精神薬の怖さについて
『精神科は今日も、やりたい放題』(PHP文庫 内海聡)を読んでみた。医学の中で精神科はほぼ優生学の延長にあるという著者の指摘は傾聴に値する。精神科は、ほかの医科と違うなあという感じは4人の精神科医と会話すると失礼ながら、患者を診る前に、医師自身がまず心の病気ではないかという第一印象だ。自らを直すために精神科医を目指しているのかあと思ったりする。
私の携わった医療講演会で講師の先生が『私は実はうつ病の経験者でありまして・・」と話し出すと、参加者は前のめりになり、会場は一気に盛り上がった。私は製薬メーカーからの依頼で3種類の無料冊子をつくった。『不眠症』『うつ病』『パニック障害・社会不安障害・強迫性障害』である。増刷に増刷を重ねて2万部以上全国で読まれた。お金を出した製薬メーカーのMR(営業)が全国の内科医へ配ってくれたのである。イラストを入れて誰でも読めるわかりやすい冊子にした。しかし、いま手元で読み返してみると、すべては薬に誘導する結論に至っている。製薬メーカーの冊子は最後は自社のPRであるから注意しよう。
この本によると現在、使用されている精神薬は6種類。これを組み合わせて患者に買ってもらっている。抗精神病薬、抗うつ剤、抗不安薬、睡眠薬、抗パーキンソン病薬、気分安定薬の6種類。著者内海さんのクリニックは減薬を勧める珍しいクリニックで当該医院に来院する患者で7剤以上が買わされているケースが18%以上、70%は3~4種類投薬されている。薬剤の副作用のため気力が低下し、ほとんど寝ている状況の患者が40%を超える。これはもちろん老人ホームでも使用される(私の母も1日3回抗うつ剤を投与され続け眠り続けた。人手不足の介護施設は手間かからず、眠らせておけである)。
ここから40代以上の引きこもりについての話だ。現在60万人とも100万人とも言われる引きこもり(6か月以上引きこもる人)は、私は精神薬の依存性を彼らに作り出した精神科医の責任も大きいのではないか。引きこもりの甥に会ったとき、朝ご飯を食べ終わると薬の袋を出して、抗てんかん剤や抗鬱薬やもろもろ飲み始めた。それを毎日15年以上にわたって続けている。薬によって殺されると思った。外に出て日光浴を勧め、くすりを減らす医師はいなかったのか?甥の親も『病院へ行けば薬で何とかなるはず』と思うが、彼らも70歳代後半に差し掛かる。親の年金と貯蓄を自分の老後の生活費に充てる予定らしい。甥自身の年金の支払いは全額親が負担している。いつまで続くか親の金である。
薬の副作用を列記すると、動けない、寝たきり、仕事もできない、動悸・息切れ、さらに暴行へ、自殺企図、自殺念慮、幻聴・幻視、記憶力低下、性格変化。日本の皆保険制度を利用して外資の製薬メーカーが儲けている一方、筆者は引きもりの低年齢化はじめ、家族や地域や学校がズタズタになり、それが50代まで延々と続いている空恐ろしい現実が見えてくる。精神科医の主観で命名された病名、薬を次々出しては、賑わいを見せるこころクリニック。私の前職場で5人がうつ病で長期休暇。3人はアルコール依存症の怠け病であってもうつ病と産業医は診断するインチキさ。毎日、彼らを見ていた私のほうが正確な診断かもしれない。『もうあなたは治ったので来なくていいよ。それより仕事に復帰しなさい。したくない外回りだけど人事異動で決まったこと。できなければ退職しなさい』。
坊主の孫。
鬱が病気と認定されたいきさつは知りませんが、誰にだって憂鬱な時期は有りますね。その症状?(病気と断定すれば)を重く受け止めるか、否かで大きな違いが出るでしょうね。病気に逃げ込むか、一過性のものと自ら抜け出すかの選択になりますが、大抵の人は抜け出すのでしょうね。『良い事の後にはなにかしら悪い事も起きる』と反対に『悪い事の後には必ずや良い事も有る』と感情や環境は良くも悪くもサイクルで巡って来ますから、自分で道にもならない時には、深刻に考えすぎないで、なる様にしかならないと思ってしまえば心も軽くなり意外に解決するものですね。薬が全て悪いとは言い切れないでしょうが、出来るだけ自然治癒へ誘導してあげ、健康的な精神と肉体に導くのも精神科医の大切な仕事では無いでしょうか。
seto
昔はノイローゼにでもなると、友達や近所の人たちがお節介でやってきてイジリして、まあ1杯飲んで忘れろとか「悩みを吐くと楽になるぞ」とか美味い物を食べさせるとか地域の人・企業の中で治癒させましたね。底の底までいくとあとは浮かび上がるだけなので、そこまで待つと言う手段もありますが、手っ取り早く「抗うつ剤」と精神安定剤を飲むと確かに楽になるそうです。効き目が出るのは2週間後なので、毎日服用し続け、会社を病欠しないといけません。産業医はほぼ「うつ病」診断をしますね。精神科と提携してます。これって伝染性もあって鬱っっぽい人の廻りで、違う人が鬱になるケースを何回か見ています。家族内でもこれは見かけます。学校の中、教員室内もね。鬱という漢字・日本語使用が増えると、この言葉や症状に逃げ込む人が増えている気もしますが、どうでしょうか?こんなの普通の内科で十分な処置だと思うのですがね。