昨日のブログに続いて知人からのメールです。

儒教そのものに対しても、西欧的な見方がされている気がします。

論語にはよく「君子はXXXXX」という表現が出てきますが、
この君子という言葉は、今では「立派な人」と解釈されていて
「立派な人になるためにはxxxx」という文脈で通用してますが、
孔子がいた春秋戦国時代の君子とは、支配者、為政者、有識者という意味しかありません。
つまりもともと支配階級のための道徳規範で、庶民には無関係なものでした。

そのせいで階級社会を是認する思想と批判されることもありますが、
当時は君主は絶対で、庶民がどう頑張っても世の中が変わらない時代でした。
そこで、なにより君主がまともでなければならない、というのが論語の主旨で、
だからやたらと堅苦しい規範を、支配者層に押し付けたわけです。
逆に言うと、庶民には庶民のやり方があるはずなので好きにしてくれという感じです。
庶民が、とりわけ中国人があんな堅苦しい規範を受けいれるわけがありません。

その庶民のための宗教が、道教です。現世ご利益をもたらす神様がいっぱいいる、
いかにも庶民の宗教で、アジア全体に行き渡っています。
中国人圏では、道教、仏教、キリスト教、イスラム教の順に多く、
儒教信者はそれより少ないのではないでしょうか。
ちなみに儒教も宗教行事がちゃんとあり、孔子の子孫が暮らす山東省曲阜では、
それらしい儀式も行われています。ただ、他ではあまり聞きませんし、
ぱっと見、道教の儀式と区別がつきませんが。

華僑の人は、大陸にいた頃は道教寺院で先祖を祀ったでしょうけど、
日本に来てからは、大抵そこらの寺で供養します。
だからと言って改宗というほど大げさなものではなく、関帝廟のお参りもします。
日本人の仏教と神道の関係に似ていて、親しみを感じます。

しいて東アジア圏で儒教的な文化をあげれば、朱子学ですね。
これは儒教の一般ご家庭向け(特にインテリ層向け)という雰囲気で、
朝鮮半島は思い切り朱子学の影響を受けています。
日本は寺子屋で朱子学のさわりを勉強しますが、
宗教といえるほど定着はしていません。
実際、日本で儒教や朱子学の儀式なんて見たことないはずです。

明治以降は西欧化を進めたこともあり、西欧人が来日するようになります。
人間には原罪があるので、厳しい戒律が必要とするキリスト教の考え方は
儒教が君子に求める厳しさと似ているため、
アジアにも「ちゃんとした宗教」らしいのがあるじゃないか、
アジアは儒教圏なんだろう、ということになったような気もします。
彼らの目には、仏教、老荘思想、神道などの鷹揚な世界観は
蛮族の奇妙な風俗としか思えなかったような気がします。

  1. 儒教と言えば、韓国は儒教の国だからと教えられましたね。例えばお酒を呑む時の所作などでも、先輩や年上の人の前では敬意を表す意味で、面と向かって盃で飲む事は決してせず横を向いて飲む様子を見ました。日本人も外国人からは、行儀作法を守る国民だと、逆に韓国の若者たちからも見られていますね。いずれにしても今ではどこの国も若者たちは宗教にこだわらず自由奔放ですね。

    • 自由奔放もいいですが、静かに生きる方が私の年齢を考えても素敵な生き方に見えますね。先輩や後輩やらっ縦関係で所作やふるまいが違う人生を歩んでこなかったのでわかりませんが。自分勝手な育ちの悪い人生を歩んできたものです。なんのしつけもされない「札幌東区の育ち」と笑われます。

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