「性」という漢字は明治の翻訳?という私の質問にアンサー(知人から)
性という字は仏典では「しょう」と読み、傾向、性質などの意味です。
男性・女性(なんしょう、にょしょう)という言葉はありましたが、
単独で「男女の」という意味は全くありません。
江戸時代は、風呂屋では混浴で、漁師はチンコに藁を結わえ付けただけで漁に出ました。
男女とも、裸でさえそのままでは「性的な」ものではなく、
情欲にかられた様子を見て始めて、今で言う性的なものと感じていたようです。
ちょっとしたことでも「劣情をあおる」から禁止というのは
西欧人やイスラム原理主義の世界だけだと思います。
アラスカで水産物の取引をしていた友人は、エスキモーと仲良くなると
家に呼んで奥さんを夜伽に貸し出そうとするので困る、と言ってました。
世界の多くの場所と時代で、人間はかなり開放的に生きていて、
春画も現代人とは全く違う見え方をしていたような気がします。
江戸時代にはいろいろな禁令が出ましたが、「劣情をあおる」という理由は
あまりなかったように思います。心中物の演劇は禁止されましたが
それは死ぬからであって、男女愛を禁じたものではなかったと思います。
私はかなり以前から、周囲の日本人がまるで西欧人のような考え方をするのに
違和感を感じていました。性のタブー視もそうですが、
東アジアを「儒教圏」と呼ぶのもそうです。
なぜなら仏教徒やキリスト教徒はいても、儒教徒というのは
一人も思い当たらないし、世界中に道教の関帝廟や媽祖廟は無数にあっても
孔子廟はほとんどないからです。
このことは、昔から考えてたことなので、後日改めて。