紀元前4世紀のエピクロスの断片を読んでいたら、肉体の要求は「飢えないこと、渇かないこと、寒くないこと」とあった。さらに「これらを所有したいと望んで所有するに至れば、その人は、幸福にかけては、ゼウスとさえ競いうるだろう」(岩波文庫 エピクロス 92p)心の平静(アタラクシア)を目指して、それが快であることを弟子たちに教えたエピクロス。快楽主義と誤解されているが「性愛はだれかの利益になったためしはない、せいぜい満足するとすれば、誰かの害にならなかった程度で満足しなければならない」(若い時はこの認識は無理だろうと思う)

あくまでも心の(精神的な)平静、死の恐怖からも逃れた快を求めた。ところで、表題の飢えないこと、渇かないこと、寒くないこと。基本的に日本中の貧困家庭や世界中の難民、流浪の民たち。全然、解決さえしておらず、悪化の一途である。食料不足、水不足、暖房不足(中東の夜は寒い)。特段ギリシャ時代に限らず、人間の自然である肉体の根本欲求3つを満たさなければ、生は始まらない。エピクロスの哲学によく出てくる言葉に自己充足という単語がある。「自己充足は、あらゆる富のうちの最大のものである」(122p)この辺に類似した彼の言葉を幾つか列記しよう。何かの参考になるかもしれない。貧乏な私も身に染みる言葉の数々だ。

●多くの人々は、たまたま富が手に入ると、もろもろの悪からの脱却をでなく、かえって、より大きな悪への転向を見出す。(122p)

●獣にふさわしい仕事からは、たくさんの富がつみかさねられるが、みじめな生活が結果する

●正義の最大の果実は,,心境の平静である。(124p)

●幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなくて、悩みがないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属するのである。(125p)

  1. 自己充足ですか。たまたま富も未だ舞い込んで来ず、諸々の小悪は終わる気配もありません。獣にふさわしい仕事には縁遠く、財産や地位や権威にも縁が無く、高齢とともに悩みばかりが次第に増えています。幸福と祝福の穏やかな日々は夢のまた夢ですね。

    • 自己充足は、集団で暮らしていると、必ず、充足できない人が出てきます。子どもだったり、妻だったり、周りの社員や同僚であったり。結果、それに振り回されて自分としては充足してるつもりが、そうさせてくれない現実があるわけです。ローンや教育費の捻出であったり、ほとんどお金で解決できるように思いますが、それは違うと言うのがエピクロスの骨子です。子どもや孫がいるとどうしても振り回されて、アタラクシア(平静心)の心境へは、遠くなるかもしれませんがきっと自己充足する日々がきますよ。

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