脳科学者中野信子さん「人は、なぜ他人を許せないのか?」(アスコム)。本の主題は我こそは正義と確信して、正義中毒に陥る人を分析しているのだが、ここでは最終章に取り上げていた(老いても老けない脳をトレーニングする)ヒントが書かれてあったので紹介する。老いてガンコになったり、融通が利かなかったり、すべてに否定的になったりしがちであるから気をつけたい。大きく分けて3つ。

1)慣れていることをやめて新しい体験をする。

2)不安定・過酷な環境に身を置く

3)安易なカテゴライズ、レッテル貼りに逃げない。

まずは(1)から。いろいろな本にも書かれていることだが、通勤に駅まで行く道をあえて変えるとかいつも行く店ではなくて違う店で買い物をする。食べる店やメニューも、面倒くさいからいつもと同じ店で新メニューが加わっても同じメニューを注文する。脳に余裕があれば「そうだなあ、いつもと違ってたまにはラーメンやめてギョウザ定食にするか」と判断領域が広がる。判断をする大脳は前頭前野というところで、ここを刺激させて活発化させるといいらしい。要はマンネリを撃退する、自分の行動を別な自分が見て「なあんだ、また同じことをしている」と言わしめる、メタ認知を発動させることだと中野先生はおっしゃる。

次は(2)だ。不安定・過酷な環境に身を置くといっても、角幡唯介さんみたく北極単独歩行をしなさいということではなくて、これまで通用していた集団から離れて、価値観が違う集団や人へ飛び込んでみて、既存の自分の考え方や価値観がグラグラ揺れる体験をしてみるということだ。一人旅を勧めてもいるし、共同体での祭りへの参加もいい。企業内で通用した考え方が通じない世界へ足を踏み入れることだ。読書に関しても、絶対読まない分野の本や自分の考え方とまるっきり反対の人の本を読んでみるのもいいかもしれないと。

最後は(3)。自分で考えもしない発言は控える。SNSでも熟慮されない発言を控えるということだ。自分が責任を取らなくていい、既存の発言をオウム返しは楽だが、それは自分の大脳の前頭前野を使っての判断ではなくて「老い」を加速するだけだと。使う語彙の貧弱さもさることながら「ああ、あれね、あれは〇〇だよ」「ああ、あいつはバカだよ」「気違いだよ!」など匿名の傘に隠れて、正義感ぶる(正義中毒)人に多いから注意したい。

どちらにしても、オミクロン株が市中で空気感染をしているので、天井の高いところを歩いて寒いけれども空が見えるところを歩いて健康を維持したい。

  1. カー・サックス?

    慣れないどころか?全く触った事も無い楽器をそれも70路だと言うのに始めました。私が昔から憧れていたサキソフォンです。それと言うのも、仕事仲間と言うか知り合いの親切な方が、事も有ろうに、ご自分のテナーサックスを、使わないから無期限で貸してあげると言う事がきっかけでした。トランペットやギターは多少なりとも経験があるものの、見るからに複雑怪奇な精密機械のようなサックスは初めて触るので、ネットで運指表を探したりして始める事にしました。日曜日の静かなオフイスで3回ほど吹いてみましたが、本体が重く肩も凝ったり息も切れて大変でした。テナーは相当肺活量が居るようです。10本指を使うピアノも得意ではありませんが、サックスは楽器を支える右手親指以外全て9本も使うので考えただけでも無理と思っていたのですが、音が出ると楽しいもので、やる気が出てきました。中古のアルトサックス等をネットで探していたそんな或る日、格安のアルトサックスを発見。YOUTUBEで購入者の声を聴くと、品質もそこそこのようなので思い切って新品を購入。お借りしていたテナーサックスはお返ししました。テナーサックスは形も音も大きすぎて練習場探しに困りましたが、アルトなら車の運転席シートを後ろにズラせば車内でも何とか練習できます。人気の少ない大型店の大駐車場の端っこにクルマを停めてウインドウを締め切っての練習です。それも早めに家を出て出勤前のほんの10分程度の練習ですが、意外と音も出て、まだ半年足らずですが、JAZZとまでは行きませんが、ラテンやPOPSや歌謡曲など楽曲練習までしています。家ではうるさい管楽器は吹けませんから、せいぜいギター程度です。楽器は不思議なもので繰り返しているうちに勝手に指も動くようになるものですね。次々と押さえる弦やキーやバルブの場所を、いつの間にか脳が記憶して命令しているのでしょうね。

    • すごいですね。青春時代に音楽のバンドを作って大阪で演奏していたのではなかったですか?そういう楽器に触る習慣を指や口が覚えていたのですかね?私は当時はやっていたクラシックギターもやらず、演奏したのは鼓笛隊の笛だけ。ハーモニカを吹くくらいで無趣味でしたが、放送部に3年中学時代在籍していて、レコード回しなら達者です。テナーよりアルトなら音が出やすいと言ってましたね。肺活量がどちらの楽器も必要なので結果的に健康の維持に貢献しているともいえますね。指も大脳に直結しているしね。楽器一つでいいことだらけ。残りは演奏する場所と発表するステージをつくらないといけません。いつかピアノを弾きたいと思ってましたから、電子ピアノなら安いもの売ってましたね。

  2. 不安定で過酷な環境に身を置く、と言えば、或る会社の札幌営業所立ち上げの責任者になったときに既に一般で言う定年の年齢だったので自ら申し出て契約社員扱いにしました。当初は1年ごとの契約更新で毎年売上予定数字と実績報告で次年度契約できるかどうかの不安な状態でしたが、何とか7年目には自分から半年契約に切り替えて辞めさせて貰いました。厳しい毎日でしたが、仕事面では充実していましたね。当然ながら約束以下の成績なら次年度更新は無い訳ですから真剣にならざるを得ない訳です。自分から選んだ道ですから、いくら苦しくても普通に暮らして行くには、自分で考えて行動するしかありませんからね。あの頃は景気もさほど悪くありませんでしたが、もしも,今のように新型コロナ感染拡大などと重なっていれば悲惨だったでしょうね。

    • Aの道とBの道があって、厳しい道がAのほうだとしたら若いときはAの道をえらぶほうがゆくゆく勉強になる、自分の成長の糧になりそうですね。若いときは苦労したほうがいいですが、広告マンさんは定年のところで敢えて厳しい道を選択されて、それも売り上げと利益の只中で契約社員という立場を選択したのは勇気と自信というか、私なら相当辛い選択で、選ばないと思いますね。おっしゃるように、景気に左右される広告業界ですから。現在のような新型コロナ感染症が広がった社会ならさらに厳しい売り上げになってしまいます。1昨日、地下鉄の中釣りを扱う代理店の人と話したら、地下鉄の駅の電飾広告を外す企業(病院)が増えてたり、中釣りポスターもどんどん減ってる話をしていましたよ。どここかしこも国や地方自治体の税金に依存する経営が激増してる状況です。

  3. 左程、読書もしないし、情報網も余り持っていませんから、知ったかぶりも出来ず、上手な話の一つも出来ませんが、今では子供たちでさえ情報過多時代ですね。それに比べれば私など知らない事だらけです。でもそれほど知りたくもない情報も多いですね。si仕事先では話を聞く一方です。長居しないためにも余り口をはさまず、ジッと聞く事が殆どですが、率先して話さない状態は脳の活性化には余り良くないのかも知れませんね。最近の物忘れの多さに自分でも呆れます。そのうち自分の名前すら忘れてしまうのでは?。そうならない為にも「脳に活!」ですね。

    • 本を読んでも残るのは数行ですよ。最近は視力と記憶力、忍耐力低下で自己嫌悪ですよ。ブログ書いていて、あれっ、あれって何だっけ?の連続でなめらかに書けません。いま7~8人の集団でバイトをしているのえすが、手帳に机の地図を書いて氏名を覚えるようにしています。首から名札は下げてはいるんですが(覚えられるように)。物忘れがないと次の新しい記憶ができないとも言われますから、気にしない気にしない。と自分に言い聞かせています。受け身でじっと聞くのも辛いですね。話すほうはストレス発散になるのではないでしょうか?しかし、聞いてくれる人は彼にとって大事な人。

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