ごぞんじ18世紀、フランスのモラリストで人間性の真実を追求したラ・ロシュフーコー(1613~1680)の格言。全文はこうだ。(箴言集MP40)

われわれは、どちらかといえば、幸福になるためよりも幸福だと人に思わせるために、四苦八苦しているのである」名門貴族に生まれたロシュフーコー。貴族社会の見栄と浪費の実態を目の前に、彼らを分析しているわけだ。幸福も経験からいうと「瞬間の幸福感」に近い感情。しかし、ロシューフーコーの「幸福だと人に思わせるために四苦八苦している」は現代の消費社会の落とし穴でもあると思う。共通は「無理して生きている、消費している、他人との相対的な比較から自分の今を納得する」といった他律的な生き方である。消費の無理や消費の背伸びは、GNPを押し上げたり、あの手この手で「買ってくれ!」を誘導するCM世界ではあろうが、物を買うと見せたくなるのも人情。ファッションや車やマイホーム、ガーデニング,子どもの進学先にまで及ぶ。幸福を「お金がある」と言い換えると現代をリアルに写すと思う。私の義理の姉はテレビの通信販売、特に健康系の商品を次々購入していた。端から見ていて、病に近い。

昔、エピクロス(BC342~BC271)について書いたブログ。

「エピクロス」(岩波文庫80p)から

われわれは、人生の真実の目的は、肉体において苦しみなく、心境において平静なこと・・・・・。紀元前4世紀のギリシャの思索者エピクロスは、「正しい人は、最も平静な心境にある、これに反し、不正な人は極度の動揺に満ちている」とも。心境において平静を保つことは仕事をしているとホント難しい。毎日、状況が変わる変化の波に乗っているんだからね。わたしで言うと、イベントの失敗、営業失敗で他人に迷惑をかける、スポンサーの倒産で売掛金未回収で始末書書き、ほかの部署で横領が発覚、ボーナス減額されて家計のやりくり狂うなど数え上げたらキリがない。そして50歳で心筋梗塞で50日間の長期離脱と休養。内容は変われど、そういうことは誰にでもあることで「肉体において苦しみなく、心境において平静なこと」は、現実的には理想の中の理想だ。で、ロシューフーの言う四苦八苦を減らせば、心境において平静につながると思うのだがどうだろうか?仕事で無理をして私は倒れたので、くれぐれもご無理だけはなさらぬよう。

真駒内滝野霊園 頭大仏(安藤忠雄作)

  1. 人それぞれでしょうが、私は、今になってですが、亡き父が口には出さなかったけれど、知らず知らずの内に、お手本を見せてくれていたがお蔭で或る事を学びました。それは『仕事半分・遊び半分』主義ですね。遊び半分で仕事はできませんから、仕事と遊びを両立させるには、いずれも真剣にする事は言うまでもありません。割り切り方を心得れば、何ら問題も無い事に気づいた訳です。しかし若い時はがむしゃらに仕事をしましたし、何も考えずに行動もしました。それらを若い時にした経験も大切な事だったように思います。
    失敗も沢山しましたから、その分成功は大きな喜びや励みになった訳です。見栄を張る事も覚えましたが、所詮つまらない事とも気づきました。幸い現在まで大病の経験が無い事に感謝しています。今年は落ちてしまった体力をほんの少しだけ回復させたいと思って居ますが、これも他人様の半分だけと考えて居ます。

    • 近所のご主人が膝や背中、肩の痛みを訴えてる人が多いくなりました。そういう私も左肩が痛くて。古本入った段ボールを持ち上げると腰と肩が悲鳴を上げることがあります。しかし、仕事って単純作業の繰り返しでもあるので丁寧にしないとケガ(皮膚を切る)をします。久しぶりの積雪で、除雪から戻ってきました。まず最初に除雪をするのは鳥のえさを置くベンチです。ヒヨドリとスズメたちがくず米を待っています。いつもは5時ころに来るのですが、大雪の日はブルーベリーの枝でじっと家主が出てくるのを待っています。鳥たちと感情がつながってると思う瞬間です。それにしても久々の恵庭に雪が降りました。父親の除雪に手伝いをしなかったなあと反省しています。

  2. 他人の目を気にし過ぎる傾向は確かにありますね。気にしなさすぎるのも問題ありかも知れませんが、どちらかと言えば前者の方が圧倒的に多いでしょうね。ファッションや高価な持ち物は上を見ればキリが無いですから、みっともなくない程度で我慢するのが普通でしょうが、中には一切お構いなしの自由人も居たりしますが、相手に不愉快な思いをさせてはいけないでしょうね。例え経済的にきついとしても、最低限、見流して貰える程度の身なりや持ち物は必要かも知れませんね。でも裏をかかれた経験から言うと、貧乏を前面に出して、お茶代や呑み代や寸借を繰り返す人も居ましたから、要注意ですよね。幸せ度と言っても人それぞれの幸せ満足度は千差万別で違いますね。

    • 男の人でお金持ちで、身なりに気を使わない一人暮らしの人がいます。しかし、お金には細かいです。計算が早い。私のように貧乏なくせにお金にルーズで男もいます。ルーズだから貧乏になってしまったんでしょうね。しかし、身なりだけは加齢とともに清潔でおしゃれを心がけています。それとお金の支払い時の公平さですね。奢られると負債を抱える気持ちになるので嫌ですね。先日、東京から来た友人が『お土産の交換は辞めよう)と言ってきました。正しい判断ですね。何も要らない、会っておしゃべりでOKですよ。これ、幸福。

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