札幌の街

長年、営業をしていて感ずるのは「自分のことは棚に上げたとき、饒舌な人が多い」こと。たとえば、会議で自分の部の数字が悪くて、その追及が終わると、やれやれとばかりに他部の数字についてあれこれ語り出したり、質問を始める人は多かった。「その悪い原因は?」「あの新人にもっと飛び込みさせないと」。自分が一度も飛び込みや、お手本営業をできない(したくない)人に限って、なるほどもっともという話をして、上司をうなづかせる輩(女性を含めて)がワンサといた。営業の命は、数字といっても、辞めて行った同僚を送別した後、このスポンサーは誰々に分配する、いやこのクライアントは担当者が癖のある人で飲酒の付き合いもあるから、下戸の彼には合わないとか、数字・売上の奪い合い。これが時間とともに、職場環境を良くしたり、悪くしたりする。特に地場の中小の企業は、毎月毎月の数字会議で、悪ければ即倒れる、賞与はないぞといって社員を脅しながら、口出しを緩めることはない。


ただ、数字のいい営業マンにもやがて、たそがれが訪れる。取引先が別会社へ移行したり、倒産でかえって会社に迷惑をかけることになる。そのときは、「どうするのだ?この売り上げに代わるスポンサーを見つけらるのか?」と手厳しい罵倒に代わる。私が後輩に伝えてきたのは、「小さくてもいいからたくさんのスポンサーを持ちなさい。そうすると、落ち込みのクッションになるから」と。「興隆の原因と没落の原因は同じ」(塩野七生)。大きな売り上げほど怖いものはない。 いつも無くなったときの恐怖感にさいなまれ、売り上げがないとリストラ(配置換え)の恐怖に怯え、営業マンは心休まるときがない。それを見かねてせいぜい、「営業って、数字・数字で大変だね。体に気をつけて頑張ってね」と励まされるくらい。お世辞だね。
営業で失敗して、総務や管理に配置換えになったら、かえって営業マンに超手厳しい人間に変貌する場面も見た。特に、売り上げの多い営業マンのスポンサーが倒産でもしたら、同情よりも「倒産するくらいなら、初めから仕事なんてしない方がいい」と過去の数字のなかった自分をこの時とばかり、正当化する発言を平気でする。


あるとき、私は彼に「自分が営業マンのとき、彼にずいぶん助けられていたじゃない?」と言うと、「立場代われば、考え方が変わる」と弁明。しかし、トップの交代とともに消えていった。現役の第一線の営業を離れたから書くこの私の文章が、実は一番たちの悪い「自分のことは棚に上げて、饒舌な人」なのかもしれない。皆様、申し訳ない。

 

 

 

  1. 他人への悪口は事実を含みながら、やがて肥大化して有る事無い事で格好の話題にさえなりますね。それも賛同を得るために
    出来るだけ多く、自分の意見に同感したり同情者がいた方が、如何にも正論めいて来ます。つまり井戸端会議ですね。そこで
    反論でもしようものならたちまち敵視されますから、自ずと似た者同士のグループ分けになりますね。特に組織内では誰の意
    見に就くかを日々考えている者も多く、自己保身に躍起になる訳です。そこで、何処の派閥にも属さない一匹狼が一番ですが、
    それだけの度量の人は少ないですね。どこかで誰かに媚びて出来るだけ敵を作らない事で他人に頼る生き方を選択しがちです。
    営業経験から言えば、社内の人間関係は家族のように勘違いしがちですが実は一番質の悪い他人同士の集まりですね。それに
    比べて外出先のお得意さんこそまるで家族の様な温かい人が大勢居ました。そんな多くの方々に助けられ感謝しきれないほど
    の温情を受けました。営業は数字と言う常識が頭にあってノルマを強制されると言う被害者意識が嫌われる所以ですが、自分
    も最初はその脅迫観念で、初めての時は行きたかった得意先の自動ドアさえ開けずに、回れ右!して喫茶店に入ってお茶した
    りしながら時間を潰す日々もありました。それでも会社には訪問したと報告しますから悪循環ですね。それでも一度勇気を振
    り絞ってドアを開けると、そこは別世界で、意地の悪い人などさほど居らず、待ってましたとばかりに対応してくれたり、即、
    仕事に結びついたりと良い方向に連鎖して行く事が多かったですね。その時点で自分では気づかなかったのですが営業職以前
    の制作業務が役に立った訳です。先方の要望をその場でイメージしてラフスケッチなどを交えながら、その場で概算見積さえ
    伝え、社に戻って形にする自分の営業スタイルが受け入れられたようです。そうなると何でも相談されたり、雑談でいろいろ
    な経験談を話していただいたりと、良い事ずくめでした。たった一つ計画倒産で2,000万引っかけられた自称不動産業者?
    以外はね。あんな詐欺男は一生忘れませんね。多くの人の恨みを買って生きる人生って気の毒でも有り可哀そうな気もします
    けどね。情けない話です。

    • 社内にいるよりスポンサーに滞在して会話するほうが楽しく勉強になりました。仕事にもなりました。「広告なんて在庫を抱えず、工場労働者の人件費もなく、空気と白い紙」を売ってるようなもんで気楽だなと皮肉を言われたこともあります。数字のない営業はまず考えられませんね。毎週、毎月、数字会議をよくやりましたね。虚しい嘘の数字を書いたりしてごまかしました。そして予算を組むわけですから、日本の税収予想と支出と似てますよ。官僚も嘘だらけのレポートを安倍政権時代、気に入れられるように作文してました。「自分のことを棚に上げて生きる人々の群れ」がTVを支配してます。ギャラ欲しさに出るわ出るわ。スイッチOFFです。他人の金(国税)なら使い放題、自分の利権ですね。高邁な人、貴族精神持つ人が少なくなりました。石破茂さんくらいですね。

  2. 悪い事は一旦、誰にも見られない安全な棚の上にあげて置き、全くの白紙状態で物申せば、そんな都合の良い事はありませんね。
    むしろ、自分の過去の悪い事例をさらけ出して貰った方が社員教育上勉強になりますし、同じ過ちを犯さないのではないでしょうか。そうは言っても中々さらけ出す勇気のある方は少ないでしょうね。カッコよく見せたいがために都合よく体裁ヲ整えてしまうが為に隠す事をするのでしょうね。

    • 隠し事だらけの世の中ですかね、ヒドイ人間性が横行しています。皆さん、小学校から入りなおしたほうがいい大人多いですね。誰にも過去に、恥ずかしいことたくさん持ってますから、それこそ人間の証ですよ。それを許容できる人や他人が少なくなって、あら捜し社会になってしまいました。

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