところにカフェインの取り過ぎが原因のようでした。それからはコーヒーアレルギーのように一切受け付けなくなりました。その後は訪問先でもお茶をいただくようになりました。コーヒーはネスレのインスタントを小さじの先端にほんの僅かの超々アメリカンなら呑めるようになったのはごく最近の事です。

    • 多い時で1日5鉢6杯飲むことありました。喫茶店代金、半端でなかったです。喫茶店は営業マンで経営されていた時代が長かった。ゲームの機械も置いて遊んでました。営業様様です。コーヒーは便通がよくなるのでいまでも朝ご飯の後、ペーパーで粉を入れて飲んでいます。カフェインレスも飲んでみましたが、美味しさに欠けてやめました。喫茶店、良き時代です。スパゲッティとピラフとカレーも定番でしたね。

  3. 喫茶店にはいろんな想い出がありますね。クラシック喫茶とか同伴喫茶なんてのもありましたね。氷で落とすコーヒーの喫茶店とかマリアッチのBGMで隠れ家のような店でソーサの上に必ずクルミが一個付いてくる店では、それを両手の指を絡ませて押し割って苦労して中身を食べていました。変わった店も多かったですが、北海道に来て、毎日たまり場にしていた「サボール」とか言うの店のママさんは風来坊の私に、まるで母親みたいに説教もしてくれました。店に置いてあるギターで歌ったりしましたね。予備校も近かったので予備校生の彼らも集まって来てすっかり友達にもなりました。そんな喫茶店やスナックも多かったですね。古き良き時代でした。

    • クラシック喫茶ありました、狸小路7丁目ウィーンです。ジャズもあったし、フラメンコ教える喫茶もね。ジョージの城です。24時間営業の喫茶店もあり、たくさん寝ていました。飲み過ぎや最終便乗り遅れです。小さな町にも必ず喫茶店があり、町内の情報交換の場でしたよ。サポーるって聞いたことあります。ママさんやマスターはお客さんとよくおしゃべりしました。いまなら、うるさい・・で煙たがられます。

  4. ホランペッター。

    あの頃はお茶を飲む行為は一日に何回もありましたね。朝のコーヒー、昼食後のコーヒーはもちろん、偶然知り合いに遭えばコーヒー、暇になればコーヒー、疲れたら一休みでコーヒータイムと、基本は誘った私が払うので、毎日コーヒー代だけでも相当使っていた記憶が有ります。景気も良かったので、趣味や遊びにも結構つかいましたが、余り困った記憶はありませんね。右肩上がりが続くものだと勘違いしていたのも事実ですが、バブル崩壊とともに厳しい時代になり、お茶を飲む行為も遊びも減りましたね。

    • とにかく会えば喫茶店でした。仕事以上に世間話です。年下ならほとんどこちらが奢っていました。なので皆さん、ついてきたのかも。そこで何を話したか記憶はありませんから、どうも楽しい時間だったんでしょう。通信費がないですから思いっきり喫茶店に使えましたね。夜も領収書で飲み食いできたし。特定の居酒屋と寿司屋、ホテルはサイン一発でOKでした。

  5. ヘターリスト。

    スターバックスあたりが昔の喫茶店イメージを少し残していますね。静かに読書したり、PCを広げたり、落ち着いて静かな雰囲気は何となく古い時代の喫茶店を連想させます。それにコーヒーにもこだわりがあるようですからね。ブランド力も有って多店舗展開をしていますが、昔のような一般個人の店は皆無に近くなりましたね。わたしの姉も以前に東京で喫茶店を開業していましたがコーヒーやジュースでは採算は取れないようでした。つまり収益の核はサラリーマン相手の昼食がメインでした。テナント料も高いので撤退しました。

    • テナント代金が宅くて路面店はなくなり、地下に移動です。古い名残があるのは西村国際ビル地下の喫茶店2つ。コーヒー1杯で粘られるのは採算合わないですね。私なんかビール1杯で2時間もつので店から見たらマイナスですが、仲間を連れて行くので採算取れてるみたいです。50%以上利益が出ないと飲食はダメです。義理の兄が喫茶店をしてましたが、常連に占拠されてほかの客が入れない店にしてしまって閉店しました。よくあるパターンです。

  6. 常連の集まるお店は、次第に客足が減りますね。仲間同士の会話で盛り上がりますが、他のお客にとっては、煩いだけで落ち着きません。それに輪を掛けてマスターやママさんまでがその輪の中心になって飲むわ食うわなどしていたら、たちまち潰れますね。飲み屋の経営者が飲みだしたらダメですね。それに売掛客ばかりになりますね。酔っ払いに貸すなんて信じられないですね。第一本人は覚えていないんですから。意識も朦朧として、記憶も飛び、自分が騙されたとでも言い出すかも知れませんね。

    • 私の知るスナックではママに近いところが会長席でした。一番、店でお金を使う人ですね。毎月30万から50万、経費を使ってたみたいです。夜のススキノで擬制家族を形成していました。喫茶店でも喫茶店でもカウンターというやつが常連席。お互いの知人情報頻繁でうるさいくらいでした。プライバシーないですよ。飲み屋でツケですか、治りません。誰かが払う羽目になります。スナックのママが会社に集金にきたこともありました。酒飲みで金払い悪い人最悪でした。ある日、部長に昇進した人が「交際費を自由に使えるようになったので」記念にチャイナスナックへ行きました。彼はサインで飲もうとしたのですが、私は割り勘にしようと言い出し、そうしようということで支払いを始めたらどうしても8000円足りません。彼は現金を持っていなかったのです。逃げました。若い人が僕が立て替えると言い出して帰りましたが、あれから15年いや20年、戻ってこない。気が大きくなる人が広告業界には多かった。

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