命を大切にする人は 「老子(タオ)」自由訳 加島祥造
きょうでブログ3276本.
久しぶりに加島祥造さんの自由訳「老子」から第50章「命を大切にする人は」。
人は生まれて、生き、
死んで、去ってゆく。
三十の年までは柔らかで若くて
生命(いのち)の仲間だといえる。
六十をすぎてからの三十年は
こわばって老いて
死に近づいてゆく。このふたつの三十の間の
壮年期の三十年は、まあ
しきりに動きまわって、どんどん
固いものに近づいてゆく期間だよ。
どうしてこんなサイクルになるかって?
それはね、ひとが
生きるための競争に
こだわりすぎるからだよ。
聞いたことがあるーーーー
生と死は同じサイクルのなかにある、
それを知って、
命をそっと大事にする人は
旅をしてもけっして
猛獣のいるところへは行かない。
軍隊に入れられても
武器を取る役には廻らない。
だからその人生では
虎の爪や犀のツメに出くわさないし
兇暴な人物の刃にかからない。
それというのも
生をとても大事にしているからなんだ。
自分の命を大切にしている限り
死はつけいるすきがないんだ。


坊主の孫。
こわばって老いて行く時代に生きている事になる自分の生きた時代は戦争もなく比較的平穏でしたが、この先は未だ分かりません。願望としては戦争など体験したくはありませんが、近年の世界情勢も不安定ですから、いつどうなるか?分かりませんね。戦争でなくても近年頻発する地震や噴火や台風や豪雨による洪水など自然災害、地球温暖化の影響によるのか最近の気候変動の激しさも目立って来ましたね。静かに老いて生きたいものですね。
seto
騒々しいのが活気があるというのか、テレビをつけると最近「うるさい、音量が大きい、CMの録音が大きすぎるのではないか」などテレビ局をアチコチ見学してきた身として感じます。制作も下請けのさらに下請けを使い製作費の削除、部長以上の職の人件費を確保するために、下請けは徹夜作業で編集、名刺だけはテレビ局を持ち、腕章をして外に向かって「おれはテレビ局だ」と示していても、待遇はパートの人たちのほうがいいかもしれません。テレビが好きだ・・・という現場社員に甘えてろくな待遇をだせない。見ていて悲惨としか言いようがありません。彼らとランチを食べたことがありますが「結婚なんてできませんよ、給与恥ずかしくて」と言ってました。この仕事、長くしていると病気になるよと思いました。命削る価値のない仕事です。