幸せになるいちばんの早道は他人を助けること。
「文明が不幸をもたらす」(病んだ社会の起源・クリストファーノーラン)の3回目を読んでいる。読むたびに、そのときの自分の心境で立ち止まるフレーズが違うから面白い。狩猟採集時代から農業が少し始まったころまでの小さな集団(せいぜい50人~60人くらい)で持たれた価値観だ。たとえば獲物を採ったとしても「余った食べ物を入れる最良の場所は友人の胃袋だ」「困ったときの唯一の頼みは周囲の寛容さ」続いて、「幸せになるいちばんの早道は他人を助けること」。自分が信頼できる助け船になることで保険をかけておくのだ。農業のはじまりがせいぜい5000年くらい前だとして、数百万年から1万年前まで私たちホモサピエンスは、利他的な暮らしをしていた。余った食べ物(稼ぎ)は「銀行に預ける」「幸せになる早道は他人を蹴落とすこと」困ったときの唯一の頼みは、自治体の福祉窓口やカウンセラー、本屋さんにたくさん並ぶお悩み解決本。果たしてどちらが幸せなのか?
私の少年時代、札幌の工場街で育ったので、地域社会で子育てをしていたようなもので、お腹が空いたら友達の家の冷蔵庫やお菓子入れを開けて食べていたものだ。決められたエリアで顔を知られていたら、周囲の寛容さに囲まれていた。狩猟採集時代ではなくても昭和30年代でもそういう生き方は共通であった。当時、ノイローゼという言葉があったとは思うが、孤立してうつ病になる子供はほぼいなかった。孤立していたら、誰かかれか近寄っていって遊びの輪に入れたものである。周囲は貧しい暮らしばかりなので、物も溢れていないから、格差が薄い。クラスは50人いたとして男女それぞれ10グループ。趣味によって出たり入ったりしていた。気に食わなければ出て行けばいいだけのこと。逃げればいいのである。近所の豊平川に釣りに行くのもいい、モヨロ沼にカラス貝を取りに行くやつもいた。原っぱに転がっていたコンクリート管でかくれんぼしてもよしの世界だった。スポーツ少年団もないから自由感漂う世界だ。
話が戻るが、採集時代の50人や60人の集団といえば、どこの企業でもミニ集団の集まりだと思えば、幸せな生き方はできるはず。「他人を助ける」「周囲の寛容さに甘える」ことはいくらでもできること。コスパや効率だけを求めず、ネットで検索する習慣を減らして、隣の人に聞くことを始めればずいぶん、幸せな集団になる気がするがどうだろうか?
この本の帯が「生き延びるための鍵は先史時代にある」。職場がパソコンを置いた先史時代だと思って生きると・仕事をすると鬱にならなくて済みそうだ。


坊主の孫。
分け合う、助け合う時代から、次第に奪う、独占する時代に変化して来たように思えますね。家族の中で、5人の兄弟姉妹が居たとしても、性格はそれぞれ違って、おっとりした長男や長女、わがままな次女や次男そして甘ったれた末っ子が居たら、わがままな次女・次男におやつも全部奪われてしまいます。これが家族の内はまだ小競り合いで済みますが、もしも、国内の社会や世界に広がっているとしたら助け合うどころか奪い獲り、見殺して、やがては国盗りに発展し全て強奪の世界になりますね。いや既に一部では現実ですね。大災害でも手を差し伸べる人や国が少なくなっているようにも感じます。
seto
人類に隠されていたことは強奪と横領ですね。自分で手を汚す人、規則で横領する人もいます(法律のねじまげ)、いまの腐敗した人間性の集団の政権与党は、国税の強奪と横領で、皆さん、小学校から勉強しなおして欲しいと思います。嘘はつかない、人のものは盗まない。狂人の群れを政治家に持ってるこの国の不幸。能登地震も台湾が医師団を派遣するというから受け入れればいいものを。通訳なんてたくさんいますよ。
昔の少年。
先日の夜、吹雪で積雪もあって、駐車場のクルマに向かうと女性の方が何か困った様子。見ると出庫したいけど旨くできず横のクルマに若干接触したところでした。運転も苦手なのかどうしたらいいのか途方に暮れて居ましたので声を掛けると、相談されました。相手のクルマのドライバーも何時戻って来るか?それとも一泊駐車かも知れず、兎に角クルマは、今以上被害が大きくならないように最小限で回避するべく運転を変わりました。お蔭でほんのかすり傷で指で擦ったら分からない程度で済みました。が、ドライバーによってはこの時ばかりと吹っ掛けて来る場合も有るので最終的には双方の保険会社に相談を教えました。その相手のクルマにメモを置いて来たようですが、その後何も無ければよいのですが、その場では感謝されました。雪も深く狭い駐車場で大変の様子でしたから道路までクルマを出してあげました。感謝されましたが、ちょっとした事でも人助けは気分の良いものですね。
seto
私も国道36号線で12号線へ早道をする場所でワダチに入り、ブレーキ効かず、ようやく相手のホンダステップワゴンの新車のバンパにコツンとぶつかりました。わたしのみることこどこにも傷はなかった、警察がきて、大丈夫ですねと見分して帰りました。しかし、次の日、相手から電話、修理場に持っていくとかすかに傷があり、バンパーを新品に変えたいと申し出があり、こちらの保険を使うことになりました。ヘコミもせず、すでに新品同様なのに。相手によりけりの事故です。
アドマン。
宝くじで高額当選したら、分ける人は随分前から決めて居ます。当選金額別に一覧表迄作成済みです。が、実際に当選したとしたら?気が変わるのでしょうか?同じ気が変わったとしても、どこかに困った人が居れば役立ててもらう方に代われば良いのですが。理想は現代版鼠小僧ですね。泥棒ではありませんから御用にはなりませんね。
seto
いい話ですね。昨日、知人と電話で話すと息子さんがビットコインを長い期間持ってるようで相当値上がりしていると言ってました。まだ40代ですからね。未来の年金減少に講ずるためですかね。私はそれより『関東在住なら、安定した土壌の土地を100坪買って、小屋を建てて、井戸を掘り、簡易トイレを置く」と長く生き延びれるのではと提案しました。ワンモアハウス(マンション)構想です。ビジネスになりますよ。埼玉の友人から、関東大震災の恐怖についてメールきました。札幌でマンスリーマンションも考えているとも。麻布にあった自宅を売却したので済むところが北海道にないんだと。除雪は厳しいからマンションになるでしょうが、管理費や積立費用がばかにならないから賃貸を考えているみたいです。能登地震は他人ごとではでくどこの場所でも活断層が揺れます。道路が複数本あるエリアでもう1か所住める場所を考える時代です。親の実家が広ければいいのですがね。大金持ちと結婚出来れば宝くじに当たったようなものですが、大金持ちってケチな人多いです。
昔の少年。
子供の頃は、甘柿、ナツメ、グミ、スモモ、栗など何でも食べ放題でした。それらは、よそ様の畑や庭や山林に生って居ましたから、まぎれもなくよそ様の果物でしたが、当然のようにてあたりしだい採っては食べていました。その程度で大人たちも大騒ぎしませんでした。お菓子などお金で買うオヤツ類も殆ど無い時代でしたからね。熊の大好物の山ブドウなども食べました。校庭の片隅8の二宮金次郎像の周りのツツジの花びらも食べました。今考えると、お金こそ掛けて居ませんが随分贅沢していたんだと思います。自然の恵みをいただいていたのですから。おやつが無ければ無いで、子供たちも自分たちで考えるものですね。あれは二度と体験出来ない貴重な経験ですね。
seto
いい環境でしたね。果樹や自然が子供たちを幸せにしていたんですよ。それがいまでも昔の少年さんに息づいているわけですね。ツツジの花びらを食べる話ははじめて聞きました。農作物が減ってきても、野草や自然の中でどれを食べれる食べれないと言う識別ができるのは羨ましい限りです。埼玉に住む同級生から、関東で地震が起きたら札幌でマンスリーマンションに住むことを考えているとメールありました。札幌の実家は売ってしまったのでね。私はビジネストして『ワンモアハウス、マンション」をビジネスでできるかもしれないと返信しました。1500万から2000万で2LDKマンションを売るビジネスです。戸建ては雪があるので無理ですから。普通の市民と一緒に住むと管理組合とか面倒なことがあるので、賃貸マンションのほうが利用しやすいかもしれません。20年前から南海トラフと騒ぎながら、起きる場所が東北、淡路島神戸、中部、北海道奥尻島、日高沖、そして能登(昨年も能登)などでことごとく外しています。ある地震学者は『南海トラフといえば国の予算がたっぷりとれるので」と恥ずかし気に言ってました。地震予知連絡会って何?