兄も妹も娘も観光客で帰ってくる。
北海道に限らず、関西圏や首都圏で長い間暮らしているうちにすっかり、育った地域の冬の暮らしをはじめ、地域の人情など忘れて、密集した都会とその周辺での文化と暮らしを身に着けて、「自宅に帰宅するときはすっかり観光客に変貌して、自宅はホテルの部屋代わり」になってしまうことが多い。仕方のないことではあるが、たまに親に会いに来たのであるから、もう少しのんびりと話したり、昔話を聞いてあげたりして欲しいと迎える側は思う。配偶者が道外出身者の場合、「せっかく北海道に来たのだから、各地を宿泊観光して土産話でもつくろう。お土産は誰に何を買おう。夫の実家に帰って来るのはシンドイし疲れる」と思うのもわかるが、元々道産子であるのにすっかり配偶者の価値観に染まっているのを見るのはつらい。兄は22歳で大阪から仙台・川崎・名古屋48年、妹も結婚して25歳から埼玉在住40年。「観光客とは、訪問先で生活上の必要をもたない。買わなければならないもののも、行かなければならないところもない』(東浩紀)。一時帰郷する兄や妹が(生活上の必要)はないので、自然、中学や高校時代の同級生に会うことが帰郷の大きな目的になってしまう。迎える側も『たまに来るから普段・日常では食べないものを振る舞ったりする』。自分の娘でさえ孫を連れてきた1週間の行事はまるで観光客のカリキュラムである。新型コロナ患者の多い札幌は通過して日帰りできる距離の小樽に1泊。水族館や手作り工房を回る。毎日出かける行事をつくる。自宅に帰っても料理をつくらない(観光客のまま=作ると毎日の日常生活に戻る)台所に女2人は立ってはいけないと理屈をこねる。娘も大学から本州なので20年向こうで暮らしている。『観光客化』するのは当たり前か。たんたんとした日常生活に確かに変化は私に与えるが、刺激をくれはするが、娘のペースでいくとこちらまで『観光客化』してしまうことに気づいた。観光客は行く先々でお金を落すが自宅に来る観光客はお金を落さない。私自身も回数は少ないが各地を回り、行先の町で責任のない振る舞いをして帰ってくる。『観光客とは、訪問先の風景のなかに、遊歩者のように入っていく人々のことにほかならない』(東浩紀)。しかし日常生活を離れて宴会や旅行やイベント少なくなると移動する距離が短くなるだけではなく、地元経済に限らず、市民の心身に疲弊が出る。お金も人もぐるぐる回る時代がいずれ来るとは思うが、兄も妹も何度も北海道に来て財布のひもを緩めて帰って欲しい。それがたぶん世界中の観光地で待っている状況であろう。
昔の少年。
帰省ですね。懐かしいです。田舎があった頃は必ずお盆時期には帰省をしていました。それも田舎に親が生きていた時まででした。遠くてみすぼらしい実家でも帰りたくなったものです。子供が出来てからは親に孫を見せに行くのですが、私の父は変わり者なのか?行けば『早く帰れ』と言いました。普段は自分だけの世界ですから、孫が騒ぐと自分の暮らしのリズムが狂うかららしいのです。でも孫が可愛くない訳ではないみたいでした。また小学生になった娘を連れてフェリーとクルマで田舎に行くと、すっかり町の暮らしが身についた娘は田舎のトイレも嫌い、食事も食べず大変でした。郷に入れば郷に従いなどと言っても、今の子供たちには通じません。お蔭で、離れたJR駅のトイレを借り、直ぐそばの市場で弁当を買い、或る時は遠い峠の山頂のスキー場のホテルの浴場や食堂を利用したりと振り回されて大変な目に遭いました。私などは田舎暮らしの経験から、直ぐに馴染むのですが子供たちには田舎は不潔で不便で暮らせない異次元の世界なのでしょうね。もし私の少年時代を見たら卒倒するかも知れませんね。
seto
兄も妹も札幌育ちなので不便はないのですが、どうも観光地巡りが主で帰宅して、自宅でのんびり会話するという習慣がないみたいです。私は実は恥ずかしい話、北海道をまともに旅していないことに気づきました。知床や4つの島へも行ったことがなく積丹半島も奥尻島側や江差へも行ったことありません。入札で役所周りだけで町巡りをしたことないです。都心のビルは40年廻りつくしたので。このビルにどういう会社があるかは詳しいです。そんな育ちなので兄も妹もふるさと感ないんだろうと思います。
坊主の孫。
私が未だ田舎暮らしをしていた中学生の頃、東京の姉たち夫婦が田舎の実家に二組でやってきました。何せ隣が酒店、反対隣がタバコ屋ですから何不自由の無い環境でしたが、どちらの亭主も最初の一日だけは川で鮎釣りを楽しんだりして大人しくしていましたが、その後は落ち着きません。二日目からは県内のどこかに行ってしまいました。田舎に来てまで、遠くの競艇場や競馬場ですから呆れますね。田舎と違って東京は大人の遊び場だらけなんですね。それでも県内にお金を落したと言う事には成りますけどね。その点、子供たちは無邪気で田舎遊びに夢中でした。谷川の水を飲んで見せると皆んな真似をして『美味しい美味しい』の連発。しまいには大川で魚獲りしていると、田舎の子は決して飲まないその大川の水まで飲む始末。オニヤンマトンボを取ったり楽しそうでした。帰りには蛍を持ち帰りたいと言うので、東京じゃ生きられないから無理と諭すのに苦労しました。子供達の方が田舎暮らしを受け入れてくれました。
seto
母の故郷小澤という町で夏休み子供たちが10人集まって、然別川でホタル狩りをしました。高校生の叔父がいて、子供を全員引き連れて川で泳いだり、祖母が寄贈した馬頭観音をみたり、楽しい時間を過ごしました。その中に兄も妹もいていい時代を過ごしたと思います。母の兄弟の子供が10人で雑魚寝ですから壮観です。祖母がつくったトコロテンは絶品で雑貨屋で酒も売っていて、労働者がたくさん夕方集まってきました。『店にあるお菓子は好きなだけ食べていいいよ』と言われて食べてました。ある日『男はつらいよ』で小澤駅前が出ると言うので大騒ぎしてました。マドンナが誰なのか調べてみます。国道5号線沿いにある商店ですが、いまは閉店、その前を車で通ると胸がキュンとします。