表題の話は、約46年前の1978年刊・岩波新書・准陰生著の「読書こぼれ話」の66pに掲載されてるが、初めて知る人も多いと思うので紹介する。ちなみに岩波の「図書」という雑誌に1970年から1978年まで書かれたエセイが100本になりまとめたもの。(6月22日にも長谷川如是閑さんの引用をこの本からしている)。

皮肉家アイルランド人のスウィフトみたいな書き手だ。フランス人ならヴォルテール、日本のジャーナリストで言うと桐生悠々みたい。1817年8月イギリス海軍ライラ号のバジル・ホール館長が朝鮮半島西海岸、琉球諸島への調査航海の帰途、ナポレオンが流されたセントヘレナ島に寄港。ホールは、視察した沖縄という島には武器というものが一切ないことを話すと、理解に苦しんだナポレオンは「武器といっても大砲のことだろう。小銃くらいはあるのでは」「いや、それもありません。」「じゃ、投槍は」「それもありません」「弓矢や小刀くらいはあるだろう」「いや、それもありません」ナポレオンはワナワナ拳をふるわせながら叫んだ。「武器がなくて、いったい何で戦争をするのだ?」「いえ、戦争というものを全く知らないのです。内外ともに憂患というようなものは、ほとんど見られませんでした」。

ナポレオンは「太陽の下、そんな戦争をやらぬ民族などというものがあるものか」と答えたという。沖縄は16世紀、尚真王のとき、武器撤廃をやったり、1609年、島津に征服のあとは、一切の武器が完全に奪われたのは事実だ。約500年に及び、多少の小競り合いはあったにしろ、武器なき平和な島だったのである。それが沖縄戦で本国の人間楯になり、以来、大軍地基地の島、そして自衛隊の島になるとは、変わったと言えば変わった。ずいぶんひどい話ではある。

1972年が沖縄返還なので、エセイは6年後の執筆になる。20年前、亡くなった母が、「家族で沖縄旅行へ行ってくる」と言ったら「観光で行くところではないよ、鎮魂で行くのよ」と言われた。大阪で女学生だった母が空襲で北海道へ逃げ帰ってきた戦争の記憶が40年、50年経過しても残っている。

沖縄返還も密約だらけで、返還前より米軍が自由に日本本土にある基地まで含めて制空権をもらったようなもの、さらに基地の施設維持にお金までくれるというのだから笑いが止まらない。なんてお人好しの国だろうと。政治家や外務省の役人たちは、どこの国の利益のために給与をもらい働いているのか、基本の基本に還る日はまだまだ遠い。彼らの思い込み、対米従属し続けることの思考の「楽」さに陥っている。全く、マゾの世界に入ってる人たちが国を運営している。マゾヒストは弱い人間にはサディストになるので要注意だ。自立していかないと大人とはいえない。

*追記(2017年3月28日)大学時代、沖縄から来た留学生(当時は返還前だったから)がいたが、現在でも彼から来るメールや沖縄新報見本紙も送ってくる。米軍がいることでお金を儲ける不在地主(私有地を借地して基地に使ってる)、米軍で働く労働者と飲食業界。原発もそうだけれど住民の利害で必ず国はそれを利用して、住民を分断する。国家って一体何?『愛国ならすべて無罰』だという思想がはびこっている。『愛国なら他人を殺してもいい。この国から出て行けと叫んでも罪にならない。愛国ならどんな汚い野次でも、相手は非国民だから許される。愛国だから、愛国の学校や幼稚園を作っても許可される。』この思想はヨーロッパでもアメリカでも北朝鮮でも中国でもそして日本でも大手を振るってるように筆者には思える。隣の人に親切を。大きな声で叫ばない。熱狂に熱狂で返すとろくなことにならないのは歴史の教えるとおおり。

  1. 沖縄が武器を持たなくなって無防備に成って平和になったのか?は疑問ですが、武器を持たない代わりに琉球空手を身につけましたね。先手で相手に立ち向かうのではなく、最初に決して手は出さず、相手が手を出して初めて防戦すると言う決まりがあるそうです。あくまで、『攻撃』ではなく『防戦』と言う考えのようです。つまり相手には無防備で戦意を持って居ないと意思表示する訳です。それで相手も戦意を失くせばそれで良し。それでも攻撃を受ければ初めて防戦するのが琉球空手の流儀作法の様です。

    • その通りだと思います。攻撃の意思は、相手の攻撃を倍加させますから。それがお互いの信頼関係をつくるということでしょう。不安や不信や恐怖が、残酷な行為を起こしますからね。家庭内殺人も犯罪の動悸はそこにあると思います、。これから帯広に向かいます。ばんえいを見てきます。

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