読書という行為はいつ誕生したのか?『第1回』

ここで読書という意味は、黙読に近い写本された本を読む行為とする。会話や対話を書き留めたプラトンの本や誰々がこう言ったと書き留め、それをある人が声を出して表現することはここでは読書とは言わない。

中世の神学者(サン=ビクトール修道院長)ユーグ「学習論」をめぐる考察を読んでみた。この本は世界で最初に読書の術について書かれた本である。イヴァン・イリイチ著(1926年ウイーン生まれ)「テクストのぶどう畑で」 法政大学出版局)。

「学習論」の冒頭は「探求されるべきものすべての中で、まず第一は知である」。これまでの本にはなかった(冒頭句)を世界で始めて入れたのはユーグである。

結論から言うと読書の行為は1150年頃に始まる。場所は修道院。もちろん読む本は(聖書)である。言語はラテン語。約800年にわたる読書主義の始まりである。読書は厳しい倫理的な修養であったのである。その始原をイヴァン・イリイチはユーグの(学習論)を読み込むことで辿る知的冒険の本である。そのために必要だった道具がアルファベット。紀元前770年ごろギリシャ人はフェニキア人からabcの並びを継承した。以来、この順番は2700年間、変化がなかった。驚くべきことである。子音と母音の発生で声や絵で庶民は表現の交通をしていたのかもしれない。アルファベッドの衝撃と言われて現代まで続いている。アルファベッドの客体(写本など)の影響についてイリッチは考察を進めるが、私には難しい本だ。

しかし、12世紀中ごろに概念革命が起きる。概念革命とは、これまでのダラダラした文の羅列ではなくて、見出しを付けたり、図書目録、用語索引などの手法が出てきて、それが結局、建築や法律や新しい都市づくりの基本を作った。秩序という新鮮な美を表現できたのも概念革命があったればこそ。書物の上のページ割り付け、各章の区切り、段落や本の内容をあらかじめ序論として書く習慣も12世紀中ごろに出てきた概念革命のおかげだとイリッチはユーグ(学習論)を読み込んで語る。

索引があれば、すぐに探す目的の文や項目にたどりつける。それがないと長い写本を最初から探すために膨大な時間を要する。(譜面からテキストへと革命の内容をたとえている)(テクストのぶどう畑)は、西洋社会はこの読書主義に平行してたくさんの学問機構の設立を正当化してきた。教会も印刷技術の進展とともに信者獲得のためにそれを利用してきた。

仏教やイスラム教ではどうだったのか?中国ではどうだったのか?書き言葉を持たないアイヌ(1対1対応のアイヌ語はあるが概念を発明できなかった)はどうであったのか?太平洋諸島やアフリカの様々な部族ではどうであったか?話題はどんどん広がっていく。

明日は2回目。

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