私の年齢になると、会社を興しては、ある時期まで順風満帆だったのが10年後、倒れたり、廃業に追い込まれたり、拡大していまも続く会社もあるが、どこが成功と失敗の分かれ道なのだろうと考えた。一度、倒れても懲りずに再度、別な会社を立ち上げて成功者になってる人もいるから、短い時間では結論は出ないが。倒れた後にすぐに頭を下げて、謝りに行く人は、新たなビジネスを立ち上げるとき、被害者からも応援を受ける場合があると元北洋銀行頭取武井正直さんの本に書いてあった。頭取は身内や親族に財産名義を移してから計画倒産するケースを幾つも見ているから、なるほどなと思う。倒れても応援を得られる、得られないはたとえ100%倒産した後の職場の紹介とかにも影響する。
ただ、成功者といっても上場までいった人を指すわけではなくて、小さくてもずっと食べていける企業、他人に迷惑をかけずに生きている企業だ。札幌の場合、市場が狭いから、とりあえず会社を辞めても1~2年はひとりで暮らしていける余裕があること、勤めていたときのネットワークが維持されていること、明確にこれを売りにという決意や決心を強く持たなくても、なんとなく独立志向を昔から持っている人。この最後のところが力を発揮する場合が多い。懐を広くしているからだ。あと何となく、経営を頼まれて、仕方なく企業経営の道を行く人も意外に成功の道を歩む人が多い。「しょうがないか、やってみるか」と。その人の人間性やズルさのない生き方を本人はわからないが他人が認めているのだ。
こつこつ地味に派手さはないが、信用ならだれからも持たれる人、そんな人が地味に長年成功(成功とは倒産や廃業に追い込まれず・・程度の意味だが大事なことだ)を継続できる。ある本に、会社を辞めて毎日、新聞の切り抜きをして暮らしていた人がいて、それで世の中の流れや傾向を自然に身に着けて、これからはこうだろうと勘を働かせて、小規模ながら成功の道を歩んだ人の例が出ていた。
私の知人も大きなクライアントを持って独立した。事務所経費・女性事務員・媒体への支払い・印刷会社への支払い、そして自分の給与、、立ち上げて数年間はパーフェクトであった。3ケタの給与が自慢だったのか筆者に「給与明細書」を見せてくれた。しかし、10年後、スポンサーの仕事量も減り、支払も滞り、遂に自己破産に追い込まれた。途中、「新しい顧客をどうやって見つけるのか?」と筆者に質問してきたり、「通信販売の新規事業」をネットで開始したり、様々な手を打つが後手後手であった。
元の会社とケンカ別れをしていなければと悔やむ筆者ではあったが、現在勤める会社が嫌で独立志向を志す人は、案外、失敗するケースが多い。それならまだ同業種でサラリーマンになった方がいい。動機が出世競争の一時的な敗北による屈辱(また、人が変われば状況が変わるのに)から、現勤務先のスポンサーや取引先もごっそり持っていくケースだ。これは見えない敵を増産してしまい、スムースなネットワークを阻害する要因になるし、マイナス情報もどんどん流され(支払い遅延など)仕事遂行上、余計な神経や取引先から「前金条件」が提示されたり、仕事が流れなくなる。
結果として、スポンサーからの信用も落としてしまう。大きなスポンサーがあることが、新しい新規開拓や人の性(さが)で楽な道を進む癖を作ってしまう。塩野七生が古代ローマの都市の興亡を分析して「興隆と没落は原因は同じ」という法則。Aという商品(これが石炭の場合、わかりやすい)で繁栄を築けば、Aが必要とされなくなれば(石油に代わる)採掘都市も没落する。
企業城下町を思い浮かべると日本中わんさかある。ひとりで企業を起こす場合、大きなスポンサーの没落で倒産するわけで、そうならないために、人間ネットワークの大事さやいろんな話を持っている人間を受け入れるキャパシティーや学びの習慣、場合によっては、デスクを貸して、そこで彼なりの仕事をしてもらう人を見る目を持ちたいものだ。もちろん異能の言いたい放題の勉強家や彼にしかないネットーワークも取り込めば、そこに来る(集まる)のが楽しくなる、ヒラメキや大脳活性化、即、行動へ移せる楽しい集団になるだろう。
古市憲寿著「だから日本はズレている」(新潮新書)を参照した。

資料が古くて申し訳ない。
サラリーマンが嫌で辞めて弟子入りしたり独立したりと紆余曲折の末、やはりサラリーマンに戻ったきっかけは結婚でした。子供が出来、家を持ち、毎月の支出が優先されれば、余程の財力でも無いとなれば焦り、サラリーマン以外に考えられなかったからです。当時の募集広告の主力の新聞募集欄から見つけて応募し面接へ。幸いにも採用されたましたが、2年も勤めればまた嫌な面も見えて来て転職。しかしどこに行っても嫌な人間関係からは逃れられないのがサラリーマンでした。我慢に我慢を重ねて28年間もの間勤めた挙句が倒産でしたが、今になって考えればこれも自分にとっては良い試練だったと思いますね。この倒産で500名ほどの全国の社員たちはそれぞれの道を選び、自立を模索した私も含めて、苦難の道とは言え、また新たな生き方が出来た訳です。この時ほど信用のありがたさを感じた時はありませんでした。或る協力業者さんの社長さんは大通り9丁目に借りた新事務所への引っ越しを無償でやってくれた上で、更に私に全面協力をするとまで言ってくれました。その後二転三転と状況は変わりましたが、今も相変わらずの協力関係は維持されています。大手印刷会社さんや、他の代理店さんも然りで、当時の新聞社の営業職の方々も今では役員になられていて何かと協力していただいています。昔の関係が今になって大きな財産になっていますね。
結婚後4つの転職をしましたが、ひとつめは倒産の噂、二つ目は組合運動で板ばさみ、3つ目は慌てて探した生保の営業、4つ目でようやく定年まで勤め上げました。保険を除いて全部の会社と長い付き合いをしてきましたからいい人にたくさん出会いましたね。選挙近くになると公明党へ1票の電話をかけてくる人もいます。札幌の町に出ると夜のディナーを食べようと言う人もいますが、お茶1杯でOKと私。酒を交えない会話時間が多いです。ダメになっていくのは、競馬好き、パチンコ狂い、夜遊び毎日、会社の金をくすねる人、大見えを切る人、声がどでかくて他人をすぐにさばく人、親や奥さんの遺産を背景にセレブぶりを終わらせない人。普通の信用からどんどん離れていく人は他人や友人をすぐにうしないますね。