新型コロナウィルスが武漢のウィイルス研究所から漏れたものか、中国当局が言う武漢市場からコウモリ経由で広がったのか藪の中であるけれど、文明社会に与えた武漢ウィルスは人類の生き方を変えないと適応できないところに向かっている。どこでどう共生してゆくのか模索である。

『利己的遺伝子』の40周年記念版の50pに書かれていたドーキンス博士の言葉。『進化は未来のことなどおかまいなしだ』。自然現象もそうだし、考えてみると、突然変異は、次に生物の変化(進化)を予告するのだろうけれど、合目的的(高いところの実を食べれるように背が高くなったとか、空を飛ぶために羽が付いたとか、生物がある目的のために変化することを合目的的という)に変化しているわけではない。結果としてそうであっても、その目的のために進化はしない。はっきり言って偶然の出来事でしかない。

なぜ、人間は二本足で立ったのか?二本足で立ったから二本の腕を使えるようにはなったけれども、腕を使うために二本足で立ったわけではない。京都大学の今西錦司さんは『ある日、突然一斉に立った。』である。世の中には理由のない事柄がたくさん起きる。現に毎日起きている。私たちはいつのまにか『因果論(律)』に大脳が捉えられていて、起きてしまった事柄を平気で原因分析をして結論出してチョンで終わる。しかし、ドーキンス先生は『未来のことなどおかまいなしに進化が発生する』と言う。突然、3本の手を持つ生物が出てくるかもしれないし、目が3つあったり、頭が三角形かもしれない。何でもありなのである。

『私たちにとって都合が悪いよ』と言っても、進化は自然現象と同じで関係ない世界なのである。いつのまにか人間は、生物の中でとても高尚で、賢くて言語を操り、次々に発明をして、文化や文明を築いてきたけどそれも偶然の出来事で、昆虫や花という生き物は作れない。人間とは何かとギリシャの哲学者や古代の賢人は問いかけてきたが、いまだに結論が出ない。発言者が自分の立ち位置で都合のいいように答えているに過ぎない。人間とは気まぐれな動物だ・・が一番近いかもしれない。

夢も希望もなくなってしまうが、明確な目標を立てて毎日努力を惜しまない人間が評価される世界ではあろうけれど、その背景には人間の価値観は変わらないはず(努力は大いなるプラス価値、誰よりもお金持ちになる、出世する価値、子供をどの子供より難しい学校に入れて、未来の幸福が約束されるだろう位置につける・・などなど)。しかし、果たしてそうか?幸福という価値観にしても、みなさん十分経験済みではあろうけれど、瞬間的な出来事に過ぎない。不幸が来るというわけではなくて、幸福感はすぐに去ってしまう。偶然な出来事で、偶然であるがゆえにより強い幸福感を瞬間味わえるだけ。『進化は未来のことなどおかまいなしだ』。未来は何があるか予測がつかない、やはり『一寸先は闇』が真実ではなかろうかと思うきょうこのごろ。

  1. 幸せは長続きしないですが、不幸は直ぐにやって来て長居をするものですね。ですからめったに訪れて来ない幸福感も味わえると言うものでしょうね。毎日が幸福過ぎれば人間は勝手な生き物で、それを不幸と思うかも知れませんよね。また幸福の度合いも人それぞれですから、お金が全ての世の中ですが、そうとも言い切れない面もありますね。小さな幸せで十分満足感を得られれば良いのですが、欲望への誘惑は直ぐやって来て試されますね。

    • 不幸は長居するというのは卓見かもしれません。不幸は、思考の癖の一面もあって、ナルシズム的な心象でもあります。はたから見ると、あんな立派な家に住んで、庭もきれいで、皆さま小奇麗な洋服を着て、全国へ旅をしてくる。ペットを飼ってリッチで幸せそうな家庭なのに。どうも幸福感がないということもあります。幸福って瞬間的な心情でよくわかりません。痛みが取れた時も幸福を感じますから。

  2. 十年一昔。と言いますね。確かに十年は一昔、思えば二十年は大昔になってしまいました。十年前の2011年はどうだったのか?また二十年前の2001年頃はどうだったのか?と考えれば、進化のスピードは加速度的で相当速く、いつの間にか自分も必死に追いつく努力をして来ていたのだと思いますね。進化のスピードは今もとどまらず絶えず進化し続けていますから、今後は置いて行かれるかも知れませんが、進化はそんな事にはお構いなしですから、そのうち人間も社会の進化に順応するうちに大きく変化してしまうのかも知れません。気が付けば社会構造も環境進化によって今は考えもつかないほど自然に大きく変化しているかも知れませんね。

    • 未来はジグザグ進行で、退却・退嬰するのも(進化)ですからね。ガラパゴス島を旅した生物学者の本を読んでいたらリクガメやイグアナや様々な生物が人間を全然恐れないことが繰り返し書いていました。これが人間が来る前の自然ではなかったかと自問するところがあります。彼らから見たら人間も自然の一部でしかなくてね。だからダーウインたちや海賊たちにすぐに捕まりたくさん肉を食べられたのですが、そうであってもいまでも人を恐れない。地球の最先端の生き方がガラパゴスの生物たちではないのかという自問があります。それが自然(ピュシス)というもので、地球上に人間が現れてそれを壊し続けてきたのかもしれません。ガラケーが最強の時代がやってくるのか。シンプルな機能しかないツールですね。ガラパゴス携帯をガラケーと言って、ユニバーサルではない電話を(遅れた)(今時まだそんな遅れた)(そんな不便な)と言ってますが、それを維持するために膨大な電力と設備投資、宇宙に上げる衛星、宣伝費、パンフの印刷費、売り手の職員、部品調達のためのレアメタル争奪戦争、情報の抜き屋さん繁盛など膨大な問題を残しています。果たしてこれが進化なのかどうか。文字ができてたった5000年くらいしか経過していないのにずいぶん進化の方向が外れてきたように思います。しかし、どの道が正解なのか私にもわかりません。すべては軍事が中心、国単位であれば国威発揚で国民の関心を別なところに目をそらさせることです。国政失敗をごまかせますし。

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