『運命の相手は絶対的に存在する』(吉本隆明)
思想家吉本隆明『超恋愛論』(大和書房 1400円、2004年 39p)。私は書いていて照れくさくなる文章だが、『細胞同士、遺伝子同士が呼び合うような感じが本来的な恋愛の感覚』とか『恋愛とは覚せい剤を飲むようなもの。今まで寝ていた神経が起き上がっていきなり自分が活性化する』とか、恋愛体験者には、ビビッドにわかる文章だろう。
それは美醜に関係ない。
以下、吉本隆明から大事なことが言われる。私の妻も今でもよく言う『OLしていたとき、美人は得だわ。ちやほやされて』。しかし、吉本は『僕はよく女の人は誤解しているよなあと思うことのひとつに”男は美人を好きになる”というのがあります。見た目がきれい、というところから恋心が始まるんじゃないかと思っている人が多いようですが、それは間違っています。ある距離に入ってしまったら、美醜なんて何の関係もない。〈中略〉特定の相手とある精神的な距離に入って、なぜ好ましいのかわけがわからないけれども、どうしてもその人でなければならないという気持ちになる。それが恋愛の始まりでしょう。〈中略〉自分の細胞が相手とぴったり合う』
以降、この本は夏目漱石や森鴎外や芥川龍之介、島尾敏雄など文学者の作品と実生活での三角関係、男における実母の存在の大きさが原因で、結婚生活にゆがみが生じた事件例や、男が板ばさみになる実例を出している。彼の娘・吉本ばなななどを見ていて、若い人の恋愛を次のような表現もしている。
『いつでも逃げ出せるように精神の距離を遠くとっておくのが現代の恋愛』だと『最初から精神的にあまり近くへ行かないで、いつでも遠ざかったり外れたりできる態勢をとっている。それなのに、日常生活のうえで他人行儀でなくなることは早いのです。〈中略〉これ以上、精神的な距離を縮めたら、責任を生じるぞというところにはなかなかいかない〈特に男の場合)』。
引用が長くなったが、書かれていることは当たり前で、街中やご近所で若夫婦を見たり、特段に美人とも思えない女性がたくさん縁が結ばれてベビーカーを押している。女子アナウンサーやプロ野球選手の妻やAKBを見過ぎではないかと思う。女子アナに異常に詳しい人もいるが、ここまで来るとマニア。しかし、巻頭の『運命の相手は絶対的に存在する』から安心して男女ともしっかり悩んで付き合いましょう。おじさんからの提言でした。筆者の独身の長男への願いも込めて書いてしまった。それと中年男女たちのお節介が激減しているのも影響しているのかもしれない。LOVE IS GIVING



広告マン。
恋愛にもいろいろあって、美男美女同士で容姿や所作に一目惚れしたり、蓼食う虫も好き好きとも思える組み合わせもあって、一概には語れませんが、何度か失敗を繰り返して最終的にたどり着いたところが答えでしょう。しかし恋愛時代は良かったが、結婚となるとお互いの本音がぶつかって最悪の離婚にさえ発展してしまいます。つまり恋愛と結婚は全く別のジャンルのものですね。恋愛は心に抱く理想。結婚は現実そのものですね。もしも恋愛相手を結婚相手に決めるなら、恋愛中にお互いの良いところばかり見ないで、悪い面をしっかりと見ておく事ですね。結婚後に後悔しないためにも。
seto
若いときは毎日の結婚生活との夢を見て、相手の嫌なところは見えないですね、恋愛中は。子育てでも始まれば奥さんは子供に夢中で、お互いの嫌なところが隠されています。子供も育って二人暮らしになると、嫌なところが毎日出てくることもあります。こういうところも「運命の相手」なんでしょうか?私は若いときから清潔感がないので、嫌がられてますが、苦にならない、それで直そうとしない。あんまりしつこいと、「これからどういう時代になるかわからないよ。手を洗う水がないところで住むこともあるよ」と皮肉を言います。こういう数々の短所を考えても「運命の相手」なんでしょうね。