国分功一朗さん「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)にエストニア生まれ、「生物から見た世界」を書いた理論生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが創造した概念「環世界」(ドイツ語 Umwelt)が紹介されてた。長くなるが、以下、引用してみる。
「私たちは普段、自分たちを含めたあらゆる生物が一つの世界のなかで生きていると考えている。すべての生物が同じ時間と空間を生きていると考えている。ユクスキュエルが疑ったのはそこである。彼はこう述べる。すべての生物がそのなかに置かれているような単一な世界は実は存在しない。すべての生物は別々の時間と空間を生きている」その具体例として、視覚と聴覚が無く嗅覚だけで血を吸うために枝から飛び降りるダニについて書いている。飛びつく生き物が来ないと(酪酸の匂いがすると飛び降りる)長い期間で18年、枝の上で飲まず食わずでじっとしている。ただ、酪酸の匂いを待っている。哺乳るを待っているわけではない。ダニは私たち人間と異なる世界(welt)を生きている。これはダニに限らず、あらゆる生物についてもいえる。庭のミミズもアリも、雀たちもカラスたちも人間たちが自分たちの価値観(時間や空間の概念)で認識しているに過ぎない。「私たちは頭のなかですべての生物が投げ込まれている(世界)なるものをイメージする。しかし、いかなる生物もそんな(世界)を生きてはいない。どんな生物もその生物なりの世界を生きているのだ。・・・・それぞれの生物が、一個の主体として経験している、具体的な世界のことだ。」自宅で飼っている犬や猫がいたら観察してみて欲しい。彼らだけの時間や空間を発見できるかもしれない。「暇と退屈」は時間の問題、空間の問題で人間以外、これを感じることはない。ダニもほかの生き物も「暇や退屈」を感じることはない。人間だけが「暇や退屈」を感じ、それを解消すべく趣味や運動、イベント、祭り、戦争、芸能、犯罪などを創造してきたといえまいか?何百何千という「環世界」にわたしたちは囲まれている。ただ、人間の違うところは、ほかの生物の環世界に入り込める〈想像力を発揮して)ことだ。
けっこうショッキングな概念登場で刺激的であった。そして、人間以外は暇や退屈ということがない。身近な生き物をじっと観察していると、自分の感情を相手の生き物に移入させず、見てみるといい。この本は「なぜ、退屈や暇」が人間に湧いてくるのかを哲学的な考察を加えて難しい本であったが、消費について暇や退屈だから限りない消費へ走る現代人が、どこかで止めることはできるはず。その回答が後半に出てくる。興味のある方はお読みください。


考えてみれば当たり前かも知れません。時間の尺度や暦などすべて人間の都合で考えられたものですからね。動物など全ての生物に人間が勝手に考えた名前を付けたり、しかも干支などにも勝手に動物の名前を用いたり星にも勝手に名前を付けたり、わがまま放題ですね。動物たちに時計などは無く、すべて感で生きている訳ですから、むしろ人間より季節や気象に敏感でしょうし、生きるか死ぬかの命がけの厳しい毎日を生きている訳ですからね。運が悪ければ人間に捕まって売られたり食べられたりするわけですね。動物たちの逆襲が有ったとすれば、今度は動物園が人間園になるかも知れませんね。
生物の一つが人間ということですね。いろいろな尺度も勝手に人間がつくり、命名もしているわけで自然から見たら、そんなことは知りません・・・。坊主の孫さんがおっしゃるように動物たち虫たちも命がけで、生きてますね。それを別に彼らは「命がけ」という意識もなく自然ですから凄い覚悟で生きてるわけです。動物たちから見たら我々は「人間動物園」の中で生きてるように見えるかもしれません。