4月の身辺雑記(1)
1)雪が解けて南西に面した庭の斜面に雪の下というピンクの花が水仙の黄色とコントラストをしていて、春を告げてくれて嬉しい。昨年、凶作であったブルーベリーは土壌の間違い、酸性傾向の肥料が足りなくて失敗。ことしは3袋のッブルーベリの土を追加して、今年はダメでも来年の大豊作を期す予定。
2)6月に受ける左目の老人性白内障手術が終われば、週に2回くらいの仕事を探す予定だ、糖尿病の薬を20年飲んでいるから、その影響もあるかも。ときどき両目をつぶって外の世界を見てみる。恐怖感凄い。札幌出身の眼科医と少年時代のさっぽろ祭りに出店していたテキヤの話。「祖父にずいぶん高いもの買ってもらっていまでも感謝している」と繰り返す。私の父「ああやって暮らしを支えているんだから値段が高いのは我慢しないと」。どういうわけだかさっぽろ祭りは父が出てくる。1959年6月15日、創成川のサーカス小屋から火事。逃げ出した象が民家に飛び込み43人の重軽傷者が出た。朝日新聞が北海道に支社を置いた(6月1日)直後、最初の全国配信ニュースがこれだ。偶然、創成川の小屋にいた8歳の私も父と逃げた。
3)図書館のボランティアを4月1日から始めた。大きな白い箱が図書館の入り口に置かれ、市民が不用な本を入れていく、春と秋に本のリサイクル市を開く。10円から100円が相場だ、私は新米、拘束のない会で、20年間、無報酬で働いている女性が3人いる。本好きでないとできない。おじさんはお喋りの訓練場所だ。
4)支笏湖へ行く途中に千歳サケマス孵化場がある。インディアン水車は有名で観光客が来るが、ここの施設は市民があまり来ない。雄と雌のサケを持ち上げてみる体験(模型だが)をしたら、雄が重い。千歳川は全国でも珍しく、水源は支笏湖からしか流れてこない。バードウッチングできるカフェも道路沿いにある。シマエナガは子育てに入っているらしくて餌台に現れない、望遠レンズ付きカメラ持参の友人はがっかり。

5)マンション管理人の仕事をしている人からメール。いつもはテレビの音声が大きく聞こえる部屋から音が聞こえないので、部屋に住む87歳の男性の姉と妹に連絡したら、孤独死であった。すぐに警察が来て調べ、警察の車で検視のため連れて行った。未来の自分を見るようで他人事といえない。いつまで生きられるか、妻は私が先に逝く、私は私が先にサヨナラだとここ10年ずっともめている。
6)私の住む恵庭は自衛隊の町、戦車もたくさんあるし、朝早く戦車の空砲(実弾?)がドンドーンで目が覚める、昼間は航空自衛隊のジェット機が複数飛んでいく。ロシア侵攻が始って1か月半。自衛隊のスクランブル発進含めて騒々しい。1945年、ソ連が留萌から釧路まで朝鮮半島の17度線やベルリンの壁、ウクライナの今回、2分化を狙っている。静かな私の寝室にもヒタヒタきな臭さを感じる。

ゼロ戦パイロットの弟。
いつまでも続くコロナ禍とウクライナとロシア戦。対岸ではなく我々の暮らしにまで影を落とし始めて来ました。憲法改正が叫ばれて久しいですが、狭い島国で東京一極集中と原発大国の我が国ですからICBMなどが飛来すれば一たまりもありませんね。これまでは日米安保に胡坐をかいていた感も否めませんが、これだけ周辺国が怪しい動きをするようになった今日、やはり防衛システムだけは必要では無いでしょうか。攻めるのではなく防ぐための研究開発が急がれますね。アメリカから法外な装備を買わされるのではなく自国での防衛設備開発が望まれますね。ミサイルの性能も格段にレベルアップしていますから大変ですが、技術大国日本を世界にアピールするチャンスでもあり、無法な侵略から国を守るのですから、世界平和にも貢献できるのではないでしょうか。未来ある幼子たちにも安心して暮らせる国にしてあげたいでものすね。明治の日本の子供たちの様に。
seto
日本海に面してずらりと原発が並んでいるのですから、防衛は無理です。防衛は外交で獲得するしかないです。お金も最小限で済みます。北朝鮮と中国とロシアの共産圏ですね。首都圏はイチコロです。いまでもサイバー空間でインフラや企業のネットに入り込んでいるのですから。こういう人たち、国家公務員なんでしょうか?そんな技術あるなら国民の暮らしに資する事業でも始めればいいものを。朝起きると、知床観光船、浸水のニュース。皆さん無事ならいいのですが。知床へ行ったことがないので行こうとは思ってましたが、体力低下で諦めました。遠い。
昔の少年。
孤独死ですか。人はいずれ最後を迎えるわけですが、元気なうちは深く考えないものですね。今のうちに身辺整理をしておかなくてはとは思いますが、なかなか真剣に手につきません。せれでも多少なりとも物を捨てる癖は付きました。いつか使えるだろう?などと不要なものが未だ沢山ありますから、このGWあたりに少し気を入れて捨てるつもりです。
seto
近所の市町村の元教育長さんの自宅から、軽トラックで山のような本の寄贈がありました。体調が悪いようで家族が5冊10冊単位でビニールヒモで結んで届きました。圧倒的に司馬遼太郎の単行本が多かった。街道を行くもありました。どこかの図書館に寄贈することは決めていたみたいです。明後日、火曜日、整理が大変です。捨てるにしても、捨てる先をどうするかという問題があります。趣味的なものが多いと、関心のない人にとってはゴミですからセカンドストリートあたりに持参です。岩内出身の詩人がいました(たしか吉田一稲?)が、彼の部屋には広辞苑の辞書が1冊だけ。シンプルと美。「我が庵は古本紙屑蟲の声」(永井荷風)