過ぎたる欲望は身を滅ぼす(オーデン神話伝説より)
ノルウエーの映画『ラグナロク』~オーデン神話伝説~を見ていたら、王の娘が父親の野心(底なし沼に住む大蛇を退治したい)を見て咄嗟に出た言葉が『過ぎたる欲望は身を滅ぼす』。王は大蛇に飲まれてしまう。
欲望は対象物があって初めて発動する感情だ。この対象物にはもちろん観念(言語や神、思い込み・妄想)も含まれる。また他人の模倣で欲望は倍増されもする。あの人が持ってるから私も欲しいという図式でCMや販売促進で使われる古典的な手法だ。勉強やスポーツでも発動するし指導者は利用する『あいつにできてお前にできぬはずはない』と。欲望に火をつける。
都会は人だけではなくて物(商品)に化粧が施されて、『私を買って』とささやく。たとえが悪いが3代目古今亭志ん朝の語る吉原みたいだ。欲望が初めにあるわけではない。対象物がなければ欲望は発動しない。説教好きの人を見ていると、仏教の影響なのか、どうも最初に煩悩としての欲望がありきで語られる。時間的な順序でいくと物があって欲望が生じると何度も考えてみたいものである。ここは唯物論だ。唯心論ではない。
表題の『過ぎたる欲望は身を滅ぼす』を考えてみると、都会に暮らす人々はほとんど全員、その身を滅ぼすところ、可能性の中で生きていることに気づく。なぜなら何度も書くけど、商品が・異性が欲望光線を発しているからだ。3億円の宝くじに当たったら私も含めて滅びの道へまっしぐらのような気もする。自分で考えるほど自分は強くないからだ。誘惑にとても弱い。さらに人間はお金持ちというイメージをお金で買う生き物だ。ブランド物取得やクルーズ船乗船、ワインの銘柄やマイカーの種類、しかもしゃべりたくてしゃべりたくてたまらない人がいる。人からの評価(すごいね、金持ちだね、育ちがいいね)を期待してしょぼしょぼ生きている。
もともと人間は動物世界で何より弱い存在であったから、集団を形成したり、社会を作った。現代は暖房や住宅や法律や家族や近所の交番や消防署に守られているけど、古代は集落の仲間たちぐらいが自分を守ってくれたし、誰かを守らなければならなかった。いまいる部屋から周りの人間が全員いなくなり、自分が一人だけ生きていると想像してみればいい。キタキツネやエゾシカやヒグマが集団で自宅前に移動してきただけでぞっとする。冬だしエサはないからエサは私になる。
ひとりということは電気もガスもライフラインは機能せず、食糧もなく、語る相手もいなくてブログを書いても読み手はゼロ(ブログを書くためパソコンの電気がないから無理だ)。日本中のお金が全部自分のもの。国会を占拠して総理大臣にもなれる。札幌から東京へどうやって行くのか?国民はひとりだけど。こういう環境下で一体欲望はどう発動するか考えてみよう。私は欲望は発動しない気がする。初めは生き続けるために食べ物を探すだろう。
しかし、他人が誰もいないところで欲望は出てくるのか、または萎むのか?私は最後は無くなってしまい、死んでしまうと思う。しかし、未来の誰かに託して記録を残す行為は出てくるかもしれない。そうすると欲望の正体がずいぶん見えてくる。他人がいて(売る人・並べる人・通行人の視線・隣近所・夫婦や家族・未知の人など)成立する概念、心持ちだと。他人がいて発動する、物が先にあって発動するのが欲望であるという話に戻るわけだ。『過ぎたる欲望は身を滅ぼす』のも真実だが、自然現象はそういう細かな心理現象をゲームオーバーにしてしまうこともたえず忘れてはいけないかもしれない
坊主の孫。
欲望は大なり小なり誰もが持っていますね。では、一体どこまでが過ぎたる境界線なのか?これまた人それぞれでしょうね。その人の最小限のところで我慢できる場合と、もっと背伸びする場合がありますが、価値観や経済観念の違いが、その境界線になるのでしょうね。どうしても手に入れて自分自身の所有物にしたい独占欲もあれば、かたや、必要なその時だけ借りて済ませるレンタル思考の割り切った考え方もありますね。リサイクルショップが繁盛するのも今の時代を現していますね。物、つまり欲望をコントロール出来る人達が増えているのでしょうか。
seto
欲望の限度に天井はありませんから、自分で止めるしかないです、お金の限度がそれを止めてくれます。あとは観念で欲望がりあわされることで、こxちっが大きいし、新事業で大成功ともなります。起業して成功するタイプです。自分の部屋が物で溢れてきたのでそろそろ捨てなければいけません。あれほど欲しがった本やDVDやCDやレコードをリサイクルショップへ持参です。本はリサイクルBOXに捨てます。最後に残るのは名誉、人間の尊厳欲のような気がします。唐人を見ていて赤ん坊のような扱いをする介護士がいますが、サイテーですね。きちんと敬語を使わないとね。
広告マン。
家族が長い間介護に関係していました。その関係で手伝いもしましたから、いろんな場面に対応しなければいけない職種ですね。老人介護の場合には先ず年寄り扱いはいけません。おじいちゃんとかおばあちゃんなんて言ってはダメでお名前で呼びます。例え利用者さんがヤクザのような方でも丁寧に対応します。中には横柄な方も居ますが分け隔てなく対応します。確かにストレスは溜まりますが、それも仕事ですからね。
seto
赤ちゃんを扱うような口の利き方もご法度だと聞いてます。現役の大人扱いですね。それにしてもいろいろな人がいます。ワクチン接種を約半年しましたが、静かな人うるさい人奥さんにすべてを任せる人眠って待ってる人、世話係のファッションや立ってる間の手の位置についてクレームを言ってくる人もいました。「ピンクのシャツを着ているのは何事か」と私は叱られましたよ。なんでも分け隔てなく対応は、学校の教師もそうですが神業ですよ。